獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:おてもやんさんの活躍(6)

2022-09-03 01:36:23 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。
(私はシニフィエさんの主張に必ずしも賛同するものではありません)

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■「この質問を幹部に聞いたら、何も答えられなくなるよ!といった、オススメの質問教えてください」        投稿日: 2017年3月9日

ってことで(笑)、前のスレッドのコメントに創価大出身の現役活動家であるポン太さんからナイスな質問がありましたので、あらためてこちらで皆さんからの回答をお待ちします。
創価の幹部にしたら何も答えられなくなるような質問って、いくらでもあると思います。
「池田大仏先生は今どこで何をしているかを知っているのは、創価の組織ではどこまでですか?あなたはもちろん知りませんよね。例えば会社の幹部が社長の顔すら5年も6年も見ないで、どこで何をしているのかも知らないなんておかしいと思いませんか?あ、思いませんね。なるほど」
「創価の御本尊は日蓮正宗の御本尊を日蓮正宗に無断で改ざんしたカラーコピーなんですが、元になった日蓮正宗のオリジナルの御本尊を認めずに、それを改ざんしたカラーコピーにだけ力があると教義の変更をしたんですけど、それっておかしいと思いませんか?あ、思わないですね。なるほど」
「現在の創価学会では、日蓮正宗の改ざんカラーコピー御本尊であっても創価学会員が拝むと絶対に願いが叶う。絶対的幸福境涯になるだろうと言っていますが、あなたは今までにその絶対的幸福境涯になった学会員を見たことがありますか?見たことない?みんな人間革命の途中?でも人間革命の途中で死んでしまった学会員も何百万人もいますよね。生まれかわってから絶対的幸福境涯になるとでも言うんですか?それって創価学会が保証してくれますか?ってか、これまで絶対的幸福境涯になった人を見たこともないのに、なんで自分が絶対的幸福境涯になれると思ってるんですか?あ、思ってる。ああ、そうですか。誰も見たこともな絶対的鼓腹境涯に自分はなれると思ってるんですね。それも日蓮正宗の改ざんカラーコーピー御本尊にひたすらお題目を唱え続けていればなれるだろうと思ってるんですね。なるほど」
「幹部は会員に対して毎年財務を借金しても出せるだけ出しなさいと言っていますが、創価の職員はたとえ副会長レベルでも一律2万円と決まっているそうです。それっておかしいと思いませんか?あ、思わない。学会員がどんなに貧乏しても、ある金を出せるだけ出せば幸せになると指導しても、自分はちゃっかり2万円だけ出すの、普通ならおかしいと思いそうな気もするんですが、創価学会ではそれが常識なんですね。なるほど」
「創価学会は会員数も財務の収支も公表しませんが、その理由を答えられますか?っていうかその理由なんて知らないから答えられないですよね。創価は幹部だろうが肝心なことは知らないですよね。最高幹部以外は、ほとんど知っていることは同じです。だから会員は指導を受けてもみんな適当にはぐらかされるだけ。あなたがどんな質問をしても、ほほ100%答えきれないのが幹部の正直なところです。これは、あなただけのじゃない、全国の創価学会がこの調子です。会員は、肝心なことは何も知らないし、知ろうともしない。それが創価学会の組織ですよね」
今思いつくだけでもざっとこんな感じです。細かいことを言い出したらきりがありません。創価の幹部は創価について何も知らないということです。だからどんな質問だろうが、ポン太さんが知っていること以上のことは幹部は知りません。つまり、ポン太さんがどんな質問をしても幹部は何一つ答えることはできません。
ポン太さんが幹部に質問をする前に、私はその結果を予想してみましょう(笑)
