獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(2)

2022-05-21 01:50:14 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■創価学会仏って何?(笑)    投稿日: 2016年11月20日

今や全国のお笑いネタとなっている「創価学会仏」。第三ステージのスタートは、ツッコミどころ満載のこのテーマからいってみましょう。
いやはや、創価学会仏ってマジで何なの?創価学会員になって、何も疑わずに活動して、新聞代払って、財務をしたら、みんな「創価学会仏」っていう仏様になれるよってことですかね(笑)。こんなことを真面目な顔して会則に入れ込むって、マジ終了って感じですね。どなたかもおっしゃってましたが、私もこれを聞いたときには「創価学会おだぶつ」って見えました(笑)
う創価学会は日蓮なんてどうでもいいんでしょうね。ってか、もう日蓮の教義では会員が騙されにくくなってきたことの対策なんでしょう。日蓮が一切衆生を救済するために出現した末法のご本仏だの何だのと言ってると、日蓮正宗との違いが出せなくなるし、それまで日蓮と同じだとされる大石寺の大御本尊に手も足も出せなくなった創価学会としては、信仰対象を日蓮の教義から創価学会オリジナルへとシフトする必要性があったのかもしれませんね。創価としては「創価の信仰だけが幸せになれる」ということにしとかないとカモが逃げてしまいますから、そこで考えたのが「創価学会仏」という苦し紛れの会則変更だったのではないでしょうか。「創価学会仏」という表現は過去の指導にもあったようですが、ここに来て会則入れ込むというのは、執行部の方も相当な危機感を持ってのことなんだと思いましたよ。創価学会が日蓮正宗から破門されて、創価学会独自の教義を会員にゴリ押ししてきましました。今まで拝んでいたのは偽物で、創価学会が発行する改ざんカラーコピーが本物の御本尊ですよ~って言いだしました。それでも会員は疑わずに、新しいカラコピ御本尊にひたすらナムナムしてきましましました。それまで邪宗だといって、神社の鳥居をくぐるだけでも不幸になると指導していた創価学会は、他の宗教と共存するのがこれからの宗教の姿ですなどと、180度言うことをひっくり返すと同時に、これまで世界で唯一正しいと言い続けてきた日蓮正宗だけが間違った宗教であると、ボロクソに攻撃するようになりました。こんな風に、創価学会は会則どころか、根本的な信仰の対象教義そのものも、いとも簡単にひっくり返して涼しい顔をしてきました。そしてそのことにほとんどの会員は何の疑問も持たないまま、活動に財務にと、自分の人生を捧げ尽くしてきたのす。
「創価学会仏」……と聞いておかしいと感じないこと自体がイかれてる証拠です。
「はあ?創価学会仏ってどんなブツ?」って思うのが普通の感覚ですよ学会員さん。いや、きっと聞いた瞬間は思ったはずです。でも次の瞬間に、そんな疑問を持ってしまう自分の心をなかったことにしようと自分で自分をごまかしてしまうのが創価脳の特徴です。常識的にどんなおかしなことを打ち出されても「創価がだから正しい」「疑いを持つ自分が間違っている」と無理にでも自分に思い込ませる、あるいは考えないことにする。これが創価脳です。
創価脳は自分で価値基準を持つことができません。疑問を感じてもすぐに打ち消してします。あるいは考えないことにする。思考停止の人間となります。ナチスに先導されたドイツ国民と同じです。 「創価学会仏」といったスットコドッコイな言葉でも創価の中でまかり通るのは、会員が完全に思考停止の創価脳に仕上がっているからです。創価としてはそれでいいわけです。会員が騙されてお金を貢いでくれるのが目的なんですから、はたからどんなに思われようが関係ないんですね。だからこそこんなことも平気でできるんです。
ってことで、これまでと同じように、初めてコメントされる方は、人間として当然の挨拶と自己紹介をお願いします。どの程度の自己紹介が必要かは自分で考えてください。それもわからないような方は、コメントされなくて結構です(笑)。それから、なりすましや荒らしと疑われるような、わけわからないコメントは、管理者が黙って削除しますのでご了承ください。要は普通に一般常識の範囲で書いていただければ何の心配も問題もありません。また、楽しい替え歌や川柳も皆さんで楽しみましょう。
それでは「対話を求めて」第三ステージ、よろしくお願いいたします。
 

●メトロン星人 (2016年11月21日 10:09 )
元白ゆり長です。退会届は2月に学会本部に叩きつけたものの、夫である地区部長が幹部に唆され握り潰しました。そのかわり非活となることを認めさせました。
「創価学会仏」は、私が女子部のころ池田センセーが言われていた言葉です。仏には色々な名前の仏がいる。創価学会の我々は、創価学会仏であると。日蓮大聖人の教えを正しく実践しているのは創価学会だけであるから、後々我々は創価学会仏として称賛されるであろうと。
今は、日蓮が魂をすりながして書き顕した大御本尊をないがしろにし、勝手にカラーコピー御本尊を捏造しているのだから、ちっとも正しく実践していないです。仏として名乗るのは本当に増上漫です。

●ココア (2016年11月21日 16:24 )
ココアです。
学園出身、非活歴はかれこれ15年以上でしょうか。若い頃に日本を離れたので活動らしい活動はしてません。というか、危うく創価エリートコースに乗せられそうになり、信心はまあいいけど学会活動は嫌いだった私は、本心を伝える勇気もなくもう日本を離れるしかないなという結論に至ったのが実情です。
それ以来活動らしい活動はしてませんが信心からは離れちゃいけないという意識はずっとありました。いわゆる罰論ですね。その罰への恐怖心もこのブログのお陰でなくなり去年カラコピ本尊は巻いて仏壇もろとも地下室の奥深くへ。(捨てられないのはまだ完全に恐怖心が消えてないのかも?)だいぶすっきりしました。
さて、今回の「創価学会仏」初め見た時ほんとなんじゃそれ?って笑いました。
私は初めて聞きましたが、これまでも指導に使われてた言葉なんですか?驚きです。
私たちって御本物を守り弘めるために生まれてきた「地湧の菩薩」ではなかったんですかね?いつの間に仏に昇格したのやら(笑)
ちょっと想像してみたのですが、例えば神の子であるイエスの教えを忠実に実践していると主張する○○教団が、「我々は○○教団神である」と言い出したら普通は神への冒涜だと捉えられませんか?たぶん学会員でさえ、なに言ってんだか~って感覚になると思います。それがこと自分たちのこととなると、我々はすでに仏なんだ~ なんて素晴らしい~ 誇りだ~ってなっちゃうんですよね。
ペコさんがおっしゃる「自分教」すごく納得できます。

