政治家・石橋湛山については以前から注目していました。
d-マガジンで、興味深い記事を読みました。
引用させていただきます。
サンデー毎日 2023年7月16日号
倉重篤郎のニュース最前線
与野党の石橋湛山派がついに決起した!
政界リベラル再編宣言
__軽武装、経済重視の宏池会に属しながら、岸田政権は軍拡への大転換を行った。自民党の「良心」の系譜はここに潰えたかと思われたが、保守リベラルの原点とも言える石橋湛山を旗印にした超党派の結集が始動している。その中心的存在である自民党の古川禎久氏と国民民主党の古川元久氏が、変革への展望を語る。
古川禎久(ふるかわ・よしひさ):1965年生まれ。 自民党の衆院議員。法務大臣、財務副大臣、環境大臣政務官、法務大臣政務官などを歴任。
古川元久(ふるかわ・もとひさ):1965年生まれ。国民民主党の衆院議員。内閣府特命担当大臣、官房副長官、国民民主党幹事長、同国対委員長などを歴任。
なぜ今、石橋湛山なのか? 経済ジャーナリストとして戦前は「小日本主義」を唱え植民地主義を批判、戦後は政治家になり一時は首相にまで上り詰めた湛山が、今永田町に蘇りつつある。湛山の思想を研究する議員連盟が立憲民主党内でこの3月に発足(会長・篠原孝衆院議員)したことについては、6月25日号で報告したが、それが与野党にまたがり、超党派の「石橋湛山研究会」に発展、6月1日にその設立総会が行われた。
超党派議連の共同代表には、篠原氏のほか自民党の岩谷毅、国民民主党の古川元久の3氏、幹事長には自民党の古川禎久(よしひさ)氏が選ばれ、自民、公明、立憲、国民、維新、有志の会などから代理を含めて約50人が出席した。議員連盟というのは、永田町に掃いて捨てるほどあれど、個人名を冠してその研究を目的にしたものはあまり聞いたことがない。そ れも今から60年も前に首相となり、かつ2カ月という超短期政権で終わった人物の研究である。憲政史上最長の首相任期を誇った安倍晋三研究会もなければ、戦後史の節目をなした吉田茂、田中角栄、中曽根康弘各氏の研究議連もなかった。なぜ湛山だけが? 不思議であると同時に興味をそそる。中枢メンバーの古川元久共同代表、古川禎久幹事長の両古川氏に「古古対談」として、今なぜ湛山かを論じてもらった。湛山については著書もある評論家の佐高信さんには、別途辛ロコメントをいただいた。
元久 一つは時代認識だ。今の世界は100年前と似ている。インターナショナリゼーションの進展で相互依存が深まったのに、ナショナリズムの高揚などから二つの世界大戦に至ったのは歴史の教えるところ。日本も国策を誤ったが、あの時湛山の「小日本主義」に舵を切っていたら日米戦争はなかった。日米戦争がなければ、沖縄問題、北方領土問題はなく、外国軍隊がずっと駐留(在日米軍)するなんてこともありえなかった。歴史というのは、螺旋階段のように同じようなことが姿を変えて繰り返される。「愚者は経験から学び賢者は歴史から学ぶ」という。「新しい戦前」と言われる今の日本が湛山から学ぶべきものは多い。
禎久 日本政治の最大の課題は、米中対立の中で日本がどう生き延びるかに尽きる。日米同盟で中国を封じ込める、という今のやり方では行き詰まり、下手すると国を失う。米中対立の本質は覇権争いで、利害が合えばいつでも手を握る私闘だからだ。周辺国はこれに巻き込まれるべきではない。湛山は1921年のワシントン軍縮会議の際、領土拡張モードになっていた日本政府や国民に対し、小欲にとらわれて他国を侵略するより「一切を棄つるの覚悟」を持って世界に模範を示せという考えを発表、朝鮮、台湾、満州を手放し、大陸から手を引く大戦略を掲げた。時代の本質を見据え、ちゃんと算盤もはじいたものだった。どれだけ厳しい環境でも理想を掲げ、言うべきことを敢然と言ってのける。その構想力と、論旨明快に訴える力を学びたい。
自らの「覇道」の失敗を中国に語れ
――湛山路線からすると、現政権の対米従属的な軍事的抑止力強化路線はあるべき姿ではないのでは?
