■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)
●の文章は、それについたコメントの引用です。
■財務という名のカツアゲ 投稿日: 2016年11月28日
皆さん、さっそくお返事いただきありがとうございます。
テーマについては、皆さんのご意見を参考にさせていただきつつ、基本的にはこれまでと同じように、私の方で決めさせていただきます。
要は、このブログの趣旨に賛同された皆さんが、積極的にお話をしていただければ、多少の脱線も含めて多いに結構なことだと思うわけです。いちばん避けたいのは変な雰囲気になったり、妙な気を使わなければならなくなるような事態ですね。挨拶だとか自己紹介だとか管理者として色々言ってきましたが、普通に人と話をする感じで書いてもらえば何の問題もないんです。
私は管理人として、これからの方向性を色々と模索していきたいと思います。皆さんはこれまでどおり、思うところを書き綴っていただければ嬉しいです。
ということで、今回のテーマは、何人かの方が提案されていましたように、また時期的も今が真っ盛りであろう「財務」にしたいと思います。皆さんがこれまでどんな風にして財務を行ってきたか。どれだけのお金が集まって、いったい何に使われていたのかも一切明かさない財務について、なぜ何の疑問も抱かなかったのかなど、これだけとっても話は尽きないし、思い出すだけでも悔しい思いをされる方がたくさんいらっしゃると思います。創価の収入源として、おそらく財務の占める割合が多いと思われます。もちろん、聖教新聞の購読費や、掲載広告による収入や、会員にノルマとして買わせる書籍や、ペット霊園みたいな貧弱な墓を一人で軟区画も買わせたり、ご本尊が変わったからといってただのカラーコピーに買い替えさせたりと、ありとあらゆるいろんな手を使って会員からお金をふんだくっています。職員の給与や会館の維持費にこんなにもお金がかかるわけがありません。本来お金がかかるはずの会館の警備やメンテナンスも会員の無料奉仕です。聖教新聞の配達や集金業務もほぼ無料奉仕。ではいったいそのお金はどこに流れているのか。宗教法人故の非課税。非課税というメリットもさることながら、どれだけのお金が集まっているのかを公表しなくていいという、創価にとっては最大のメリットがあります。パナマ文書にも創価の名前がありましたが、実際はそんな生易しいものではないでしょう。どれだけのお金が集まっていて、何に使われているかも大変な問題ではありますが、そんなことに少しも疑問を感じないまま、言われるがままに毎年毎年組織単位で競争しながらお金を出している一般会員の洗脳ぶりが最大の問題だと私は思います。
皆さんにとっては嫌なことを思い出させることになるとは思いますが、何も考えずに創価にお金を貢ぐような人が一人でも減るように、皆さんの財務にまつわるお話を中心に聞かせていただければと思います。
テーマは「財務という名のカツアゲ」。ちょっと刺激が強いですか?まだ創価を少しでも宗教だと信じている人にとっては「なんてことを言うんだ(怒)」となりそうですが、創価の財務がカツアゲでなくて何なのかと逆に訊きたいくらいです。創価の目的はお金です。何の見返りも与えることなく、ただひたすら会員からお金を巻き上げること。そのための日蓮の教えであり、組織であり、会合であり、聖教新聞であり、創価学会仏であり、池田大作大先生です(笑)。何も疑わずに持っているお金を効率的に差し出させるには、インチキ宗教がいちばん手っ取り早い。創価以外にも怪しい新興宗教が山ほどあるのはこのためです。サラ金やエロ雑誌の販売で小銭を稼いだり失敗したりしていた戸田・池田の悪徳コンビは、もっともっと確実に金儲けをするにはどうしたらいいかという悪知恵を働かせた結果「よし、いっちょインチキ宗教でドカンと儲けてやれ」そう考えたわけです。金儲けのためのインチキ宗教だからこそ、教義の内容なんてどう変わろうが、会則が180度変わろうが、会員が信じてしまえばOK。