●signifie (2016年11月21日 17:59 )
たった4ヶ月しか休止してなかったというのに、皆さんのお名前がひどく懐かしく思えます。皆さんコメントいただきありがとうございます。
ココアさんのおっしゃる通り、創価はこれまで散々「学会員は地涌の菩薩だ~」と指導してきました。それが菩薩が仏に昇格?(笑)っていうか、会員は地涌の菩薩だなんて会則にあったんですかね?っていうか、会則に菩薩だの仏だのと定義すること自体がスットコドッコイなんじゃないでしょうか?(笑)いや、たんなる新興宗教団体の会則なんですから、会員以外にとってはどうだっていいんですけど、こんなスットコドッコイな会則のある会の会員さんは不憫ですよね。とんだ物笑いなんですが、これをヘンだと思ったら不幸になると信じ込まされていますから、たとえヘンだと思っても、決して口に出せないのが創価学会という組織ですね。疑えば地獄、信じても地獄の創価学会。とにかく言うこと聞かない会員はみんな地獄行きなんだそうですから、そんなところに入る方がどうかしてます。自分で考えることに恐怖心を植え込み、言われたこと以外のことをすると不幸になるとしか思えず、「幸せになりたい」一心でひたすらお金を差し出すのが創価学会の一般会員です。
私の記憶が正しければ「日蓮仏法で言うところの「仏」というのは最高の生命状態というか境涯のことだ~!末法の衆生を大聖人の仏法に縁させることを使命として生まれてきた菩薩なんだよキミたちは」と散々言ってきたんじゃないかと思います。
創価の教学としては「仏」も「菩薩」も間違っても特定の人物や団体を指すようなものではなかったと思うんですけどね。十界論とか一念三千とか、中学生のとき任用試験のために勉強させられました。戸田会長が獄中で悟ったとされる「仏界とは生命のことなんだ~」と小説人間革命に書いてあるじゃないですか。映画「人間革命」の中で丹波哲郎さんが叫んでたじゃないですか(笑)。
一人で聖教新聞を何部もとって、財務を出して本当に仏界の境涯をもらえるんなら、こんなに安上がりなものはないですよ。仏界って何者にも動じることのない悟りの境地なんでしょ。結局お金か~い?(笑)じゃあ、いったいいくら出したら「仏」になるんでしょうね。どこに創価学会仏という仏がいるんでしょう。それとも創価学会員はすでに全員「創価学会仏」てことなんですかい?「仏」も堕ちたもんですなあ。勇者ヨシヒコにも「ホトケ」が出てきますが、あれより生臭いですよ。お金出すんだからサンプル見せて欲しいものです。ときどき聖教新聞に載ってる虚ろな目をした池田大作先生は仏でしょうか?(笑)創価学会員が目指している仏の境涯は、あのときどき聖教新聞に載っているボケ老人の姿なんでしょうか。あれが池田大作仏…いっそ池田大仏って呼んだらどうでしょ(笑)さすがに仏ともなると5年もの間、声も姿も見せないで毎日のようにメッセージだの本の執筆だのして、新聞紙上では最高幹部とだけ懇談するらしいです。でも一般会員には一度たりとも声も姿も現さない。さすがホトケは違いますなあ(笑)

●signifie (2016年11月22日 00:41 )
創価学会仏→創価学会異物→創価学怪物→池田大仏
もうこんなジョークにしかならないようなことを会則にしなければならないほど、創価学会はいよいよ世の中から乖離したのか、あるいはガタガタになってるってことだと思ったんですが、よく考えたら、創価の教義とか会則はもちろん、昔からやることなすことデタラメだったことにこっち側が気づくということなんです。ただ、会員は洗脳されて気づかなかったということだったんですね。そのときそのときで会員をどうやったら騙してお金を騙しとるかということで、指導とか教義とか会則がコロッコロ変わってきたのが創価学会だったんです。気づかなかっただけの話。つまり自分で気づくしかないということだし、いったん気づけばすぐに詐欺だとわかるのが創価学会です。

 


解説
対話ブログが非公開になったため、これら以外のコメントを参照することはできません。

「創価学会仏」、これを聞いた時は、私も耳を疑いましたね。
そして、あきれました。


獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:いよいよ再開です(1)

2022-05-20 01:42:36 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■第3シーズンのスタートです。        投稿日: 2016年11月18日

皆さま、お待たせしました。
まずは4ヶ月近くブログを中断してしまいまして、またたくさんの方にご心配をおかけしたことを深くお詫びします。そして、管理人のシニフィエに対してたくさんの励ましのコメントをいただきましたことに深く感謝申し上げます。
「対話を求めて」第3シーズンのスタートです。
創価学会が詐欺だと気づくことのできた創価学会員、元創価学会員の皆さま。それぞれにいろんな思いがあり、言い尽くせないことがあり、これからどうしていいのかわからない方もたくさんいらっしゃると思います。このブログでは、そんな皆さんのどこへ持って行きようのない気持ちを共有し、また、まだ創価学会に宗教性などというものがあるかもしれないなどと寝ぼけたままお花畑をさまよっている人が、何らかのきっかけによって創価学会の実態を客観的に受け止めることができるよう、皆さんが体験してきた創価学会での体験を、それぞれの立場からお話しいただければと思います。
これから数日間は、初めての方でも自己紹介などなしでもコメントを承認させていただきます。これからこのブログが何らかのお役に立つことができますように、皆さんと共に対話を積み重ねていきたいと思います。どうかよろしくお願い申し上げます。


●田部潤 (2016年11月19日 01:27 )
ブログ復活おめでとうございます。またありがとうございます。
いつも気になっていたブログでして、こうして書き込みできるのは望外の僥倖であります。
初めての者ですが、田部潤というHNで投稿します。よろしくお願いします。
元々は創価学会のバリバリの活動家でした。亡き父は昭和40年代、池田氏に近い最高幹部の一人でした。
今はすっかり非活メンバーで、創価学会に再生される見込みはもうないと考えています。
個人的に日蓮教学を考えて、ブログも書き出してみました。数人の仲間と協力して書いています。
http://watabeshinjun.hatenablog.com/
今は個人的に日蓮の信仰者として、自分の考える日蓮信仰は何なのか、求め続けながら歩いて行きたいと考えています。

●カガテツ (2016年11月19日 15:02 )
第3シーズンのスタート。と、450万アクセス達成。の二段花火の祝砲となりそうですね
。それだけ、迷える皆様が待ち焦がれておられたのでしょう。
ソーカの今月は、三大ヒィーー法(f鳥・拡販・罪務)のうちの、財務ザイムですってん天(テ)~ンの、「空を悟らせてあげる。」→「余(ア)り金残らずさし出しナ」の、(福)運の尽き(月)行事だそうで……ご愁傷様。
天才(詐欺師)が住所不明・生死不明の為、弟子の凡人(詐欺師)の実力では、洗脳できない会員は力で除名・排除するしかナイカ?
(教義・会則の改変たんびに、以前の教えに拘る会員が順繰り順繰りに脱落し、四分五裂は目前か?。10年後20年後はどんな教義会則か? 私ら凡人には予想すら付かぬワ)
創価学会仏は〇(間)チガイで“名は体を表す”なら正しく“創価ガッカリお陀仏”と改正すべきだろう。(^^♪
(お陀仏とは〔由来・語源辞典より〕=…転じて、おしまいになること。だめになることの意もあります)
老いの特徴は“無理が効かない”であり、疲れが3日後4日後と忘れたころに襲ってきますので、signifue様も重々ご自愛されたし。歳とっては心身の健康第一です。
復習の意味も込めて、創価を公平・簡単に紹介してるサイトをあげてみます。

創価学会の概略と問題点(宗教に不慣れな方、学生さん向け) 2016年08月16日
http://ameblo.jp/worldwordpress/entry-12072432987.html
(創価学会とは何か、警戒されたり悪いイメージをもたれるわけ、政治家や学者が創価学会に否定的な理由などを、新聞各紙、専門書、学識者などによる文献 をもとに、簡潔に分かりやすく説明します。)