これはどういうことかというと、創価が正しい宗教であるという前提自体に無理があるということです。もし創価が正しい宗教であるならやるはずのないことを、実際の創価はいくらでもやっているので、そのつじつまが合わないから説明のしようがないんですね。もし創価が詐欺団体だということを前提にすれば、何もかもがつじつまが合ってしまう。それに気付かせないようにするために、幹部は会員に何も考えさせないような「指導」をするわけです。創価の指導というのは「何も考えなくていいから言われた通りにしなさい」ということだけですよね。創価ではそれさえ言えれば立派な幹部です(笑)。それも幹部である自分も考えずに会員にそうした「指導」ができるのが幹部としての唯一の条件です。つまりバカになれれば幹部になれるということです。言ってみれば創価というのは言えばなんだってする危ない思考停止集団です。活動が辛かったり理不尽だったりしても創価に疑問を持たずに、みんな自分のせいにしてますます思考停止して活動に励むようになる。これが創価学会の幹部の見本です。そんな幹部に「答えられないような疑問」をぶつけても何の意味もありません。まず間違いなく質問には答えずにはぐらかすだけです。目に見えています。そしてそんな困るような質問をしてきたあなたに対して「信心が足りない」「魔が競ってる」「どうしたんだ、信心がおかしくなってないか?」「この信心を疑うと地獄に落ちるぞ」「何も考えなくていいから師匠の池田先生を信じて頑張ろうじゃないか」「もっと真剣にお題目をあげよう」というのが関の山です。唱題というのはつまりは思考停止メソッドでしかありません。お題目を必死であげているうちに、わけのわからない高揚感とともに、いろいろと思い悩んできた自分がアホらしくなって、一人ウルウルしながら「もう余計なことを考えるのはやめにしよう!これからは愚直に創価を信じ切って活動に専念していこう!」と、つまりは楽な道に流されるのです。「何も考えずに言われた通りにしていれば絶対的幸福境涯に自然となれるんだ。御書にもそう書いてあるじゃないか。よおしっ!先生第一、信心第一に明日から活動に励むぞ!」ということで創価脳のいっちょあがりです(笑)
ポン太さんは、活動の辛さや理不尽さがきっかけで、これまで養われてきた創価脳の一部が崩れて覚醒の芽がちょっとだけ出てきたんですよね。創価スイッチや創価シャッターがあたりまえだった自分にも、どうにもこうにもつじつまが合わなくなった。普通の人間ならとっくの昔に気づくようなことでも創価脳は気づきませんが、幸いポン太さんはそうした機会を得ることができ、さらに幸いにもこのブログに行き着くことができた。おめでとうございます(笑)一旦、創価に疑問を持ってしまったんですから、おそらくもう後戻りはできないと思います。今まで当たり前だった創価の日常が、ことごとく異常な世界にしか見えなくなります。いや、本来ならそれが本当の姿なんです。それを「何も考えずに創価を信じること」がポン太さんの中心に据えられていたから、創価の非常識が常識に見えていただけのことです。ポン太さんの気がすむように、こちらで提案された質問を幹部という幹部にぶつけてみてください。機会があれば副会長にでもぶつけてみてください。支部長だろうが副会長だろうが、きっと答えは同じです。っていうか、ポン太さんが納得のいく答えは絶対に返ってはこないでしょう。場合によっては「そんな質問をするのは裏切り者だ」と逆ギレされて罵倒されるかもしれません。あるいは「ポン太くんは信心がおかしくなっているようだから相手にしないように」といいふらかされるかもしれません。あるいは「ポン太くん、心が不安定になっているようだから、いい病院を紹介するよ」とまで言われるかもしれません。そして紹介された先は学会員がやっている精神病院です。実際にそうしたことがあるんです。組織内に悪影響を及ぼすような幹部は精神病院にかからせて「あいつは頭がおかしくなった」とまわりの学会員への影響をシャットアウトする。
ポン太さん、幹部が困るような質問もして欲しいんですが、その幹部やまわりの学会員がそのことでどのように変わるのかをよ~く観察してくださいね。それでこのブログに全てを報告して欲しいんです。あくまで客観的な視点を見失わずに幹部へ質問し、その答えを記録し、その後の幹部やまわりの学会員の態度の変化にも注意して欲しいです。きっとポン太さんは背筋の寒くなる思いをすると思います。脅してるんじゃないです。自分は今までこんなに恐ろしい組織の中で活動していたのかと腰を抜かすかもしれません。このブログにコメントされている方々は、みんなそんな経験を経て覚醒に至った方たちです。このブログにはポン太さんと同じような創価学会員の実際の経験が記されているということをポン太さんが受け入れられたときに、ポン太さんが創価学会員として歩んできたこれまでの人生を客観的に見ることができるのだと思います。
ということで、皆さんまずは「この質問を幹部に聞いたら、何も答えられなくなるよ!といった、オススメの質問教えてください」というポン太さんの質問にお答えください。創価の真実の姿に一人でもたくさんの学会員が気付いてもらえるようになってほしいと思います。よろしくお願いします。