きっと彼らは自分にこう言い聞かせてきたでしょう。「騙される方が悪い」。そう、騙される方が悪い。それだけです。だからもう騙されないようにしましょうよ。今までは騙されてきたかもしれない。なぜか?それは自分で考えることをやめてしまったから。なぜか?自分で考えると不幸になると言われたから。それが恐ろしくて自分で考えることをやめて、言われたとおりのことをやれば必ず幸せになれる。それが宇宙の法則なんだと。こうして多くの人が幸せになりたいがあまりに自分で考えることをやめて、「お金を出せば出すだけ幸せになれる」と言われたとおりに、お金を出し続けてきたわけです。こうして創価学会は会員が出すお金でどんどん大きくなりました。大きくなりましたが会員は幸せになどなってません。自分で考えないから、幸せになっていないことにも疑問を持てなくなってしまった。たとえ疑問を持っても、疑問を持つと福運が消えるとか、魔が競ってきたとか、適当な脅し文句で黙らされる。日本全国この繰り返しで、創価学会はいまだにお金をいくら持っているのか会員は誰一人知りません。そしてそのことに何の疑問も持ちません。一般のカツアゲはお金を取られた被害者は被害意識がありますが、創価のカツアゲは被害者意識を持てなくしてますので犯罪として立件できません。それも計算ずくです。計算ずくのカツアゲに変わりはありません。
最近まで創価を信じていた人にとって、また、これまで数百万、数千万円の財務をしてきた人にとっては相当なショックでしょうけど、これが現実です。こんなひどい話ってないでしょ。でもこれが現実です。創価が詐欺だと気づいたなら、この残酷な現実をしっかりと受け止めるしかないんです。きちんと受け止めた上で、これから先どう生きていくかを考えなければ、あの3人組のように、苦し紛れの自己正当化行動に走るしかなくなります。白いブランコさんのように、八方塞がりになってしまいます。あるいは精神的に参って、現実逃避の世界に逃げ込んだまま帰らぬ人となってしまいます。辛いけれども辛い現実を辛い現実としてきちんと受け止める。そのためにこのブログで多くの人が気持ちを共有しようと頑張っていらっしゃいます。このブログはそのために存在します。自分が創価にどんな気持ちでどれだけお金を貢いできたか。その現実を受け止めるためにここの皆さんのお話に耳を傾けてみてください。
●signifie (2016年11月28日 21:22 )
今はどうか知りませんが、ラザリスさんがおっしゃるように、自分の生活もままならないくらいお金に困っている人にも「困っているからこそ全てを出しきるんだ。本当の信心かどうかを試されているんだ」などと言って借金させてでもお金をむしり取っていきました。お金を借りてもいないのに巻き上げていくんですから、サラ金よりタチが悪い。昔は銀行振り込みではなくて、会館などに現金を持って行ってました。誰がいくら出したかが筒抜けでした。今は振り込みで、領収書も封書で来ますから、ある程度の幹部しか知られないようですね。どうしても財務をしなければならないような状況の方は、それこそ1円でもいいんじゃないでしょうか。婦人部長が喜んで領収書を持ってきますよ。「今年は一億円振り込みました。来年は2億円振り込みます」とか言ってやればいいんです(笑)財務なんかで大切なお金をドブに捨てるくらいなら、ふるさと納税とかすれば、本当に結構なお返しが確実にもらえますよ。
「真心の財務をしましょう」とか言いながら、「金額が多ければ多いほど功徳がある」と露骨な拝金主義が創価学会です。もうこれ一つとっても創価がインチキ宗教だって、普通ならわかりますが、学会員はわかりません。わからないまま「これで幸せになれる」「これで何倍にもなって返ってくる」「100万円預けたら200万円になって返ってくるんだわ」って、別に預けたわけじゃないんです、あげたんです。何に使っているかも知らされません。創価学会創立85年の間に、財務の使い道を会員に知らせたことはただの一度もありません。教えてくれと言った会員もいません。気持ち悪いですね。何から何まで気持ち悪い。こんなのが宗教であるはずがない。でも会員は気がつかない。というか、がつくのが怖い。散々脅されまくってますから。蓋を開けてみれば単純な詐欺ですよ。