●satou (2016年11月29日 19:34 )
第三シーズンの再開待っていました。ブログ閉鎖以降も、こちらのブログの啓蒙活動はさせていただいてました。このブログは創価の真実を知るための宝の宝庫だと思います。未だ創価の実態を知らずに、騙され続けてる人が一人でも多く、このブログにたどり着くことができればと願っています。突然の閉鎖と、signifieさんのコメントから、レモンさんのことが一番心配でした。レモンさんは、ここに悩んで訪れた人には、ただ等しく手を差し伸べたいという思いがあっただけ。でも、その思いが裏目に出てぎくしゃくしてしまった。気が付くと一番傷つく羽目に?あ~でも良かったです。レモンさんが大人の対応で戻ってきてくれたことにホッとされた方も多いはず。今テーマの財務に関しても、なぜ高額財務をするに至ったのかなど今一度貴重な体験談をよろしくお願いします。
あと、モニカさんには大変申し訳ないことをしました。閉鎖されてから、言いたいことだけ言って、モニカさんときちんと向かい合っていなかったことを謝罪したい気持ちでいました。モニカさんがどこかでコメント書いていないか探しました。そしてブログを書かれてることを知りました。モニカさんがブログで書かれている、理論的な創価観は大変読み応えがあります。すごいな~さすがだな~と思いながら見てました。是非多くの人に見ていただきたいと思いました。陰ながら応援しています。
第三シーズンが始まって新しい方々のコメントも増えてきているようです。私も創価をやめて久しいですが、未だ身近に、うちの子が創価に入ってしまったという相談も受けます。みなさんのコメントを楽しみにこちらを見守ってゆきたいと思います。signifieさんのご尽力に感謝します。

 


解説
有名なブログ「気楽に語ろう☆ 創価学会非活のブログ☆」の気楽非活さんが、田部潤というHNで投稿していますね。

カガテツさんの紹介しているサイトは今でも見ることができます。
なかなかよくまとまっています。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:再開目前

2022-05-19 01:39:20 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■11月18日(金)に再開します!     投稿日: 2016年11月7日

創価学会の会則がまた変更されていて、池田名誉会長を「池田大作先生」とするということを会則に定めたという話題が、創価関連のネット上でも騒がれているようですね。創価学会もいよいよガラガラと音を立てて崩れ落ちているような気がします。組織としてはなんとか会員への洗脳を強化しようというつもりなのでしょうが、それがかえって社会から乖離してカルト色をますます強めていっていること関しては目をふさいでいるのでしょう。外からどう思われようとも、会員をどうやって騙すかの方が大事なんでしょうね。外から見れば迷走でしかない会則の変更は、いわば執行部の焦り表れではないかと思います。また、ここに来て聖教新聞には「創価学会仏」という表現が出てきたようです。ネット上でも物笑いのタネになっているようですが、こんなことでさえ真面目な学会員は少しも違和感を持てなくなっているということですね。もはや日蓮仏法としてはもちろん、仏教としての教義も、いや宗教もへったくれもないありさまなので、あまりにバカバカしくていちいち解説する気にもなれないのですが、こんなことでも疑問を持たないどころか「私も真面目に信じていれば創価学会仏として成仏できるんだ」などとありがたがる思う壺の会員がたくさんいるんでしょう。まったく酷い話です。
池田名誉会長の呼び名だけを「池田大作先生」とするといったことを会則変更までして入れ込まないといけないような組織に何の疑問も感じない会員。まさに北朝鮮お「将軍様」とまったく同じ手法で会員を洗脳し続けている創価学会です。何をやっても北朝鮮から脱北者が絶えないように、創価から脱会者が絶えないのは当然の成り行きです。
何十年もの間、あるいは生まれた時から創価の価値観だけで育てられた人間に対して「創価学会はただの詐欺です」と言って、とても信じることはできないだろうし、このブログでも創価が正しいとしか思えない人を相手にはしていません。ほんの少しでも「もしかしたら創価学会って思ってるほど素晴らしくはないんじゃないか?」と心の片隅にでも思えた人なら、「創価学会宗教ではなく詐欺団体だ」という結論に行き着く可能性は間違いなくあると思います。このブログでは、そんな人のために、実際に創価学会員でありながら、様々な現実に疑問を持ち「創価学会詐欺だ」と確信できた方の赤裸々な体験を語っていただきました。4年半にわたって、そのコメントの数は19000以上になります。創価風に言えば、これはまぎれもない「実証」です。否定することのできない現実です。誰それがこう言ってるとか、自分はこう思うというのではなくて「現実はこうでした」という、まさに実録創価学会として、これだけ「創価学会は詐欺です」いう状況証拠が積み重なっています。あとは、この現実を直視するか、それとも否定しようのない現実を無理やり無視して、創価のいう幻想の世界に生きていくのかという個人の判断だということです。
ここまで読んでいただいた方はお気づきかと思いますが、このブログ「対話を求めて」を再開しようと思います。
ブログを休止して3ヶ月半が経ちました。たくさんの方から「再開を楽しみにしています」とのメッセージをいただきました。ただ、ブログ内でのゴタゴタに私自身がやる気を削がれていたこともあって、ゴタゴタの収集すらできないまま休止していました。この3ヶ月半の間に、自分の中でもいろんな変化がありました。このまま辞めてしまおうとも思いましたし、でも皆さんからの励ましのメッセージには、とても力をいただきました。ずいぶん悩みましたが、やはり「対話を求めて」は続けていこう、続けたい、そう思うことができるようになりましましましましました。
今でもうつ病も症状が出るので、ときどきどうしようもない脱力感に襲われたり、思考がまとまらないような時もありますが、それでも創価学会で苦しんできた皆さんの声を、未だに苦しんでいる多きます学会員に届けられるように「対話を求めて」を再開したいと思います。皆さん、よろしくお願いします。
3ヶ月半前に休止しなければ、今頃は500万アクセス達成のお祝いをしている頃なんですが(笑)、まあそれはそれとして、これからも地道に皆さんの声を積み重ねていければと思います。
ということで「対話を求めて」再開は、あてつけがましく11月18日(金)の創価学会創立記念日とさせていただきます(笑)。
11月18日(金)には、以前100万アクセス達成ごとに皆さんとお祝いしていたように、挨拶や自己紹介なしで、どなたでもコメントできるようにします。できるだけたくさんの方とブログ再開をお祝いしたいので、なんでもいいのでひと言お願いします。また、ご自分でブログを持っている方や、SNSなどで拡散できる方はじゃんじゃんやっていただければと思います。
それから、ブログ休止の原因となったゴタゴタに関しては、もとはといえば「なりすまし」の対処法に関する意見や感じ方の違いにあったと考えられます。これからはこうした事態が起こらないように、管理人シニフィエがなりすましの臭いのするコメントは初めから徹底的に削除していくということで対処させていただきます。なので、もしかしたらなりすましではないのに疑わしい表現のコメントも削除の対象になってしまう場合あるかもしれません。それは疑われるような表現をした自己責任ということで納得していただければと思います。このブログは一般のブログとは違って、カルト宗教を扱っているという特殊なものであるだけに、こうしたことは毅然とした態度で、これまで以上にきっちり対処していきたいと思います。
それでは皆さん、11月18日(金)にお会いしましょう!


