というわけで、沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮社、2013年)を読んでみました。
(目次)
□一杯目の火酒
■二杯目の火酒
□三杯目の火酒
□四杯目の火酒
□五杯目の火酒
□六杯目の火酒
□七杯目の火酒
□最後の火酒
□後記
二杯目の火酒
4
__経済的には、かなり困ってたのかな、いつも。
「困ってた」
__どのくらい困ってた?
「どのくらい、って?」
__そうだなあ……たとえば、学校でも、いろんな費用を払わなければいけなかったでしょ。PTA会費とか、給食費とか。そんなのくらいは払えるようだった?
「どうだったろう……はっきり覚えていないんだけど……免除されていたのかな、生活保護を受けていたから」
__そうか、生活保護を受けている、ってほどだったのか。
「うん。たとえば、お姉ちゃんもお兄ちゃんも修学旅行に行けなかったし、あたしも行けないはずだったんだ、ほんとは。でも、なんでだったのかな、先生がポケット・マネーを出してくれたのかな、国が出してくれたのかわかんないんだけど、阿部を連れて行かないのは可哀そうだということになって、当日、急に行けることになったの。行かなくても平気だよ、なんてお母さんには言ってたんだ。心配させるの悪いから。その日は、いいよ、いいんだ、なんて言って蒲団にもぐっていたら、連れて行ってもらえることになって……ほんとに嬉しかった。別にあたし行きたくもないんだなんてお母さんには言っていて、ほんとに行かなくてもいいの、平気なのなんて訊かれて、行きたくないんだよって、前の晩まで答えてたのに……嬉しかったなあ、あれは」
__行けて、よかったね。
「うん、よかった」
__どこへ行ったの?
「函館」
__どうだった?
「旅館のお風呂が混浴で、とっても恥ずかしかったことを覚えてる」
__そのわりには、くだらないことしか覚えてないね。
「フフフッ、ほんと」
__クラスの友達なんかは、あなたがいろんなところで歌っているというのを知ってたのかな。
「知ってた」
__学芸会とか、そういったものに駆り出されなかった?
「ほとんど出なかった。そういうのとは違っていたから。一度、クラス対抗しりとり歌合戦みたいのに出されたことがあっただけ」
__なるほど、歌を知っているから、かな。
「そうなんだろうね」
__お父さんお母さんの興行に出るようになって、学校の方はどうだったの? たいていは土曜と日曜だったというけど、中学なんかで休んだことはあまりない?
「ないなあ、それは。でも、二度くらい、まとめて休んだことはあったけどね」
__まとめて、と言うと……。
「2、3週間」
__仕事で?
「そう。山の奥の飯場とか、海岸の漁師町に行く仕事が入ったわけ」
__山の奥、か。
「ほんとに、山の奥に、バラックの飯場小屋を建てて、トンカン、トンカンって、工事をやっているようなところなんだ。寂しかった。前にチョロチョロと小さい川が流れているだけで、あとは木ばっかり。飯場で寝泊りして……夜、寝るとき、さみしくて、さみしくて……」
__学校を休んで仕事に行くんだと言われて、いやとは言わないわけか。
「そうだね。頼まれると、いやとはいえない性分だし、それに困るわけじゃない、あたしが行かないと。それをわかっているから、山の奥でも、漁師町でも、どこでも黙ってついていった」
