石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
□第6章 父と子
□第7章 政界
■第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第8章 悲劇の宰相
(つづきです)
昭和31年12月14日午前10時55分、第三回自由民主党大会は、東京・大手町の産経ホールで開催された。天気は快晴だが、気温は低く、会場内の熱気と暖房が気持ちのよい日であった。議長には岸派の砂田重政が選出され、鳩山首相が引退挨拶をし、大野が送別の辞を述べた。鳩山は拍手に送られながら会場を後にした。
後継総裁の選挙動議があって、選挙管理委員12人が壇上に上った。石田は、登壇する前に武者震いした。(さあ、いよいよだぞ)。下腹に気合いを籠めた。
「第一回投票で過半数の候補がない時には、引き続き直ちに決戦投票とします」
草葉隆円選挙管理委員長が宣言した。「直ちに」という言葉を石田は噛みしめた。
午前11時43分、第一回の投票開始。砂田議長の指名で、衆院、参院、地方の順で単記無記名の投票が行なわれていく。零時14分、投票終了。
12人の選挙管理委員が開票作業に入った。誰もが固唾を呑んで見守っている。
草葉がやや興奮した様子でマイクの前に立った。
「選挙結果を報告します。投票総数511票。岸信介君223票」
池田勇人は、岸の票数を耳にした瞬間、黙って頷いた。それから前夜の石田とのやり取りを思い出した。
「石田君、俺が石井を担いでいるのは負け戦を承知でのことだ。旧自由党から誰も出さないでは、吉田先生の立場もない。それにな、岸のもとには弟の佐藤栄作がいる。あれは終生のライバルだ。岸が勝ったら俺は佐藤にも負けたことになる」
「池田さん、あんたの蔵相の芽は石橋にしかない。石井は負ける。岸なら池田蔵相はありえない。ということは、次の次もないということだ。石橋の後、誰がやっても、その次の首相はあんただ。……」
ほっとそんな会話を思い出した瞬間、草葉委員長の声が再び耳に入ってきた。
「……石橋湛山君、151票。石井光次郎君、137票。過半数に達した候補がありませんので、1位、2位による決選投票を直ちに行ないます」
石田は、壇上でにんまりした。(しめた。直ちに、だぞ)。いったん休憩をやられたら、その間に岸派が必ず切り崩しに入るはずであった。直ちに、というのはその暇を岸派に与えないことになる。選挙管理委員12人は、慌ただしく立ち上がった。
零時33分、決選投票が終わった。
二度目の開票作業台に向かいながら、石田の心をふと不安がよぎった。何人かが投票の際に自分に顔を背けたからであった。石田の顔から血の気が引いた。
不思議なことに二つに折り曲げられた票がたくさん目についた。開いてみると、それにはみんな岸の名前が書いてある。岸派の申し合わせだったな、と石田は気づいた。投票の時に二つ折りした票を入れた人間が、岸への投票者だと分かる仕組みのようであった。
開票作業が終わった。二つの山はほぼ同じだが、厳密には「岸、251票。石橋、250
票」であった。石田は目眩を感じた。くらくらして俯いた瞬間、目の端に、井出一太郎の手が入った。井出は、投票用紙をいくつか握って、ブルブル手を震わせている。
「井出君、それは石橋票か? ……何票ある?」
囁くと、井出も小さな声で答えた。
「は、8票……」
「よし、勝った」
石田は呟いた。それから、議長の砂田に「休憩」を申し入れた。砂田は即座に「休憩はしない」と応じた。勝負師の石田の勝ちだった。
砂田は、石田が僅差での石橋の負けを知って「休憩」を要求し、その間に「無効票」などを言い出すのではないか、と直感したのだ。それが石田の作戦だった。井出の持つ8票で勝負がひっくり返るのが分かったら多分、砂田は「休憩」を宣言して、その間に対策を立てるに違いない、と石田も読んでいたから、機先を制したのであった。
(つづく)
【解説】
「よし、勝った」
石田は呟いた。それから、議長の砂田に「休憩」を申し入れた。砂田は即座に「休憩はしない」と応じた。勝負師の石田の勝ちだった。
ここはまさに勝負師・石田の面目躍如の場面ですね。
獅子風蓮