禎久 残念ながら今の自民党が見ている方向はそうだ。日米同盟一本足打法は危うい。湛山が首相時代「米国と提携するが向米一辺倒にはならない」と言ったように米国にも言うべきことを言わなければならない。
元久 そこは経済も絡んでくる。戦前は行き過ぎた軍事が経済の足を引っ張った。防衛力も経済の身の丈を考えながらやっていくべきだ。ともかく中国が怖いから、でやると、相手にやられる前に自分の足元から崩れる。軍事力で衝突するのは最終最後の手段。そこに至らないよう、外交力強化や自給力向上など社会の強靭さを高める必要がある。
禎久 そこでカギを握るのは、戦後安全保障を米国に委ねてきた日本が、自分の足で立ち、自分の意志で自主外交できるかどうかだ。その本質は自立だ。それは武道の精神に近い。自分から外に乗り出して殴ることはしない。けれども殴りかかられたら腕をねじり上げて投げ飛ばす。これが日本の防衛の基本姿勢だ。そのためには質実剛健な防衛力を鍛え上げる。サイバー攻撃で公的インフラ、サプライチェーンなど、脆弱なところがいとも簡単に壊される。大砲とミサイルだけで防衛を語る時代ではない。
元久 脆弱さで言えば、財政も危ないところにきている。日本を攻めようとすれば、まずは経済的混乱を起こすため日本国債が狙われる可能性がある。こうした点の防衛力強化も必要だ。
禎久 大戦略としては、米中対立の一方に与するのではなく、間にある国々と連携、大きな国際的枠組みを作り上げ、その中で中国を説得する。米国に対しても戦争を煽ることのないよう説得しなければならない。
元久 日中関係でいえば、孫文が1924年神戸で行った有名な演説を思い出す。西洋列強の帝国主義を「覇道」と難じ、東洋には力ではなく徳に基づく政治「王道」の伝統が存在するとし、今後とも王道の側につくことを日本に求めた。中国に対し、あの時日本は「覇道」を選んで滅びましたと率直に語りかけたらいい。
禎久 日本は過去150年の歴史のうち、戦前までの半分は「覇道」、残り半分の戦後はいわば「王道」でやってきた。大事なことは、日本が「覇道」の失敗を真に反省し、中国に対し親身になって、「覇道では失敗する。俺を見てくれ」と説得できるかどうかだ。
元久 湛山の思想には「独立自尊」「寛容性」「現実主義」という三つの核心がある。独立自尊とは、米国を含むどの国とも一定の間合いを取りながら独自の国家戦略を立てること。寛容性とは、言論の自由や思想の寛容を認めて議論を尽くすことだ。現実主義とは、現実を徹底的に見極めること。ともすれば「こうあるべきだ」という理想主義、「こうあってほしい」というご都合主義、「今までこうしてきた」という前例義に囚われて現実を無視してしまう傾向があるが、その結果、国を滅ぼした事実を忘れてはならない。今ほどこの三つが日本に求められている時はない。
禎久 独立自尊の欠落は、外交・安全保障だけでなく、日本財政の危機的状況の原因ともなっている。政治家も国民もポピュリズムに流され、受益世代が負担するという自立心を失い、平気で子々孫々につけ回しを続けている。率直に言えば、放漫財政の極まった日本はいずれ破綻を迎える。もはや避けようがない。大事なことは、いざその時になって慌てふためき右往左往するのではなく、ダメージを最小限に抑え、日本経済復活の可能性を残すために、
打つべき手立てをあらかじめ用意しておくことだ。ここもまた、湛山が戦争末期の1944年10月、大蔵省の中に「戦時経済特別調査室」を起ち上げさせ、敗戦後の国家経営について研究したのに習うべきだ。
(つづく)
【解説】
自民党の古川禎久氏と国民民主党の古川元久氏。
生まれた年も同じで、同じ姓、名前も一文字違い。
でも、親戚関係などはないようです。
与野党の石橋湛山派に期待します。
公明党も衆議院の議員団を解散し、それぞれが思う所に所属すればいいのに。
その選択肢として、石橋湛山派はイデオロギー的に近いと思うのですが。
獅子風蓮