__漁師町へも行ったわけだ。
「帰りに、持ち切れないほどスジコをもらってね。それがなくなるまで、学校のお弁当のおかず、毎日スジコだった」
__そいつはちょっと。
「参りましたね」
__そうだろうね。……あなた、歌は好きだった?
「別に」
__好きになったことは?
「ない、な」
__いつも、いやだったの? 歌うのが。
「うーん、と。そうか、そうでもないんだな。あたし、小学校5年から舞台に上がるようになったでしょ。たとえば、風邪なんかひくと、声が出なくなるわけ。そうすると、しばらく、じっと、おとなしくしていなくちゃならないの。歌っちゃいけないわけだから、しばらく歌わないでしょ。そうすると、歌いたくて歌いたくてたまらないわけ。そういうことはあったな、確かに。そう言えば、歌手になってからも、やっぱり、少し長く休むと歌いたかったね」
__そうすると、やっぱり、好きと言っていいのかな。
「そうかもしれないね。だから、休んだあと、ショーかなんかで一曲目を歌うとき、とても嬉しくて、気持がいいわけ。毎日、歌ってばかりだと、自分でもわからなくなるんだけどね」
__中学3年のときだっけ、岩見沢に引っ越したんだったよね、旭川から。
「うん」
__それはどうしてなの?
「岩見沢にね、きらく園というヘルス・センターがあって、そこに仕事があったの。住み込みで」
__芸人さんとして?
「そう、3人、芸人として」
__3人と言うと、お父さんとお母さんとあなた?
「そう」
__お姉さんとお兄さんは?
「もうバス会社で働いていたから、旭川に残ったの」
__あなたが一緒に行くことも、条件のひとつだったのかな。
「そうなんだって。北海道といっても、結構狭いから、どこにどんな芸人がいるとか、あそこに子供で歌うのがいるといったことは、すぐわかるんだね」
__転校するの、いやじゃなかった?
「しばらく、岩見沢に来てからも、泣いてたな。毎日、クラスの友達に手紙を書いてた。でも、卒業まで、あと半年くらいだったから我慢できそうだったし……」
__いや、さ。半年くらいなんだから、転校を待ってもらえばよかったのに。
「でも、仕方ないもん。テレビやなんかが発達して、仕事がなくなっていたし、お父さんお母さんが安定した仕事につけるわけだから仕方ない、と思ってた」
__そうか。あなたが中学3年ということは1960年代も半ばだもんな。テレビが入ってきて、そういう芸人さんたちの生活も厳しくなっていただろうからね。で、そのヘルス・センター、きらく園だっけ、それはかなり大きかったの?
「大きくはないんだけど、岩見沢の町から30分くらいのところだったから、みんなちょっとした骨休めには来るんだよね」
__岩見沢といえば、炭鉱があったよね。そこで、どんなことをやってたの?
「そうだねぇ……」
__ショーみたいなやつ?
「とんでもない。ショーなんていうもんじゃなくて、5人とか10人とかの団体さんが来ると、そこの座敷へ行くわけ、その人たちが希望すれば、ね」
__舞台でやるわけじゃないのか。
「うん。そこには、あたしたちのような芸人がいることになっているから、いくらかのお金でお客さんは呼ぶわけよ」
__そのお金は、流しみたいに、直接あなたたちに渡してくれるの?
「月給制だから……ただし、その人たちがお花をくれる場合はもらえるんだ」
__お花って、チップみたいなものですね。
「うん、お花、って言うんだけどね。あれ、どういうのか、だいたい百円札なんだよね」
__田舎だから、まだ百円札が残っているわけだ。
「それをチリ紙にくるんだりして、渡してくれるの。それを受け取ると、お母さんが座布団の下に突っ込むわけ。やっぱり、嬉しかったみたいだよ」
__そりゃあ、そうだろうな。しかし、もう少し詳しく説明すると、どんなふうに歌ってたの?
「6畳から20畳くらいまで、お客さんの部屋があって、呼ばれるとそこへ行って、その入口のところに立って歌うんだ。お座敷が何十とあるの。その日ごとに、今日はどことどこへ行ってください、って言われるわけ」