●明 (2017年3月9日 17:28 )
明です。
牧口センセーは亡くなりました。
戸田センセーも亡くなりました。
池田センセーもいつか亡くなります。
( というか、生きているのか死んでいるのか不明です(;^ω^) )
「会員は池田センセーのために一生懸命活動しています。
ご高齢の池田センセーがお亡くなりなったら、会員は一体誰のために活動したらいいんでしょうか?」
と幹部に質問したらどうでしょうか^^?
「池田センセーがお亡くなりになっても
 池田センセーの魂は池田大仏となって
 我々創価学会会員を『創価学会仏』へと導いてくださいます!
 池田センセーはお亡くなりになったら久遠実成の仏となるのです!」
と幹部が言って
「そうか、そうか、そうか!
 池田センセーはお亡くなりになったら池田大仏という久遠実成の仏となるのか!
 そして我々創価学会会員を『創価学会仏』へと導いてくださるのか!
 釈迦が説いた法華経なんてもうどうでもいい!
 日蓮が描いた曼荼羅なんてもうどうてもいい!
 我々は池田大仏に帰依します!
 南無池田大仏!南無池田大仏!南無池田大仏!」
と思ったら、極めて重症の創価脳です(爆笑)
創価学会は釈迦仏法でもなく、日蓮仏法でもなく
池田を崇拝する池田教です!

●signifie (2017年3月11日 09:53 )
ポン太さん、いかがでしょうか?
もうこれくらいで「創価の幹部に答えられない質問をする」ということの意味のなさがおわかりになられたでしょうか?
創価の幹部にどんな質問をしようが、まともな答えが返ってくるわけがありません。彼らは自分で考えることを捨て去っていますから、質問に対するまともな回答の持ちあわせがないんです。そして答えられない事態に遭遇すると、相手が間違っている、あるいは信心が足りないとか、魔にやられてるなどと、話をはぐらかすことしかできないんです。それはここにいらっしゃる皆さんがすでに体験済みです。そしてその理由も明確です。それは創価学会が宗教ではなく詐欺だからです。
単純に疑問を持つということは自分で考えているということであって、逆を言えば疑問を持たないということは自分で考えていないということですよね。そして創価学会ではあらゆる手段で疑問を持たないように組織ぐるみで洗脳しあっているんです。毎日の勤行唱題からはじまり、座談会をはじめとした各種会合、創価班や牙城会の活動、家庭訪問、折伏、新聞啓蒙、選挙活動、あらゆる学会活動を通じて常に自分で考えることがないように仕組まれています。自分で考えることに罪悪感を覚えるように罰論を徹底的にたたきこまれます。何も考えるな。疑うな。ちょっとでも疑ったら功徳はない。地獄いき。疑問を持たせないように、いいことがあれば信心のおかげ。悪いことがあれば信心が足りないから。すべてをそれで片付けられます。
ポン太さん、あなたもうすうすでも創価学会が詐欺だと感じているからコメントしたんではないんですか?でもあっさり詐欺だと認めるには、今まで自分がやってきたことが虚しすぎる。なんとか傷つかないで自分の創価人生を受け入れることができないものかと迷ってるのではないですか?もしそうなら、あえて言います。創価学会は宗教ではありません。会員をターゲットにした詐欺団体です。創価に捧げた時間もお金も全ては何の価値もありません。強いて言うならこれから騙されないための教訓でしょうか。あなたはただ単に騙されてきただけだということを受け入れなければならないときがきたということだと私は思います。しかしそれはポン太さんの人生なんですから、ポン太さん自身が決めることです。それでも創価学会は正しい宗教だと信じたいのであれば、それはポン太さんの自由です。しかしそれを決めるときには自分で考えることをオススメします。創価にいると自分で考えないことがデフォルトになるんです。だからあんなに非常識なことが平気でできるんです。めちゃくちゃな教義や会則にもなんの疑問も持たないんです。なんの疑問も持たない人に質問してもまともな答えが返ってくるわけがありませんよね。