■再開まであと10日です。        投稿日: 2016年11月9日

「創価学会仏」「三代会長を池田大作先生という敬称にするということを会則にする」
これに違和感を感じない時点でイかれてる証拠です。でも現実には百万人ぐらいの日本人がイかれてるってことですよね。イかれてないにしても、なんとか取り繕って、自分は間違っていないと大切な問題から目を背けている。そうした学会員さんはかなりいるのではないでしょうか。
要するに、会員にとって創価学会は仏教でもなんでもどうでもいいってことなんでしょう。創価学会は何よりも正しい宗教で、それを信じている自分は誰よりも偉大な人生を歩んでいると思いたいのでしょう。たとえ現実にはどんなに惨めな生活をしていようと、自分は正しいんだということを誰彼となく訴えていく人生。借金してでも財務をする。家族との対話よりも活動を優先する。政治のことなど少しもわからないが、自衛隊が外国の戦争に参加することを法律で決めた公明党の票をとればとるだけ幸せになれる。それが正しい宇宙の法則に乗っかることなんだと大の大人が言い切る。現実はどうあれ、自分は正しい。それが多くの末端創価学会員のメンタルです。イかれてますよね。でも本人にはそれがわからない。そんな学会員を嫌というほど見てきました。というより、自分自身がそんなイかれた創価学会員でしたので、痛いほどわかります。創価学会員にとって「創価学会が正しいかどうか」という思考は初めから存在しない。それは「創価学会は正しい」がすべてを優先できる前提となっているから。だからそんな人に何を言っても無駄です。
そう。今回ブログを再開するにあたり、このスタンスをはっきりしようと思います。創価学会が正しいと信じている人の相手はしません。これまでは「創価学会は正しい」と信じている人に対しても、対話をすればわかりあえることがあるという希望がありました。だから白いブランコさんをはじめ、何人かの方との対話を試みたりもしました。結果、それは徒労に終わりました。例えばその白いブランコさんはどうなったでしょう。あの方が立ち上げたブログ「創価ルネサンス~創価学会改善活動~」を見ればわかります。結局、自分が信じてきた創価学会が自分が信じてきたものとは違ったことがわかっても、自分ではどうしようもないということです。あれだけ真摯に対話を重ねてきた方が、創価の現実を目の当たりにした時に、どこにも行き場を失って、すべてを投げ捨ててしまいました。それはあの三人組にも言えることです。
私は今でも白いブランコさんはどうしているんだろうと気になっていますが、どんなに問いかけても何一つ返ってきません。私だけでなく、たくさんの人が白いブランコさんの動向が気になっていたはずです。しかし誰が何と言おうとほったらかし。それにしてもここまで無責任な方だとは思いませんでした。自分の人生を賭けてきたものが「イカサマ」だったとわかったとしたら、白いブランコさんの自暴自棄は無理もないことなのかもしれません。ただ、それにしてもネット上であれだけ創価学会を擁護し、自分の地区の学会員さんと対話をし、創価学会の悪い部分を改善していこうと一人奮起して行動していた方が、幹部からさらりとあしらわれたぐらいで自暴自棄に陥るとは。正直なところちょっと期待はずれでした。せめて自分に何が起きたのかの説明があっても良さそうなものではないかと、今でも思っています。白いブランコさんは、創価学会は改善できると今でも思っているのでしょうか。それ以前に、私に何度となく言っていたように「それでも創価学会は正しい宗教団体だ」と今でも本気で信じているのでしょうか。
私がここであえて白いブランコさんの話をしているのは、きっと全国に白いブランコさんのような人がたくさんいるのではないかと思ったからです。創価学会は正しい宗教団体だ。しかし今はちょっとしたことでおかしくなっていて、これも会員の一人ひとりが頑張って改善していけば、世界平和を実現できる素晴らしい宗教団体へと変貌できるはずだと信じている人も少なくないのではないかと思ったからです。でもそれは結局のところ、自分の過ちを認めたくないがためのこじつけでしかないということも、うっすらと感じているから、白いブランコさんのように自分の言葉を失くしてしまい、自分のブログもほったらかしにするしかないのではないかと思います。
自分の過ちを認めることができない人の気持ちはわかります。ましてや自分の人生そのものを「間違ってました」と認めることの勇気たるや、そこに行き着くまでに精神がもたなくなるのもよくわかります。しかし、「対話を求めて」にコメントしていただいた多くの方は、そのとてつもない試練を乗り越えて、自分の人生の過ちを認める勇気を振り絞ることのできた方なのだと思います。多くの方が創価の魔の手から勇気を持って脱出できたという証が、このブログには積み重なっています。だからこそ、どこの誰かも知らない同士が、ネット上であるとはいえ気持ちを共有できてきたのだと思います。
今回ブログを再開するにあたり、はっきりしておこうと思うのは「創価学会が正しいと信じている方の相手はしない」ということです。ぶっちゃけて言うと「殴り込みお断り」ってことです。これまでは殴り込みも、そこそこ相手にすることで創価の異常な部分をリアルにさらけ出せることもあって、相手にしてきたこともありました。同時に「なりすまし」に対しても、そこそこ相手にすることで、創価の異常な世界をあぶり出すことも出来ていたと思います。ただそのことで本来の対話ができなくなったり、なりすましに対する見解の違いが、修復できない軋轢を生むことにもなることを学びました。なので、とにかく殴り込みとなりすましは、管理人の私が最初から徹底して排除するということにさせていただきます。
こうすることで、創価が詐欺だと気付いた人の具体的な事実関係を明らかにして、その事例をできるだけたくさん積み上げていくというブログにしていければと思います。そうした中でスタイルとしては以前もやっていたように、替え歌があったり、辛辣な体験談があったり、具体的な相談があったり、脱会できました報告をみんなでお祝いしたりする場にしていければと思っています。
皆さん、11月18日(金)は「対話を求めて」を皆さんともにスタートしたいと思っています。この日から皆さんからのコメントを受け付けます。これまでお世話になった方はもちろん、初めてコメントされる方も大歓迎です。通常は挨拶や自己紹介が基本ルールとなりますが、この日から数日間は、自己紹介なしでも受け付けます。まあ、挨拶ぐらいはしてほしいですけど(笑)詳しい自己紹介なしでも、一人でも多くの方にひとことコメントをいただけると嬉しいです。
「対話を求めて」再開まであと10日。また皆さんとの対話ができる日を楽にみしています。
どうかよろしくお願いいたします  m( _ _ )m


