獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

ガーシー(東谷義和)『死なばもろとも』(7)

2023-11-20 01:10:40 | ガーシー

ガーシーには嫌悪感が先に立つほどだった私ですが、ガーシーのおかげで救われたという人もいたのですね。
また彼は家族思いで、母や妹には今でも慕われているようです。
ガーシーについて、好奇心がわきました。
ガーシーはどのように育ったのでしょうか。
彼なりの正義とはいったいどういうものなのでしょうか。

そこで、ガーシーの自伝的な本があるというので読んでみました。

ガーシー(東谷義和)『死なばもろとも』(幻冬舎、2022.07)

かいつまんで読んでみたいと思います。

(目次)
□序章 ジョーカー誕生
□第1章 逃亡者
□第2章 しゃべりだけで成り上がる
■第3章 芸能界への扉
□第4章 アテンダーという裏稼業
□第5章 酒と女とカネと反社
□第6章 死なばもろとも
□第7章 社会の不満が生んだ怪物

 

第3章 芸能界への扉
■ロンドンブーツ田村淳との蜜月
■田村淳にプレゼントした三菱自動車のデリカスターワゴン
■「GaGa JAPAN」の近岡健司
□伊藤英明、長瀬智也、堂本光一、ISSA、加藤晴彦、金子賢
□エイベックス松浦勝人
□関東連合がベンツでさらったロンブー田村淳
□吉田里深、安西ひろこ、松田純との王様ゲーム
□品川祐とガーシーの乱闘事件
□島田紳助さんとの出会い
□品川祐との15年越しの和解
□忖度と恩義は違う


ロンドンブーツ田村淳との蜜月

芸能界は遠く離れた雲の上の世界、自分なんて一生縁がない。そんなふうに思っている読者もおるかもわからん。
けど、芸能人も一般人も同じ血が通った人間や。ストレスが溜まればイライラして、パーッと発散したくなる。いつも笑顔を振りまいてばかりもいられん。スポットライトが当たらない場所では、芸能人かてみんなと同じ生身の人間や。
走り屋をやってたころの俺も、芸能界なんて自分とは縁遠い世界だと思っとった。 それがひょんな縁から、ロンドンブーツ1号2号の田村淳と仲良うなった。すると、あっという間に芸能界とのパイプが貫通した。
芸能界は雲の上の世界なんかやない。芸能界も世間も地続き、ひとつながりの同じ地平やったんや。
学生時代から20代初めにかけて、俺はナンパ目的のサークル活動を5年もやっとった。携帯電話に登録されてる女の子の電話番号は、ハンパない蓄積や。淳が大阪に仕事に来ると、番組の収録が終わったあと「ヒガシさん、今日大阪に来てるんだけど遊 ぼうよ」と誘われる。
ロンブーの淳と一緒に飲めるとなれば、ミーハーな女の子なんていくらでも集まる。みんなキャーキャー大騒ぎや。女の子を大勢呼んで、シャンパンをポンポン開けてハメを外す。気に入った子とエエ雰囲気になったら、お持ち帰りしてワンナイトラブを楽しめばいい。淳が気晴らしできるよう、女の子を紹介するようになったのがアテンダーの仕事の始まりや。
1990年代当時、俺の携帯電話には7000~8000人の電話番号が登録されていた。今と違って番号ポータビリティ制度がなかったから、機種変すると電話番号が変わってまう。
だから連絡先が途中でわからなくなる子もおった。新しい女の子の連絡先は随時追加していたから、新陳代謝はうまいこといってたと思う。
俺はマメやから女の子の連絡先はグループ分けして検索しやすいようにしておった。東京の子は「TK」、大阪の子は「OS」とタグ付けしておく。
「淳と飲むんだけど、今日××に来れる?」と一斉に連絡を送る。100~150人 に一斉に連絡すれば、即レスが返ってくるのはだいたい1割や。15人から返信が飛んできて、そのうちの3分の1、5人が実際に飲み屋の個室に来てくれれば御の字や。
こんな作業は一瞬でできる。LINEができてからは、女の子と連絡を取るのはもっと簡単になった。
1998年から1999年にかけて、淳は大阪の毎日放送で「暴ロンブー」というレギュラー番組をもっとった。あのころはしょっちゅう大阪で収録があったから、淳が大阪に来るたびに遊んだもんや。
淳というと、芸能界きってのモテ男で有名や。「1000人斬り」と言われるが、そのうちの相当数は俺が紹介した女の子やと思う。
淳は1973年生まれ、俺は1971年生まれやから2歳違いや。女の子を紹介する見返りに俺がいちいち小遣いをせびるでもないし、口もめっちゃ堅い。だから俺のことを信用して、兄貴分みたいに慕ってくれたんやろな。

 

