2006-2015 ひねくれた日常

資本主義の欲望にまみれた日常生活はとても楽しい。いつまで楽しく暮らせるのだろう?いつまでも楽しく暮らすために考えよう。

働かなくても暮らせる社会はできるだろうか

2009年02月26日 | 資本主義の行くところ
働かなくても暮らせる社会は、進歩、発展した社会の究極の形ではないかと思う。

そうでなくては何で進歩するのだろうか? 進歩のために死ぬほど働くのは楽しいだろうか?

進歩したおかげで、すでに日本や、先進国は物を造りすぎて買う人がいない状態になっている。

社会が進歩したからそんなに働かなくても必要なものの生産は間に合うようになったのだ。

日本は食糧だけは自給率が下がり、よその国から買わなくてはならなくなっている。

でも、日本人はたくさん勉強してえらくなったので、農業などという疲れそうな仕事は出来ないようなのだ。

日本人がやらないなら、当分はよその国に頼むしかないのかもしれない。

最近の不況は、生産する業種を直撃し、たくさんの失業者を出してしまった。

それでも物は不足していないようだから、もうそんなに働かなくても需要をまかなえるのではないだろうか?

思えば進歩の目的は、人間が楽をするためではないのか?

そんなに働かなくても暮らせることではないのか?

重労働や危険な仕事、長時間労働などは減ったのかもしれない。

でも、まだ人間は働かないとお金をもらえないので暮らしていくことができない。

だから、もっと進歩して、ただで必要なものをもらえるようになるか、働かなくてもお金をもらえるようにならなければならない。



これから先の世の中は、もう仕事がたくさんはないのかもしれない。

仕事がない人はどうやって暮らしていったらいいのだろう。

仕事がないということは、もう仕事をしなくてもいいということではないのか。

それで思うのだか、仕事のない人は仕事をしないでもいいのではないか。

そういう人たちは食べ物と最低限の必要なものだけは無料でもらえば良いと思うのだ。

だけど、日本人が全部働かないでただで暮らせるということはない。

働かない人の分は誰かがたくさん働いたということは分かっていないといけない。

そして、配給の品はやっぱり税金から支出するのだと思う。

すると財源はどうする? という話になるのだ。

社会的弱者の味方の共産党は反対しているけど、財源は消費税だ。

「消費税を上げるなんてとんでもない!」と思うかもしれないけど、低所得者は今より消費税を払うようになるけれど、高額所得者は今よりもっともっと払ってくれるのだ。

そうやって社会が払ってくれた消費税から働けない人のためのお金が出るわけなのだ。

目先の少しのお金を出すのを嫌がって、困った時に生活に必要なお金がもらえないのと、消費税を少し多く払って助けてもらえるのと、どっちがいいのか考えてみたい。

働かなくても楽に暮らせるのは、SFの世界の理想だけど、実際は、働けないときはなんとか暮らせればいいのではないか。

要するにお金持ちが払った税金を、お金がなくて困っている人に回すにはどうしたらいいのかということだと思う。

それは消費税を上げることだと思うのだ。

困っている人ほど消費税のことを考えたほうが良いのだと思う。





やっぱり働かないで暮らすというのは、まだまだ難しいらしい。

昔、ローマの市民は暮らしに必要なものを全部支給されて遊んで暮らしていたのだ。

では誰が働いていたかというと、ローマの周りにはローマが侵略した国がたくさんあってそういうところでローマのための生産をしていたらしい。

現代人の場合、機械やロボットが働いて人間は働かないという風に出来そうなものなのにと思う。

もちろん機械の操作をする人とか働く人はいるわけで、そういう人はよりお金持ちになっていい暮らしが出来るわけなのだ。

働かないで暮らせるようになると、より格差は開くことになると思う。

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