■再開まであと8日です。         投稿日: 2016年11月10日

「創価学会仏」…何度聞いても、思わず吹き出してしまいます。冗談かと思ったら、そうでもなさそうだし、いったい宗教法人の名称に「仏」をつけて、どんな意味を持たせようとしているのか、さっぱりわかりません。宗教法人名に「仏」をつける。例えば、幸福の科学仏……やっぱり笑っちゃいます。生長の家仏。パーフェクトリバティ仏。統一教会はキリスト教系らしいので「仏」じゃなくて「神」でしょうから、「世界平和統一家庭連合神」といったところでしょうか(笑)なんか大魔神みたいな。まあ、よその新興宗教のことはともかく、「池田名誉会長の敬称を池田大作先生とする」と会則ができたそうですが、これも噴飯物というか、鼻から牛乳ものですよね。そのうち会則に池田大作仏ってことになりそうな感じです(笑)。その池田大作大先生…あ、ちがった、池田大作先生は元気にあちこちに出没していると聖教新聞には書いてあるようですし、しょっちゅうメッセージ文も掲載されていますけど、その池田大作先生の本物を見たという人が一人もいない。この5年間、誰一人「池田氏と話をしました」とかいう話は全くないです。あれほど「対話」の重要性を叫んでいた張本人が、5年間、誰一人対話をしたという記録がありません。なんでだろう?学会員さん、なんでか知ってますか?知りませんよね。学会員さんは人づてに「先生はお元気です」としか言ってもらえません。この5年間、動いたり話したりしている池田大作先生の姿を見たという学会員が誰一人いない。文字にしたメッセージは今でもしつこい程に聖教新聞に掲載されるのに、そのメッセージを本人が読み上げるようなことはただの一度もない。動画はもちろん、録音された声すらない。この5年間に新しく入会した会員がいくらかはいると思いますが、そんな人はただの一度も池田大作大仏…いや池田氏を見たことないんです。元気にあちこち出回ったり、たくさんの執筆をしているという大仏さん…いや大作さんはすごいんだ、えらいんだ、偉大なんだ、師匠なんだと言われても、見たこともない人をどうやって人生の師匠として尊敬できるのでしょうね。
最近、特に創価学会は仏教色や日蓮色が希薄になっているようです。外部向けの紹介ビデオでは「祈る」ということは出てきても、何に祈っているのかをはっきり示しません。きっと創価学会本部も自分たちは何に祈っているのかがわからなくなったんじゃないでしょうか(笑)。昔は日蓮正宗総本山大石寺の大御本尊が、世界で唯一無二の一閻浮提総与の本門の本尊だとしていたわけですが、創価学会はそこから破門されてしまったので、祈る対象を失ってしまいました。だから勝手に自分たちで御本尊をコピペして改ざんしたものを大量生産して「これからはこれが本物の御本尊ですよ~ってことにして、今までのは偽物でした~、こっちが本物ですから買ってくださいね~一枚3000でいいですう~」と、本来ぬのであるはずの表装まで一緒にカラーコピーした紙切れを会員に買わせてたんですね。「あなたには特別豪華バージョンをあげますね」と言って10万円出させたりもしました。
これ、普通に考えて、というか、どう見ても、あからさまな詐欺ですよね。破門されたお寺の曼荼羅を許可なく改ざん複製して売りまくる。このこと一つとってみても、詐欺じゃありませんか?私はこのブログで繰り返し「創価学会は宗教ではなく詐欺団体だ」と言い続けているのは、こんなあまりにもわかりやすい詐欺の手法にいつまで騙されてんですか?って言ってきました。そういう私も5年前まで気づかなかったんですがね(笑)創価の詐欺が一つでもわかったら、あれもこれもみ~んな詐欺で、会員たちはまんまと騙され続けてきたんだということが、いやでもわかるようになります。それをわかった人が、具体的にどんな風にして騙されてきたのかを語っていただいてきたのがこのブログです。今現在、このブログに積み重なった約19000のコメント。そして約450万アクセス。これだけの記録があるにもかかわらず、創価は正しいと信じている学会員にとっては「こんなのみんな嘘だ」としか思えないんです。不思議ですよね。嘘やハッタリでこれだけの数のコメントが集まるでしょうか?これだけの数の人が、こんなに具体的な作り話ができるでしょうか?できるわけないです。仮にできたとして、何のためにするんでしょう。やる理由がありません。
ということで「対話を求めて」再開まで、あと8日。11月18日は、創価学会創立記念の日。この日に、創価学会は詐欺だということを、一人でも多くの人が声をあげましょう。「創価学会」をググると、誰のパソコンにも創価学会公式HPと並んでこのブログが出るくらい、たくさんアクセスしてください。3ヶ月半前に休止していなければ、今頃は500万アクセスのお祝いを書ていた頃ですが、これからまた来年の500万アクセスを目指し、また一人でも多くの創価学会員が創価が詐欺であることに気づいてくれるように、みなさんと一緒に声を上げていきたいと思っています。11月18日はそんな記念すべき再スタートの日にしていきたいと思っています。皆様のご協力をよろしくお願いいたします。とりあえず11月18日に、どなたでもひと言でいいのでコメントください。この時はいつもの自己紹介は不要です。名前とメッセージで結構です。創価がこの世から消え失せるまで、真実の声を積み重ねていきましょう。


■再開まであと5日です。         投稿日: 2016年11月13日

おそらく11月18日の創価学会や聖教新聞の公式HPには、誰が書いたのかもわからない「池田大作先生」のメッセージが載るんでしょうね。創価学会を検索したら、最初に出るのがこの公式HPですが、そのすぐ下に「創価学会は詐欺です」とたくさんの元創価学会員が告白しているサイトがあるというのは重要なことだと思います。
5年前に私が創価学会が詐欺だとうすうす気付きかけたとき、背中を押してくださったのが、希望さんの「白バラ通信」とクロさんの「真実と幻想と創価学会」でした。あ、それからもう一つが「創価の森の小さな家」という完全創価脳サイトでした。私が創価学会に対する疑問を自分でどうしようもなくなったときに、最初に見たのがこのサイトです。そのとき私はまだ半信半疑で「53歳学会員」というHNで創価に関する質問をしました。その様子は今でもここで見ることができます。
http://sokanomori.exblog.jp/17098281/
読んでいただくとわかりますが、創価に疑問を持った私を、このサイトの管理者は何一つ答えようとはせずに、すぐさま「なりすまし工作員」と断定して、他の常連創価脳の方々とともにけちょんけちょんに攻撃しました。上記のページには私のコメントも載せてありますが、私が書いたコメントはこの何倍もの量になります。明らかに答えようのない創価の矛盾に関する部分は載せていません。生まれた時から学会員にさせられて、そこそこ真面目に信じて活動をしてきた私が、50歳を過てどうしようもなく湧いてきた疑問に対して、気持ちを汲むような学会員はそこにはいませんでした。おかげさまで私はこれで創価学会は完全におかしいと確信が持てたのです。今となっては感謝しています(笑)。それから今度はアンチブログを見るようになりました。そこで一番しっくりと自分の中で納得できたのが、先ほど紹介しました「白バラ通信」と「真実と幻想と創価学会」です。いったん創価は詐欺だとわかったら、アンチブログの方が言っていることがスルスルとわかってきます。逆に創価を信じているうちは何も入ってきません。理屈じゃないんですね。「創価は正しいと先生が言ってるから正しい」それだけです。それ以上は自分で考えない。創価から言われたことは絶対的に正しいのだから、どんなにおかしなことであっても疑問を持つ自分の方がおかしいんだと自分に言い聞かせて、それ以上考えることをやめてしまいます。先の「創価の森の小さな家」にも日蓮の言葉について色々と書いてありますが、日蓮が本仏で、御書は絶対だという前提なので、言ってることが根底からおかしいんですよね。例えば日蓮は釈迦が法華経を説いたということを前提にしていますが、そもそもそれ自体が間違いであることは誰でも知っていることです。そもそも釈迦は自分の教えを文字にしなかったわけで、文字として残されている仏典というのは何百年もあとの聞きづてだったり、勝手に想像して書かれたものであることが判明しているわけですから、これ一つについても基本的に日蓮の教義は根本から破綻しているということになります。日蓮は鎌倉時代の僧ですから、宇宙がどうなっているかも、地球が丸いことはおろか、アメリカやヨーロッパの存在すら知らなかったわけで、当然キリスト教やイスラム教のことも知らないで、宇宙の法則は南無妙法蓮華経だなどと勝手にふれ回ったのですから、何も知らない当時の人たちならともかく、800年後の私たちがこんなものを信じること自体がどうかしていると思います。まさに、どうかしていたんです。こんなデタラメでも生まれた時から言い聞かされていると、理屈など関係なく信じてしまうのが人間なんですね。
そんなわけで、5年前の私は53歳にしてアイデンティティが崩壊してしまいました。もっと若い頃だったら、まだ頑張ってやり直していこうと思えたのでしょうけど、なんせ人生の大半をこんなインチキ宗教団体のいうことを信じてきたのですから、これから何を頼りにどうやって生きていけばいいのかわからなくなってしまいました。いてもたってもいられなくなって、このサイトを立ち上げたのです。いったい創価が詐欺だとわかった学会員たちはどうしているんだろう。どうやって生きているんだろう。そんな思いで、その時その時の自分の気持ちを整理するために、書かずにはおれませんでした。こうして言葉にしていくことで、なんとか自分を保てていると思っていました。しかし、すぐに鬱の症状が出ました。仕事にもプライベートにもいろんなことが上手くいかなくなりました。この時、もしまだ創価を信じていたなら、これが罰だと思い込んだのかもしれません。しかしもはや創価の教えは完全にインチキだという確信は揺らぎませんでした。それはあの創価脳サイト「創価の森の小さな家」の異様な世界を目の当たりにした経験が、私を創価に引きもどさなかったんだと今は思います。
この「対話を求めて」はそんな経緯を経て5年前の12月6日にスタートしました。いろんなことがありました。特に荒らしには苦労しました。でも後から考えると、荒らしをするような輩というのは、ネットの広大さを考えればほんの一握り、結局のところ数で言えばほんの数人だけが面白半分で攻撃してきたように思います。まあ、攻撃しなくても、よそのサイトや巨大掲示板などでボロクソ書いてあったりもしましたが、それは別にこのサイトに関してだけのものではなくて、もともと無法地帯のネット上でのことですので、いちいちそんなものを相手にするようなことではありません。考えるに、荒らしは取るに足りないものだという結論です。ただ、この荒らしをきっかけにしてサイト休止になったのも事実です。これは今後の荒らし対策のための良い経験として活かしていければと思います。それと創価脳の殴り込みが順にやってきました(笑)。私としては真摯に対応したつもりなのですが、一人残らず尻尾巻いて逃げて行きました(笑)。なので、これからは創価脳の殴り込みは相手にしないことにします。
「対話を求めて」再開まであと5日。皆さま、創価学会創立記念日でもある11月18日のコメントをどうかよろしくお願いします!創価が詐欺だと確信できた学会員や元学会員が、現実にこんなにたくさんいるんだということをはっきりとリアルに示す機会に出来ればと思っています。それがこのブログの最大の存在意義だと思います。どうかよろしくお願いします!