●明 (2017年3月11日 12:59 )
ノジコさん signifieさん
池田センセーはすでに「日蓮世界宗」を立宗なさってたのですね\(◎o◎)/!
「日蓮正宗」を超える「日蓮世界宗」を立宗なさってたのですね(^_^;)
「創価学会は、「三代会長」を広宣流布の永遠の師匠と仰ぎ、異体同心の信心をもって、池田先生が示された未来と世界にわたる大構想に基づき、世界広宣流布の大願を成就しゆくものである。 ~ 創価の公式HP ~ 」
池田センセーは世界を救うために「日蓮世界宗」を立宗なさった末法の仏なのです!
「日蓮世界宗創価学会」は池田センセーを永遠の師匠と仰ぎ、久遠実成の仏とし
池田センセーが示された未来と世界にわたる大構想に基づき、世界広宣流布の大願を成就しゆくものである。
創価学会会員は「創価学会仏」となり、久遠実成の池田大仏が示された未来と世界にわたる大構想に基づき、世界広宣流布の大願を成就しゆくものである。
池田大仏は釈迦牟尼仏、日蓮大聖人をはるかに超える仏なのです!
嗚呼、南無池田大仏、南無池田大仏、南無池田大仏!

●ポン太 (2017年3月12日 02:28 )
コメント遅くなり、すみません。
仕事に家庭に、学会のことを考えがまとまらずいっぱいいっぱいで、正直混乱続きの毎日でした。
コメントの承認だけでなく、わざわざスレ立ていただき、みなさんから沢山のコメントありがとうございます。
先日、元バリ活現在未活の世話になった人に色々相談に乗ってもらいました。
外から客観的に見ると、学会の間違っている点やおかしいこと、がよくわかると言ってました。
私の「ここがおかしい」「ここがイヤだ」という部分は、大切な感覚で待ち続けないといけないと言われました。
また、自分の疑問点をうやむやにし、本音をきちんと責任者なり幹部なりに話した方が良いと言われました。
心を殺して活動しても、いずれ破綻する。面と向かわずに、やることにしていた活動から逃げても心のモヤモヤは晴れないと思いました。
まずは、一番近い幹部に自分の思っていることを話してみようと思います。
みなさんの言う通り、明確に解答できる幹部はいないのかもしれません。
ただ、家族や親戚がバリ活な中、全てをいっぺんに振り切れない状況です。
私は、まだ学会=詐欺とは思えていません。以前は絶対に間違いない信仰と思い込まなければいけない、だったこと。
いまは、絶対に間違わない組織なんてないから、きちんと自分で見て考えて、結論を出さなくてはいけない。
幹部に自分の話をする際に、精神論ではなく、客観的な正当性を、論理的に聞くようにしたいと思います。
最後に、私の中でクリアになっていることと、クリアになっていないことを、自分の認識の確認として書きます。
■本尊→カラーコピーなのは20年前から知ってたので、それが別に誰が書いても書いてあるものが変わらなければいいのかな?という印象。
ただ、かなり簡素な作りで、ちゃっちいなとは思います。3000円のおかたぎはまだ許せますが、なんでお守りに5000円もするのか?は少し違うなと思ってます。
■財務→収支報告が無いのは納得できない。きっと公表したら色々問題あるから公表しないんだろうな、と思ってます。
大学の同期連中の職員に飲んだついでに聞いてみたいと思います。
■新聞啓蒙→自分がほぼ読まずに、ただ捨てていること。これをだれかにお金を払ってゴミを押し付けることになるのでは?
この活動は納得できそうにないので、やらない!と決めました。
■選挙支援→この活動も正直にやりたくない、納得してやれそうにないので、やりたくなるまでやらない!と思います。
■家庭訪問→相手にとってみると、迷惑となるケースがあることを、こちらのスレ読んで認識できました。ここ2年くらいまともにやってないですけど…。家庭訪問で少しずつ関係性ができて、活動はしなくても私が会いに行って元気になったりすると、とても嬉しく思います。こういったケースを考えると、状況次第でここだけは継続するかもしれません。
■折伏→数字を上げるための折伏はやらない!と決めました。やらなきゃいけないもの、いつか勇気を出してやらなきゃ、という考えはやめます。
組織としての学会は、頭の中で「?」だらけですが、信仰としての部分を100%捨てることは難しいかな?と思ってます。
いまにも死んでしまいそうな友人がいたら、きっと一緒に題目あげよう!って言ってしまうかもしれません。
■人材グループ→1~2ヶ月に一回くらい、地元の会館警備につくことは、そんなに嫌じゃないと感じてます。
重要な有名会館警備につくために、超超々盲目的な会合や活動をするのは、「やりたくない」「やらないといけないと思えない」と感じるようになりました。
ただ、妻が外部だったころに、本部に連れて行った時に、本部の警備についている男子部を見て、「この人たちみたいにできたら、どんなにか人生が変わっていく(いい意味で)のかな~」と思ったことを先日言われたことが少し迷わせます。
以上から、組織の言いなりで動くことは、自分がイヤだ!と感じることが客観視できました。
目の前で困ってる人や、自分の手の届く人のために、自分がなんかしてあげたい、そう思えるものはやってもいいと思っているようです。
まずは、やってもいいと思えるものだけ残し、仕事をしっかりして家庭を守ることを一番に、優先順位をつけたいと思います。
また、経過など、ご報告したいと思います。
以前のまま盲目的に活動していたら、仕事や家庭でいっぱいいっぱいになり、きっといつか精神病になっていたと思います。
現在覚醒60%といったところと思います。
冷静に自身の状況を客観視できる機会をいただき、ありがとうございます。
大変長文のコメント、読みづらいところも多く失礼いたしました。