●二郎 (2016年11月28日 21:30 )
社会人になったばかりのころ、「財務の金額が最低1万円って、高くないか?」と思って(実はそれ以下でも問題ないですが、当時は知りませんでした)、地元の幹部に質問してみました。だって、年始に神社にお参り行く人だって
お賽銭はせいぜい100円程度でしょうから。
すると、やっぱり、「こいつ、何言ってんだ」的な雰囲気になりました。
当時は、会館を使わせてもらってるんだから、そのお金と捉えるように努めましたがね。
この考え方をしている人は結構います。
しかし、会館って、活動家は減っているのに、頻繁に建設されていますよね。
ここ数年は聖教新聞とってないのでわかりませんが、少なくとも数年前までは、新聞に会館建設の話が頻繁にのっていました。
そんなに会館は必要はないと思うのですが、会館建設に絡む利権でやめられない事情があるのです。
会館建設には様々な業者が関与しますが、創価はお抱えの業者に発注します。
競争原理がないので、単価は高いです。
その業者は創価がお得意さんですから、見返りに
①S大卒業生の就職先にもなっています(1部上場企業含む)。
②聖教新聞にも広告を出しています。
ここまでは、客観的事実。
これ以下は推測ですが、選挙の際は公明党に入れるよう、業者にお願いしていることは間違いないと思います。その他、私も知らない相互扶助の関係になっていることでしょう。
これらの関係を維持するために、活動家が減っていて会館を作り続けなくてはならないのです。
そのお金は、当然、財務が根源になっています。
●フッポウシ (2016年11月29日 08:58 )
signifie様、皆様はじめまして フッポウシといいます。学会二世で数年前まで支部長、現在副本部長の50代の壮年です。支部長時代に体調不良を理由(一生奴隷だと気づき)に一切活動を辞め聖教と大白もやめました。会社勤めをしながら朝の4時から聖教の配達も14年もしてました。ここのブログは2年前から拝見してます。signifie様の言う通りやっぱり創価は詐欺だった、騙されていたと確信しました。私の財務は去年は10円です、今年は1円(夫婦で2円)の予定です。領収書の金額は地域の幹部は封筒開けない限り判りません。1円で大丈夫です。困っている皆様も財務は1円にしましょう!本当は1円もしたくないんですが、両親が健在なうちは仕方がないですネ。それと聖教の配達時に公明新聞も一緒に配るのがいまだに腹が立ってます。いずれテーマとして聖教関連を取り上げて戴ければ嬉しいかぎりです。
●希望 (2016年11月30日 20:51 )
「白バラ通信パンドラの箱」の希望です。
「財務という名のカツアゲ」というタイトルには感服致しました。私も、シニフィエ様のようなセンスの良さを身に付けたいと感じました。
裁判所に私が提出した準備書面にも記載したと存じますが、創価学会の副会長の間では、財務の金額に関する申し合わせがあるようです。一律2万円とのことです。
この申し合わせに関しては、和田公雄元創価学会海外相談部長から、私は、直接伺いました。和田公雄氏は、創価学会の悪行のすべてを知り尽くしている人物です。この方が、真実を語るならば、創価学会は大きな社会問題となり、必ず、一気に崩壊するはずです。
●signifie (2016年11月30日 21:03 )
そういえば、以前このブログで財務の話題の時に、どなたかが「創価の職員の財務は一律2万円と決まっている」という話をされたことがありました。まさか副会長までが2万円で済ませているというのにはびっくりポンですね。一般会員には3桁だの4桁だのとうるさくけしかけておきながら、自分が出すのは2万円。こんな話を聞かされても、創価脳はなんとも思わないんでしょうね。