■明後日再開です。           投稿日: 2016年11月16日

今回、ブログを再開するにあたって、どんな風にやっていこうかといろいろと考えましたが、基本的に負担にならない形で、じわじわと続けていけるようにしたいと思っています。創価を信じて真面目に活動をやってきたあげくに、結局は大切な時間とお金をだまし取られ、友だちをなくし、社会的な信用もなくしてきたことがわかったら、本当に凹みます。凹むくらいならいいですが、失った人生や。家族や友人や仕事場の仲間に大変な迷惑をかけてきたことの取り返しのつかなさに立ち直れない人もたくさんいらっしゃると思います。逆にこのことを受け止められないばっかりに、変な理屈をこね回して「創価は変わってしまった」とか「自分が信じてきた創価を取り戻そう」などと、現実逃避に走ってしまう人も少なくないようです。例の3人組も、白いブランコさんも、その典型と言えるようです。どうにかして自分はまちがっていないことにしたい。ごめんなさいが言えない子供のようです。目の前の現実をきちんと受け止め、自分がやってきたことの過ちを素直に認める。それはたとえどんなに苦しかろうと、自分で乗り越えなければ先には進まないということだと思います。それは3人組のブログを見ればわかります。3人組はサイレントデモや集会を開催し、今度はほんまで出すそうです。ところで彼らのゴールはどこなのでしょう。彼らの行動で創価が心を入れ替えて正しい宗教団体に返信するとでも本気で思っているのでしょうか。それ以前に創価のどこが正しかったというのでしょう。創価は最初からただの詐欺団体だったということに気がつけば、すべての謎が解けます。つまり「自分は騙されていたんだ」ということに気がつくことです。自分が騙されてきたわけがない。そう思いたい気持ちは痛いほどわかります。でも現実を見なけれなならないのです。創価学会員は一人残らず騙されてきた。創価学会は最初から宗教でもなんでもない、ただの詐欺団体だった。そのことを受け入れて、なおかつ騙されてきた自分の現実も受け入れて、そしてこれからどうやって生きていけばいいのかを語り合える場にしていきたいと思っています。まずは11月18日に皆さんとの再会をお祝いしましょう。何かひと言でもいいですからコメントをお願いします。そして初めて来られる方も「なるほど創価ってそうだったんだ」とわかる場にしていければと思います。皆さん、どうかよろしくお願いします。


■明日再開です。           投稿日: 2016年11月17日

そういえば、今思い出したのですが、このブログ「対話を求めて」が休止したのは二度目です。一度目は、コメントの制限を全くしていなくて、それでもある程度はスムーズに進行していたんですが、やはり途中からおかしなのがワラワラ湧き出てきて、一旦休止した経緯がありました。それからしばらくして、コメントを承認制にした上で再開しました。その後は特に大きな問題もなく、アクセス数もどんどん増えてきて、1日8000を超えるほどになり、創価がじつは詐欺団体だったということに気づいた方も随分増えたようでした。相変わらずなりすましや嫌がらせや、時には創価脳の殴り込みなどもありましましたが、それらをコメントされる方がどう捉えるのかという考え方の違いで、意見の分かれるとこととなってしまい、なんだか違う方向に陥ったようでしたので、ここで一旦休止させていただきました。これ管理人の私もかなり疲弊してしまいましたが、皆さんからの励ましや要望のコメントをいただき、ゆっくりと考える時間をとれたおかげで、明日再開の運びとなりました。皆さん、明日はたくさんコメントくださいね~

 

 


解説
特に言うことはありません。

獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:削除防止対策のための更新(2)

2022-05-18 01:36:37 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■宗教って何だろうな           投稿日: 2016年10月5日