●おてもやん (2017年3月12日 20:23 )
ポン太さんへ
仕事に家庭にといろいろと頭の中が混乱しながらも、しっかりと長文のお返事をしていただき、大変感謝と感激をしています。
今更ですが、当初の私の不躾なコメントの非礼をお詫びします。
実は、ポン太さんの回答に実はとても興味がある点を見つけました。
それは私も同じ問題に直面したことが何度もある点です。
「いまにも死んでしまいそうな友人がいたら、きっと一緒に題目あげよう!って言ってしまうかもしれません。」
上記の文章です。
実は脱会後の私自身も、「あぁ~私が学会員だったら、信心があるから大丈夫だよ!とか言って励ませるのだけどなあ・・」と思ったことが何度かあります。
また、子育て上の問題にぶつかった時にも
「うちが学会だったら、まず御本尊様の前に座りなさい!とか言って簡単に解決できるのになあ・・・」と、ふと思った事が実はあります。
「つまり学会員だと楽ちんなんだ!」と気がついたんです。
世間一般の人達は、人生で起こり得るいろいろな問題に対して、真っ向から受け止めながら、宗教に頼らず「生きる知恵」「生き方の原点」を掴み取ってきた人達です(大袈裟かもしれませんが)。
子育ての悩みも「祈りなさい」とか言って逃げないで、悩みながら皆んな乗り越えているんだろうなあと痛感したものです。
創価学会にいた時は、「生き方の原理となる宗教を持たない人」を見下すような指導ばかりを聞かされていました。(そう学会の本にもありますね)
でも実際は、「なんでも信心で解決できます」というようなアンチョコ本を持っていい気になっていただけだったわけです。
だから、脱会ってある意味では大変ですよ(^_^;)
学会にいたおかげで今まで手抜きにしていた事、「本当の意味で人生と向き合う事」や「自分なりの生きる原点を見つけ出す事」は、悩みと苦しみが伴います。
軽い気持ちで信心してる人なら「はい、さいなら~」で済むのすが。
悩める人を前にどう自分が力になれるかどうか、1つ1つ答えを見つけていくのが人生なんだなあと思う昨今です。
グッドラック!

●紅 (2017年3月14日 10:44 )
先日、初めてこちらにお邪魔しました紅(くれない)と申します。
こちらの「活動家時代の本音」というスレッドに、自己紹介がてら初書込みをさせていただきました。
(※念のため、コメント入力時の「ウェブサイト」欄に「活動家時代の本音」スレッドのURLを入れさせていただきました)
私の書込みに対し、管理人のsignifie様をはじめ、おてもやん様、まるちゃん様、パルル様のお三方よりレスをいただきました。ありがとうございました。
スレッドが異なりますが、こちらにて順にお返事できればと思いますので、よろしくお願いいたします。
私は非活歴がかなり長い幽霊会員でして、おそらく現時点での感覚や価値観、思考などはほとんど外部の人と変わらないかもしれません。
外部の友人達と話をしていても「アンタ、本当に学会員?(笑)(驚)」と言われることもしばしば^^;)
「そんなんで学会員と呼べるか!」と、バリ活の方々からは「学会の面汚し」と叱責されるかもしれませんが、脱会はしていないため一応まだ学会員ではあります。
(学会員にもいろんな人がいますからね。バリ活さんだけではないですし。)
いろんな方の考えや感じられている事が知りたくてこちらのサイトを拝見していますが
もしサイトの趣旨に添わない発言がありましたら、申し訳ありません。