●satou (2016年12月1日 00:58 )
「世界一楽しい創価アンチブログ」http://blog.goo.ne.jp/kai9055の海さん(旧モニカさん)が書かれている創価の財務に関するたとえがとても分かりやすいと思ったので、こちらでも紹介させていただきたいと思います。
以下転載
「振り込め詐欺シーズン」なのでとことん書いておきます。
①「もしもし俺だよ。会社の金使いこんじゃって…母さん助けてくれ…」
騙されて3桁振り込んだ。
②「真心の御供養です。喜んで出させて頂くという真心を御本尊様は見ています」
騙されて3桁振り込んだ。
受け取る方は双方とも、真っ赤な嘘をついて人を騙し、金を出させるという点で手口は同じである。
だけど①は警察が動くのに②は動かない。
振り込んだらおしまいだ。
会社の金が使い込まれているのが事実なのかは証明できるけど、宗教なんて証明のしようがない。
騙している方が「騙すなんて滅相もない!これは信仰なんです。こちらも本気でそれが御供養だと信じます。その気持ちは嘘じゃないんです」と言い逃れできる。
会員に何か言われたら、元気よく定番を言えばいい。
「詐欺って言うなら警察行けよ」「法に訴えろよ」(^▽^)/
これがドライな宗教ビジネス。
転載終わり
「振り込んだらおしまいだ。」絶妙な表現です。そして振り込んだらそれで終わり。待て暮らせど素晴らしい功徳も福運も何倍ものリターンもやってはきません。良いことがあって財務のおかげだ!と結びつけたくなるようなことがあったとしても、ただの偶然。財務しなくても起こったことです。タイミングが合っただけです。そういう錯覚を起こすように洗脳するのが宗教ビジネス。やめたらよくわかりました。何の因果関係もなかったことが。財務してもしなくても、創価をやってもやめても、良いことと悪いことは普通にあるだけです。恐怖心からカツアゲに屈して財務することが宗教とは思えません。
●おてもやん (2017年5月24日 19:22 )
gkrsnamaさんへ
はじめまして、元学会2世だったものです。
いろいろと大変だったんですね・・。「根性論で体育会系のブラック企業そっくり」とはまさにそのままズバリな表現だと思います。
>年1万円の会費ならごく普通。
この部分に、私の心の古傷が反応してしまいました(^_^;)
財務の時の会合というのを女子部、婦人部とず~っと見てきました。
会費として1万円と謳って徴収するなら誰も文句を言わないと思うのです。
ところが、「真心のご供養は福運、功徳がある、家族は守られる、家は栄える!」なんて池田大作ら学会本部が言うわけです。
会合に行けば
「私は3桁やりましたー!!今、貯金はすっからかんですが清々しい気持ちです!」
なんて話を財務のたびに聞かされる・・・。
すると、「1口だけの私・・・お金を惜しむこの心。これでは真心の財務でなくなる・・・・」と、罪悪感がふつふつと。
前にも書きましたが、忘れられない財務のあの一件。
「あなた、いくらやるの? 2万なの?今年は100年に1度の財務よ!もっと出せないの?」
うちの玄関先でこんな嘘を言って私に20万もの財務をさせた大阪から来た婦人部長、それを傍観してた地区担!
絶対許さん。お金返して!!・・・・・と、今も根に持っています(^_^;)
gkrsnamaさんの言うように「会費」として徴収すれば問題ないのに・・・・と、本当に思います。
「なまじっか金を持つと人はみみっちくなるんだ!財務をケチるな!」
これは、創価学会の大幹部柏原ヤスの指導が大好きだった母がよく私に言っていた言葉です・・・。
【解説】
財務の問題は私も感じていました。
皆さんのコメントの内容に、深く共感しました。
40年前から主張してきたことですが、会としてのきっちりとした会計報告をしてこなかったことが一番の問題だと、私は思います。
獅子風蓮