このブログを中止して、まだ3ヶ月も経っていないんだなあ…とちょっと不思議な感じがしています。毎日皆さんから送られてくるたくさんのコメントを見ていた日々が、もうずいぶん昔こと以下のように感じてきましましましました。
まだ決めたわけではありませんが、もしこのブログを再開するとしたら、以前とは違ったスタンスでできるような気もしてきました。今も「ブログ再開を楽しみにしています」というコメントをいただきます。当初はそれもちょっと辛かったのですが、今では普通に受け止めることができるようになりましましましました。
3ヶ月という期間は、気持ちを落ち着けるという意味では、一つの生理的なスパンなのかもしれません。ブログを中止しても、やはり1日のアクセスが2000年を下回ることはありません。ありがたいことだと思います。このブログに寄せられた創価問題のあからさまな実態を見ていただいているということだけでも、このブログの存在意義はあると思っています。その意味でも、このブログが閉鎖にならないように、こうしてときどき更新させていただいています。
創価問題とは関係なく、「宗教って何だろうな」といったことを漠然と考えるようになりました。もちろん創価学会は宗教ではありませんから、例えば「創価の宗教的な部分」とか「創価の宗教的ではない部分」などといった検証など何の意味もないと思います。それとは別に、人間が「宗教のようなもの」に依存し、正常な思考ができなくなってしまうことで、人類は様々な間違い繰り返してきたのだと思います。つまり、一般に「宗教」と思われているものでさえ、人の心を翻弄し、果ては殺戮や戦争さえ美化してしまうようなことが、そのまま人類の歴史なっしまっているということです。「果たして人間にとって宗教なるものが必要だったのかどうか」といったとても大きな疑問に対して、漠然と考えるようになりました。だからと言って、ブログを再開して、こうしました大きな問題を語るような場にする気はありません。きっと問題が大きすぎて、本来の創価問題がおろそかになっては本末転倒になってしまうと思うからです。
ちろん人間を意図的に操作する道具としても使える宗教を、創価は見事に使いこなし、多くの会員から尊い人生そのものを奪い取ってきたんだと思います。それは今さら議論するまでもない事実であり、そのこと疑問を挟む余地などありません。「創価学会は宗教ではなく詐欺団体だ」このことは何をもってしても揺るがないと思います。ただ近頃では、創価学会のようなインチキ宗教ではない本来の宗教、例えばキリスト教、イスラム教、仏教が人類に及ぼしたことの功罪は、いい意味でも悪い意味でも計り知れないと思うし、こうした世界の主要な伝統宗教以外でも、人間の住む場所には何らかの「宗教」が発生し、人間の未知の部分を満たしてきたんだろうと思います。あらゆる宗教に共通するものは、人間の思考の届かない部分に答えをあたえてくれる何かだと思います。思考が届かない部分なのだから、それが正しいか正しくないかを検証することはできません。まさにそれは信じるしかない。つまり多かれ少なかれ宗教とは思考停止するための何某かであるということだと思います。だからこそ西洋の近代哲学もサイエンスも宗教を否定することから始まりました。否定というよりも疑うことの大切さを教えてくれたのが哲学です。あらゆるものを疑い、徹底した思考実験を繰り返しながら、宗教の持つ危うさを検証していったのが哲学でありサイエンスだったのではないかと思います。しかしどんなに哲学やサイエンスが思考や実験を繰り返し、宗教の危うさを暴いても、多くの人たちはやはり宗教に人生を委ね、幸せを感じたり、あるいは不幸に陥れられたりを繰り返しています。
多くの宗教が何某かの「神」「力」「意志」の存在を信じることが前提で存在してきました。しかし唯一、そうした「思考を超える力」の存在を否定し、現実を直視すること説いたのがブッダではなかったのかと思います。ブッダの思想は「信じること」ではなく「徹底的に疑うこと」まさに哲学なのだと思います。しかしそうしたブッダの思想も、後継者の手よっていつの間にかブッダの否定する「神」を無条件に信じた思考停止の中で自己の幸福感を求めるような他の宗教と同じようなものになってしまったような気がします。権力掌握する者が、多くの人の心を掌握し意図的に動かしていくには、この「思考不可能な超越した力に自己を委ねる」という宗教の教えが、いちばん手っ取り早い方法だったのだろうと思います。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は同じ「絶対唯一神」を信じています。大雑把に言えば多くの仏教でも「釈迦」を神として崇めます。世界人口の約75パーセントがキリスト教、イスラム教、、ヒンドゥー教、そして仏教の「神」を信じています。人類の歴史の中で神の存在証明を行った人間は皆無であるにもかかわらず、世界の無神論者は10%でしかありません。これから科学が発達し、宇宙物理学や量子理論が世界の謎を解き明かしたとしても、きっと人間は見たこともない「神」の存在を信じることに幸せを追い求め生きていくでしょう。そうしました意味でもブッダ(=目覚めた人)は、本当にこの世が何なのかに気づいた唯一の人間だったのかもしれません。そこには神も仏もない、時間も空間も、始まり終わりもない、単なるエネルギーの連鎖反応でしかないこの世の姿を捉えていたのではないかと思います。残念なことにその卓越した思想が伝わらなかった。そうして人類はありもしない「神」存在に身を委ね、権力者に利用され、あらゆる過ちを繰り返してきた。これが人間の歴史なんだろうなあと漠然と思いを巡らしています。


■『宗教を語る』というサイト       投稿日: 2016年10月9日

「宗教って何だろうな」って考えていくうちに、このブログでも紹介したことがある『宗教を語る』というサイトが、ついこのあいだ突然閉鎖されていました。このサイトを10分の1でも読めば、創価学会が詐欺ってことは十分すぎるくらい理解できるし、それよりももっと大きな視点で、そもそも日本の仏教自体がいかにいい加減なものかということもわかります。特に鎌倉時代に出現したいわゆる祖師仏教がいかに本来の仏教とはかけ離れたものであるかが克明に記してあります。もちろん他の宗教についても、半端ない説得力で誰にでもわかりやすく解説されていましたから、私も頭の中を整理するにはとても役に立ったし「なるほどそういうことだったのか!」という目から鱗体験も多数ありました。うすうすそう思っている人でも、ここまでしっかりと理論立てて説明してくれているサイトはそうありませんでした。なので突然の閉鎖は実に残念でした。是非とも再掲していただきたいものです。


■今もメッセージをくださる皆様へ    投稿日: 2016年10月22日

サイトを休止しているにもかかわらず、本名やアドレスを載せてまでメッセージをくださっている皆様、本当にありがとうございます。また私のことをご心配してくださること、たいへん恐縮です。おかげさまで私は元気です。皆様からのメッセージはきちんと読ませていただいております。ただコメント欄を公開して皆様へお返事ができる状況ではありませんので、どうかご理解ください。
今後についてですが、今の時点でいつからとは言えませんが、気持ちとしては、ブログ再開に向かっております。それは皆様からの心のこもったメッセージによって「やっぱり創価問題をリアルタイムに伝えていくサイト必要だ」と思いを新たにしています。休止してからのこの3ヶ月間で、それまでと生活のリズムが変わりましたし、創価問題に対するスタンスもある程度変わりました。以前は気持ち的に逼迫していましたが、今はかなり遠くから創価問題を眺めることができるようになったと思います。まだどういう形になるかはわかりませんが、創価によって人生をめちゃくちゃにされた人が実際にこれだけいて、人生をめちゃくちゃにされたことを気づかないで一生を終えてしまった人も数え切れないほどいるのだということを、しっかりと記録し残し、伝えていかなければならないと思っています。


■「宗教を語る」が復活していました   投稿日: 2016年11月2日

先日、削除されて残念だと言っていたブログ「宗教を語る Think about religion」が復活していました。とっても嬉しいです。
http://shukyo-kataru.com/
こんなにきちんとしてわかりやすく宗教を解説したサイトは珍しいのではないでしょうか。ぜひ読まれることをお勧めします。
ただ、創価脳の人が読んでもまるでわからないと思います。と言いますか、たとえ読もうとしても創価シャッターがガラガラガッシャーンと降りてしまうでしょうから(笑)
創価に疑問を持つことのできた人なら、このサイトに書かれていることはすぐに理解できると思います。創価に興味がない人でも、一般的な宗教についてのことが「なるほど」と納得できるのではないでしょうか。
私もまだ全部を読んでいるわけではありませんので、少しずつでも読んでいきながら、「宗教って何だろうなあ」といった漠然とした疑問について、自分なりの考えを整理してみたいと思います。

 


解説
「宗教を語る Think about religion」
http://shukyo-kataru.com/
は現在、つながりません。
なにやら危険なページに誘導されるとノートン先生が警告しています。
ご注意ください。


獅子風蓮


対話ブログ・ステージⅢ:削除防止対策のための更新(1)

2022-05-17 01:33:13 | 対話ブログ

「海さんとの対話」の準備が滞っているため、対話ブログ・ステージⅢを少し、挟み込みます。

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)