●おてもやん (2017年3月14日 19:58 )
紅さんへ
こちらへようこそ(^_^)
紅さんだけでなく、多くの現会員さんから同じことを感じてる所感を書かせてくださいね。
学会員だけど籍だけだし、そこらの既成宗教みたいな穏やかに生活の一部となってる感じの人は割と多いと思います。
そういう人達って、少しは学会の歴史を知っておいた方が良いなと思います。
「創価学会員というだけでバカにされる、差別される!」という被害者意識を持つ学会員をたまにネットで見かけます。
全部、創価学会員が世間に巻いた種なんです。
(信心で言えばむしろ迫害を喜べ!と言ってるのに、泣き言を言ってるのも情けない)
池田大作の昭和40年前後の会長講演集などを読んでみた事、紅さんは、きっとないでしょう?
他宗教の道場に道場破りのように押しかけ警察沙汰を起こしたり、池田大作の指示のもと、それはそれは凄まじい他者の信仰の自由の侵害を犯していました。
なのに、池田本人は「宗教史に残る輝かしき戦績」とまで豪語しているんですよ。(小説人間革命よりも事実に忠実なので購読オススメです。)
多くの他宗教の人達を傷つけてきた事実、過去の謝罪をきちんとしない限りは、歴史を知ってる人からみれば「仲良くできるか、あほたれ」と笑われても仕方が無いです。
「自分は幽霊会員です」と言っておけば、何も知らない人は、とりあえず普通に接してくれるでしょう。
でも、「一見すると幽霊会員」を装って近寄るという実は学会員も多いので、紅さんが脱会しない限りは警戒を解いてない人はいると思います。
>おそらく現時点での感覚や価値観、思考などはほとんど外部の人と変わらないかもしれません。
>学会員にもいろんな人がいますからね。バリ活さんだけではないですし。
その外部の人と同じであろう価値観や思考でもって、一度考えてみてはどうでしょうか。
原爆は報いだと肯定、他宗教を邪宗と攻撃、念仏は自殺者が多い、真言宗は後家が多い、稲荷を信仰すると狐みたいになる、信心でガンが治る、夫婦そろって信心しないとどんな子が生まれてくるかわかりませよ~?と女子部を脅してきた池田大作。
こういう教団をどう感じますか?
そういう歴史をまるで全くなかったように「人畜無害なイメージ」を保とうとしている創価学会のコマーシャルを見るたびに、私なんて胃がムカムカしてきます。
率直な感想、待ってます(^_^)

●たらこ唇の天使 (2017年3月14日 22:05 )
紅さん、おてもやんさん、皆々様:
  筒井康隆さんが40年以上も昔に書いた短編小説「末世法華経」もお勧めだと
思います。現代に蘇った日蓮上人を前に驚きあわてる主人公が、上人にせがまれるがままに
創価学会(作品の中では「総花学会」)の座談会へ連れて行ったはいいが、最後は共産党と
間違えられ、袋叩きにされてほうり出される、というあらすじ。おてもやんさんがおっしゃったことが筒井さんの天才的な筆でさらにおもしろおかしく、でも、事実に即した形で書かれていますよ。