田村淳にプレゼントした三菱自動車のデリカスターワゴン

若手時代の田村淳は、「CADILLAC SEVILLE」(キャデラック セビル)というセダンに乗っとった。車を自分好みにカスタマイズしたいと言うから「それならウチで全部やってあげるよ」と引き受けた。当時、俺は大阪で自動車販売業を営んでいた。板金工場を別にもっていたから、車のカスタマイズなんてお手の物や。わざわざ東京まで車を取りに行って、大阪の工場へ運んでカスタマイズする。実費だけもろうて、淳好みにカスタマイズして納車したらえらく喜ばれた。
淳の活動は多彩や。2005年には 「jealkb」(ジュアルケービー)というヴィジュアル系ロックバンドを結成し、「haderu」名義でヴォーカルを務めていた。本業のお笑い以外に、バンド活動もやってみたいという願望は早くから温めてた。
音楽以外に、自主制作映画を撮る活動にもハマってた。映像制作のために、機材車がほしいと淳が言う。そこで俺が三菱自動車のデリカスターワゴンをプレゼントしてあげたことがある。
「カネはええよ。オークション会場でタダ同然で買ってきた車を改造しただけやから」
淳はお笑い芸人の枠に収まる器やない。音楽だろうが映像制作だろうが、お笑い以外に何をやっても成功するという確信があった。
「あれもやってみたい」「これもやってみたい」と貪欲な淳の活動を、陰で応援してあげたかったんや。
淳がビッグスクーターが好きやと言うから、ホンダ・フュージョンをカッコ良くアレンジしてあげたこともある。車やバイクが好きな淳のために、かゆいところに手が届くサービスをしているうちに、芸能界の客をチョコチョコ紹介してもらえるようになった。
ウチは独自の仕入れルートをもっとるし、自前の板金工場もある。ほかよりも安く車やバイクを買えたし、わがままな注文にもきめ細かく対応できた。せやから車好きの芸人やタレントから「車やバイクならヒガシさんのところで買うといいよ」と口コミで噂が広がっていったんや。
そんなこんなで仲良うつきあっとるうちに、淳から「ヒガシさん、東京出てこない? しゃべりうまいし、サービス精神旺盛だし、ヒガシさんは絶対東京のほうが向いてるよ」と誘われた。
昔から「一事が万事」と言うとおり、小さな仕事を馬鹿にしない。たいして儲かりもせん細かい仕事でも、相手の気持ちを想像しながら丁寧にこなす。
どうやったら目の前の相手が喜んでくれるか。どんな仕事だろうとサービス精神が基本や。そうやって生真面目にコツコツ仕事をしていけば、カネでは買えん信用が生まれる。
一度作り上げた信用は一朝一夕では壊れへん。一生モンや。俺はいきなり成り上がったわけやない。みんなが知らんところで、人知れず汗をかいて苦労しながら芸能界で信用を勝ち取っていったんや。


「GaGa JAPAN」の近岡健司

淳の誘いで東京に出てくると、人から人を紹介されるうちに、セレブと次々に知り合った。ピンク・レディーを育てた飯田久彦さん(テイチクエンタテインメントの元会長)の甥っ子、元ジャニーズのリョウ、パチンコ店の息子のナオキといった連中と、いつも仲良くつるんでいた。
GaGa JAPAN のケンジとも仲良しやった。イタリアの「GaGa MILANO」という時計ブランドを扱う日本の法人の社長や。ケンジはサッカーの中田英寿とベッタリ仲が良くて、中田にくっついてイタリアに繰り出した。するとセリエAペルージャのルチアーノ・ガウチ会長に気に入られた。そのおかげで「GaGa MILANO」を日本で販売できる手はずが整った。
やがてサッカー選手としての中田のピークが過ぎると、次なるスーパースターとして本田圭佑が脚光を浴びた。するとケンジは、本田とスポンサー契約を結んで両腕に「GaGa MILANO」をつけてもらう。そのおかげで「GaGa MILANO」がバズって、日本で時計がムチャクチャ売れた。
何億円、何十億円のビジネスゆうても、機械的な書類のやり取りで決まるもんやあらへん。
結局のところ、人間と人間のつながりがモノを言う。「この人からのお願いだったらやろう」と思われるかどうかが大事や。彼らの仕事の進め方を近くで見ていると、いろんなビジネスを手がける俺にとって全部勉強になった。

 

 


解説
淳というと、芸能界きってのモテ男で有名や。「1000人斬り」と言われるが、そのうちの相当数は俺が紹介した女の子やと思う。
淳は1973年生まれ、俺は1971年生まれやから2歳違いや。女の子を紹介する見返りに俺がいちいち小遣いをせびるでもないし、口もめっちゃ堅い。だから俺のことを信用して、兄貴分みたいに慕ってくれたんやろな。

今は結婚してすっかり品行方正になったロンブー田村淳ですが、かつては遊びまくっていたようですね。
しかも「1000人斬り」の相当数が、ガーシーから紹介された女の子だったとは。


小さな仕事を馬鹿にしない。たいして儲かりもせん細かい仕事でも、相手の気持ちを想像しながら丁寧にこなす。
どうやったら目の前の相手が喜んでくれるか。どんな仕事だろうとサービス精神が基本や。そうやって生真面目にコツコツ仕事をしていけば、カネでは買えん信用が生まれる。
一度作り上げた信用は一朝一夕では壊れへん。一生モンや。俺はいきなり成り上がったわけやない。みんなが知らんところで、人知れず汗をかいて苦労しながら芸能界で信用を勝ち取っていったんや。

なんだか営業マンの鑑のような話ですね。
問題は、こうやって勝ち取った信用をもとに、ガーシーが何をしようとしたかではないでしょうか。

 

獅子風蓮



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