__それを聞きながら、客は呑むわけだ。 休日は?
「なかったと思うよ。 ただ、忙しい日とそうじゃない日はあったけど」
__あなたたちの住まいは、ヘルス・センターの中にあったの?
「従業員用の部屋をもらって……二部屋だったかな」
__その、きらく園っていうヘルス・センターは、いまもあるの?
「一度、火事になったことがあって、建て直したんだって……あたし、デビューしてから行って みたことがあるんだ」
__歌いに?
「そうじゃなくて、岩見沢に仕事で行ったついでに、挨拶をしにいったの。そして、泊ったんだけど……ほんとに、ああいうところへは行きたくないね」
__どうして?
「夢でよく見てたんだ。夢には当時のままの風景や人が出てくるの。でも、現実に一度見ちゃうと、もう夢に見なくなっちゃうんだよね。なつかしい人とか、なつかしい場所とか、現実に見たり会ったりすると、それがもうなくなってしまうんだよ」
__そういうことは確かにあるね。
「悲しいけどね」
__岩見沢に引っ越したのが、中学3年の後半の時期。あなたは、中学を卒業したら、どうしようと思っていたの?
「別に……」
__ああ、また、得意の、別に、ですね。
「ほんとなんだから、しょうがないよ」
__就職するつもりだったの?
「何も考えていなかった。進学は絶対に無理でしょ。先生は、もったいないから、ぜひ進学させろと言ってくれたんだけど……そんなことできないし。きっと、勤めればいいじゃない、と思ってたんだろうね。勤めるといったって、あたしたちだったら、どこかの商店の店員とか、工員とかそんなんだったろうけど。中学を出てすぐ勤めるといったら、だいたいそういうことだったろ うけど、ね」
__そうしようと思ってた?
「ほんとに、そんな先のことまで、考えていなかった」
__先といったって、すぐのことで、しかも一生のことじゃない。
「でも……」
__何も考えず、毎日、毎日、きらく園で、ただ歌っていたというわけなのかな。
「うん、何も。何も考えないで生きていた。人生について考えるのなんて、25過ぎてからだっていいじゃない」
__そりゃあ、ちっとも悪くはないけど。しかし、不思議な子だったんですね。
「そうかなあ。でも、考えるようになると、人生って、つまらなるんだよね」
__そうかな。
「そうだよ。考えないにこしたことはないんだよ」
__何か、そのあたりに、あなたの考え方の特徴があるようだってことだけはわかるんだけど……。
「わかっていたことは、食べて、寝て、生きていくってことだけ」
__そのとき、あなたは15歳の少女だったはずなのに……。
「……」
__毎日、毎日、その日、その日を送っていたのかな、ほんとうに。
「その中で、ただ喜んだり、悲しんだりしていただけ」
__それじゃあ、何が嬉しかった、あなたには。
「おいしい物を食べられたら嬉しいし……見る物すべて食べたかった」
__いまと違って健康だったんだ。いまのあなたには、とうていそんな食欲はなさそうだもんな。
「でも、それは、いつでも食べられるからなんだよね。ひもじい思いをする前に食べられるから。ひもじければ……本当にひもじければ、何でも食べたいし、何でもおいしいよね。本当にひもじかったときの感じが、あたしの体の中にもはっきり残っているみたい。ひもじくて、ひもじくて、あれが食べたい、これが食べたいと思うことがほんとに何度もあった。でも……それは、ちっとも、不幸なことじゃなかった」
__それじゃあ、何が悲しかった?
「お父さんに怒られれば悲しいし……お母さんに怒られたことは一度もないんだよね」
__どんなことで、お父さんに怒られるの?
「うーん。その話はしたくない、あんまり」
__そうか。問題は、いつも悲しいことは、お父さんなんだね。
「……」
__お母さん子だったと言ってたね。
「うん、そうだったから、実際に。お母さんがお姉ちゃんと一緒に買物に出たりすると、心配でたまらないの。自動車やなんかにぶつからないかな、お姉ちゃんじゃなくて、あたしがついていってあげればよかったって、帰ってくるまで心配なんだ」
__大きくなったら、お母さんにこうしてやろう、ああしてやろうなんて、小さい頃から思ってたのかな?
「それはね、思ってたみたい。よく、お母さんには言ってたらしいよ。大きくなったら、あたし、金持の社長さんのお嫁さんになって、きっと楽をさせてあげる、って」
__金持の社長さんのお嫁さん、か。いじらしい子ですね。
「うん、なんか、そう言ってたらしいよ」
【解説】
あれほど父親に関することに触れるのを嫌がっていた藤圭子さんですが、思わず、「お父さんに怒られれば悲しいし」と漏らしてしまいます。
沢木耕太郎さんのインタビュアーとしての技は、私も見習いたいです。
不登校や被虐待児の子どものカウンセリングで役立ちそうですね。
獅子風蓮