●ポンタ (2017年4月3日 01:13 )
直近の幹部と、妻にいまの気持ちを話しました。
身内の不幸と、今まで信じていたものが瓦解する苦しみで、体調崩し入院となりかけました。
色々と葛藤ありながらにここへ投稿したものの、こちらにいらっしゃる方へ心身への苦痛を与えていると知ったときのショックが強すぎて、こちらをみてませんでした。
創価でも不信であることを拒絶され、不信をどうしたらいいかな…と藁にもすがる思いでコメントしても、そんな中途半端な姿勢がご迷惑となってしまう。
困ってしまってました。
家庭訪問や、強引な仏法対話に、意図せず苦しめていた相手がいたことを、今になって悔やみます。
頭で考えて、努力や行動を尽くして、それでもどうにもならない生老病死の問題は、題目しかないと思ってました。
そうではないもの(選挙支援や啓蒙などなど)への不信から、こちらのサイトへお邪魔し、助言をいただいてました。
先日、直近の幹部へお話しした際に、最終的にバチ論となりました。
反面で、ここ二ヶ月以上、題目上げずに自身の努力だけで仕事をやり切りました。今までなら心が折れそうで題目を上げるしかない状況なのに、なんとすごい成績を上げれました。
家族を守る、自分のキャリアやプライドを仕事で証明する。歯を食いしばって努力したことが、努力で報われる事実。
私が信心しない分、周りがしてくれていたから守られたんだよ。今までなら、間違いなくそう言われていたと思います。
私はつくづく、頭で納得や理解しないと行動できない人間なのだと、改めて認識しました。
妻と一緒に、ご本尊を仏壇から外し、光に透かして手で直接撫で、ここで皆さんが言う通りに、完全にただのカラーコピーなんだと気付きました。(昔のご本尊って、刺繍とか布で飾り付けありましたよね??)
原価は数百円、妻には入会料と思ってたよ?と言われました。
こちらでアドバイスいただいた、家庭訪問をすることで、苦しむ人がいる、その事実のみを受け止め、それを率先して行う役職を辞退したいと考えてます。
先日も色々書きすぎて伝わらなかった部分が多いと思います。
結論は、[客観的に学会を見極め判断する決意をした]
こと一点に尽きます。
明日以降も、今では仕方なしに受けてしまった、責任の重過ぎる役職についても、むしろ中枢の近くにいるからこそ知れる、気が付ける、そんなポジションと考え、見極めて行きたいと思います。
私の発言で傷つく人がいないよう、いったん集結したこちらにコメントいたします。
静かに学会を去るために… というこちらのページそのままにフィードバックいただけるようでしたら是非お願いします。

●ポン太 (2018年3月20日 05:45 )
約一年前ぶりにコメントします。
当時の自分には受け入れることができなかったコメントについて、今全て読み返して、やっとそういうことなんだな…、と振り返りました。
自分自身が、ここの皆さんのように創価学会員である間に、本当に辛い苦しんだ経験が無かったのだな、と思いました。
そこの矛盾から、こっちは困ってるんだから助けてくれたっていいじゃん… 。という子供のような考えでした。
当時に、心を痛めてコメントいただいた皆様、本当に、本当に申し訳ありませんでした。
何度か見に来た際に、コメントしたいな…と思っても、ここのお話に決着つけてないままに、参加できない気持ちでいました。
ですので、見ている人がいないと思いますがこちらにコメントいたします。
(シニフィエさま、最新コメントてはないところへの投稿お許しください。)
簡単に現状のご報告です。
昨年で牙城会(中央会館も地元の会館も両方)も辞めることができ、今春引越しを機にラインの役職も辞めることができそうです。(実質活動は、昨年一年何もしてませんし、仏壇には一度も手を合わせてませんでした)
新聞についても、最低限に減らせました。
自分の実家親族がバリ活のため、脱会は親が亡くなってからか?と考えています。
そう考えるように至ったのも最近です。ここでのアドバイスを何人か質問すると、最後はバチ論でしめくくられる。とんでもない目にあってもしらないぞ!?と脅される。狂ったように対応される。そんなものばかりでした。
なので、こちらのブログのタイトルのように、静かにフェードアウトしていこうと思ってます。
妻は未だに私を折伏しておいて、自分だけ覚醒して何なんだーという気持ちでいるかもしれませんが…
一応の理解はしてもらえているようです。
(折伏して学会に入れたこと、土下座して泣きながら謝りました)
これから、引っ越して最初に来る家庭訪問の対応がすごく大事だなと思っています。
こんな大迷惑なことを、喜々としてやっていたことに、申し訳ない気持ちと恥ずかしさでいっぱいです。
いつか、完全に学会と離れて、学会を最高に皮肉った替え歌を作れるくらいになれたらいいなと思っています。
その時は、どうぞよろしくお願いします。


解説
自称「20%覚醒」の創価学会員、ポン太さんに、おおくの人が厳しいアドバイスを寄せます。
ポン太さんは、すべてに納得できたわけではなかったようですが、1年後にまたコメントを寄せて、非活に落ち着いたことを報告しています。

獅子風蓮