2006-2015 ひねくれた日常

資本主義の欲望にまみれた日常生活はとても楽しい。いつまで楽しく暮らせるのだろう?いつまでも楽しく暮らすために考えよう。

日本には仕事がなくなってしまった

2010年03月17日 | 資本主義の行くところ
現代社会では、学校を出たら会社に就職するというのが当たり前になって、その他の仕事につく人は少なくなっているのではないでしょうか。

昔は自営業の割合が高かったと思うのです。

親の仕事を継ぐ人も多かったでしょう。

そんなことをいまさら言ったって仕方ないです。

それで、わたくしは考えたのです。

タイという国があります。

私がタイの何を知っているかと言えば、ほとんど何も知らないのですが、

そんな私がタイについて何か言うのは良くないかもしれないけど、

タイにはお坊さんがたくさんいて、日夜、仏に仕える修行をしているらしい。

お坊さん達は、毎日街に出て托鉢をしているらしい。

街の人はお坊さんをとても敬って、ありがたがって食べ物やお金をあげるらしい。

美しい日常風景だと思う。

もう分かった人も多いかもしれませんね。

そうです。失業した人たちはお坊さんになって、仏に仕えながら托鉢をして暮らすのです。

もちろん、後ろ盾は必要ですから、ちゃんとお寺に所属してお寺の仕事や、地域のためになる仕事をするのですね。

日本は福祉が充実してきたので、困っている人たちを助けると言うことを役所がやるようになってしまいました。

昔は近所で助け合ったり、親類が面倒を見たり、道で個人が寄付をしたりということが今よりもっとあったと思うのです。

困っている人を、もっと個人が少しでも良いから寄付をしたりして助けたらどうでしょう?

遠いところで大きな地震があると郵便局にいて義援金を振り込んだりもしますが、近所の失業した人をみんなで少しづつ助けてもよいのじゃないでしょうか。

でも、その人のところに行って「はい、これ。」ってお金をあげるわけにもいきませんから、とりあえず、臨時にお坊さんになって、就職活動をしながら、仏教の勉強をして、地域に貢献してお布施をいただいて暮らすというのはどうでしょうかね。

いきなりやっても世の中に馴染みがなさ過ぎるので、まずは、京都とか奈良とか、大寺院があって観光客がたくさん歩いている町で観光の一環として定着させてみたらいいと思うのです。

お坊さん達は数人ずつで街を歩きます。

観光客はパフォーマンスを見るようにお坊さん達を眺めるのです。

托鉢の作法などもあちこちで見かけていれば、自然に出来るようになるでしょう。

お坊さん達は、ごみを拾ったり、お年寄りを助けたり、小学生の通学を見守ったり、街をパトロールしながら歩きます。

それから、念仏を唱えるとか、鈴を鳴らすとか、太鼓をたたくとか、場合によってはお経をロックでシャウトするとか、面白く辻説法をするとか、いろいろなやり方で、街の中で仏教パフォーマンスをしたら、観光にもなるし、街も良くなると思うのですよ。

そうやっているうちに、人々が小さな寄付をすることに馴染むことが大事です。

そのうちに有名になって、他の地方にも波及するかもしれません。

困っている人を政治に任せてほって置くのではなくて、みんなですぐにちょとだけ助けたら、世の中も明るくなると思うのだけどなぁー。


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