■ブログの再開ではありません。   投稿日: 2016年8月6日

申し訳ありませんが、タイトルのとおり、ブログの再開ではありません。ブログを休止してからも、メルアドや本名を入力しなければコメントできないにもかかわらず、多数の方にコメントしていただきまして恐縮しています。ブログを休止している以上、みなさんからのコメントを公開するわけにはいきません。ご理解ください。
ブログを休止してからまだ3週間しか経っていませんが、とても長く感じています。おかげさまで気持ちの余裕もできました。この4年半のあいだ、毎日かなりの時間をこのブログに割いてきたんだなあと、あらためて感じています。
また、多数の方がこのブログの再開を望まれているといったコメントや、ゆっくり休んでくださいとのお気遣いも、ほんとうに感謝しています。
まだブログの再開は考えていませんが、ときどきは更新しないとブログをまるごと強制的に削除されるようですので書いています。
ブログを休止しても、まだ毎日2000以上のアクセスがあります。少なくともこれまでみなさんからいただいたコメントは、これからも読める状態にしておかなければと思っています。
ひとりでも多くの創価学会員さんが騙されていることに自分で気がついてくれるように願ってやみません。


■現況報告            投稿日: 2016年8月30日

ブログを更新しないでいると閉鎖されることがあるので、ブログ再開ではありませんが、閉鎖防止対策として現況報告をさせていただきます。
おかげさまで、ブログを休止してからの時間が、自分の中のいろんなことを解決に向かわせてくれているような気がします。
ブログ休止の頃からすると、少しずつ創価に対する考え方や感じ方に変化が出てきたような気もします。変化というか、創価学会というものをより客観視することができたかもしれません。かといって、以前のように皆さんから具体的な創価問題を提示してもらったり、対話を進めていけるような状況ではありませんので、ブログ再開とまではいきませんが、それでも休止してもなお毎日2000以上のアクセスがあるということは、まだこのブログにも存在する意味があるのだろうと思っています。
私はこのブログを通して「創価学会は詐欺団体だ。学会員は完全に騙されていることに気がついて欲しい」ということを繰り返し言ってきました。もちろんその考えは今でも一つも変わりません。こう思っている人や、実際の体験として思い知らされたものすごい数の人の思いが、それぞれの真摯な言葉として積み重なっているのですから、その事実は誰にも否定することはできないし、たとえ誰かが否定したとしても、このブログに積み重ねられた実体験を前にして、どれほどの説得力があるかということです。
世の中には、創価問題以外にも、人が人として幸せに生きることができないような問題が山積しています。創価学会の本当の姿が暴露されて創価が崩壊したとしても、世の中が薔薇色になるわけではありません。例えば創価学会以外にも新興宗教の犠牲者はいくらでもいます。しかし創価学会が崩壊すれば、少なくとも創価学会に騙されて一生を棒に振ってしまう人がいなくなることは確かです。創価学会がどれだけの数の人を不幸にしてきたのかということは、このブログに集まった皆さんのコメントからもはっきりしています。どこの誰であろうと、皆さんの真実の声を否定する術はありません。しかし創価は正しいと思い込んでいる学会員は、今もなおこの事実を認めることができません。学会員はこの事実を否定もできなければ認めることもできないのです。どうあがいても動かしようのない目の前の事実を見ようとしない自分に疑問すら感じない。それは目の前の現実を真正面から見ることに言いようのない恐怖心を植え付けられているからでしょう。言い換えればこの恐怖心を払拭することが、自分が騙されてきたことに一人また一人と気がついていく方法なのだと思います。同時にこれまで創価学会が正しいと信じて生きてきた自分を否定しなければならないことの恐怖。自分の人生においてもはや取り返しのつかない失敗をしてしまったということを認めることの恐怖。だからこそ何が何でも「創価は正しい」「創価を信じてきた自分の人生が間違っているはずがない」と必死にしがみついて自分に言い聞かせているのではないでしょうか。
自分が創価に騙されて不幸になっていることに気づかない。同時に周りの人をも不幸にしていることにも気づけない。創価学会員は、そうした人の集まりです。どう考えても幸せじゃないのに幸せだと思い込まされている。新興宗教に共通して見られる状況ですが、創価学会はその最たるものであるし、その数が膨大なために社会的な影響力も大きいと言えます。
結局、このブログで何ができるかを考えた時に、やはり最初から言ってきたように「自分で気づくしかない」ということだと思います。自分で気づくこと。つまり目の前の現実を直視して、これまでの自分の間違いを素直に認めること。この人として当然のことのように思えることができないのが創価学会員だということです。だからこのブログでは「自分で気づいてください」ということを一貫して述べてきました。自分で気づくためのいろんな話を皆さんから募りました。そして結果的には創価が詐欺だと気づくための、もう十分すぎるほどの量だと思います。ですから、これから先このブログを再開して何ができるだろうか?ということも考えてきました。ブログの運営の大変さに見合うだけのものがあるのだろうか?とも考えました。一つは、創価に騙され人生を棒に振ってきたことに対する絶望感から少しでも立ち直れるようなコミュニティという位置付けもあるかもしれません。創価に騙されてきたり、あるいは自分が誰かを騙してきたことに対する罪悪感を告白する場所という位置付けもあるかもしれません。そういう意味では、まだこのブログの存在意義はあるのかもしれません。
創価が正しいと信じている人にとっては、このブログの何もかもが自分の人生を否定するものであるわけですから、まともに読むことすらないわけです。ただ、ちょっとでも自分の中に創価への疑問や矛盾が芽生えた人にとっては、皆さんの体験がどうしようもなく身につまされるものであるはずです。このブログの存在意義はそこだと考えます。「もしかしたら私は創価に騙されてきたのかもしれない」という悪夢のような疑問に明快に答えてくれる膨大な数のコメント。それがここにある。そしてこれからもどんどん増殖する。そしてそれらを見る機会が百万単位で増えていく。そう考えると、やはりこのブログをなんらかの形で再開した方がいいのではないかとも考えています。
申し訳ありませんが、今の段階でお伝えできることはここまでです。


■創価問題とのスタンス        投稿日: 2016年9月12日

引き続き、ブログの削除防止対策のための更新です。
今でも何人かの方が、メアドや本名を書き込んででもコメントしてくださる方がいらっしゃいます。私を信用されてのことと思います。ありがとうございます。もちろん個人情報は適切に対応させていただいております。
おかげさまで、ずいぶんと気持ちの整理ができたような気がします。ブログを運営してきた4年半の間、自分の中でいつも創価問題がかなりの領域を占めていました。それは創価問題自体の大きさもあるのでしょうが、ブログを通じてたくさんの方の意見を伺ったり、時にはくだらないウンコタレ対策に時間を奪われたりで、自分の時間のかなりの部分が必要以上に創価問題に占拠されてきたんだなと、今になってあらためて感じます。逆にこのブログを休止してまだ3ヶ月も経たないのに、自分の中の創価問題に対するスタンスが違ってきたことも感じています。つまりブログ運営中はやはり必要以上に熱くなってたんだなということです。とはいえ、別に創価問題に対して冷めてしまったというわけではありません。皆さんからは今でも「落ち着いたら是非このブログを再開してください」とコメントを頂いています。全く更新しないしコメントも受け付けていないのに毎日2000程度のアクセスがあるので、やはりブログの再開をしたほうがいいのかなとも思っています。ただ、これまでと同じようにやることはどうなんだろうとも思っています。というか、今の私の創価問題に対するスタンスの変化が、以前のような形でのブログ再開は出来ないししたくないなと思っています。
どんな形がいいんだろう。今はそんなことを考えているところです。


解説
特に言うべきことはありません。

獅子風蓮