獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅡ:y さん登場(1)

2021-12-28 01:11:08 | 対話ブログ

■の文章は、シニフィエさんの対話ブログからの引用です。

●の文章は、それについたコメントの引用です。


■なぜ池田氏が姿を現さないことを学会員はスルーするのか  投稿日: 2014年5月12日

ひきつづき、テーマは「なぜ池田氏が姿を現さないことを学会員はスルーするのか」についてお話しましょう。現在このブログにはお二人の現役学会員さんがコメントされています。カメレオンさんは最初は学会員ということでしたが、途中でじつは脱会していましたとカミングアウトされました。その理由は不明ですが、言ってる内容もあいかわらず不明なので、これ以上深追いしないことにしました。
このテーマについて、みなさんからかなりの数のコメントをいただきましたが、このテーマは創価の矛盾をはっきりさせるわかりやすいテーマだと思いますので、あらたに現役学会員さんのコメントも期待しつつ、もう少しこのまま続けてみたいと思います。よろしくお願いします。
池田氏がまる4年も人前に姿を現していないというのは事実です。そしてその理由など組織からはひとこともありません。にもかかわらず、会員からそのことを疑問に思う声すらあがらない。いわゆるタブーとして捉えているのか、それともほんとうに何とも思わないのか。そのどっちにしても脱会者から見れば会員の態度はミステリーです。外部の方は関心がないのでどうでもいいのはわかります。学会員さんが池田氏を人生の師匠と豪語するならば、なぜ弟子が師匠の健康を気にもとめないのか。これに誰もが納得のできる答えをしてくれる学会員がなぜいないのかを問いたいと思います。このテーマは話がシンプルですから誰にもわかると思います。

震災後、天皇夫妻は積極的に福島を訪れました。被災された住民の方々にの一人ひとりに一生懸命声をかけられていました。
さて、昨日の聖教新聞の1面にはさまざまな花が咲き乱れる写真が大きく載っていました。
http://www.seikyoonline.jp/news/top/1212857_2118.html
その下の文を読むと
「レンギョウの黄色、シダレザクラの桃色、春もみじの赤?。先月5日、創価大学(東京・八王子市)を訪れた後、池田名誉会長は牧口記念庭園へ。柔らかい光の中に踊る“春”を、カメラに収めた。」
とあります。あれあれ?池田氏は創価大学に行ったんですね。入学式に出席したんでしょうか。知りませんでした。新入生に挨拶したんでしょうか。新聞見てないので知りませんでした。で、ネットで聖教新聞のバックナンバーを調べたら、創価大学の入学式は4月3日でした。池田氏は自分が創設した大学の入学式には顔を出さずに、なぜその2日後に大学を訪問したのでしょうか。2日後にしか来れないほど大切な用事でもあったのでしょうか。そのころの新聞のバックナンバーを見ても、4月3日の池田氏の動向は知らされていません。創価大学の入学式の時、池田氏は何をしていたのでしょうか。そしてなぜ4月5日の池田氏のことを書いた記事にそのときの写真が載っていないのでしょうか。
そして、その日は牧口記念庭園に行って花の写真を撮ったと書いていますが、その大きく載せた写真がそのとき撮った写真だとはどこにも書いていません。いつも垂直水平がでたらめな写真はたしかにファインダーを覗かずに撮る池田氏特有の写真であることに間違いはないと思いますが、いかにもそのとき池田氏が撮ったものであるかのような書き方には、ある種の操作の意図を感じないわけにはいきませんね。そして、その横には、何の関係もない1996年のコスタリカでの池田氏夫妻の写真が載っています。下のキャプションを読まなければ、いかにも今でも池田氏が元気で世界の友を激励しているかのようです。これです↓
昨日の聖教新聞になぜか18年前の写真が
どうしてここに18年も昔の写真が載る必要があるのでしょうか。普通に考えたら、4月5日に訪問した創価大学や牧口記念庭園での様子を載せるでしょう。そう思いませんか、現役学会員さん。これもミステリーですよね。これにどんな意図があるのか、どなたか説明していただきたい。
福島で被災された学会員さんは、池田氏がちらっと顔も出さないことを何とも思っていないのでしょうか。それとも「池田先生はご高齢だから」と本気で思っているのでしょうか。天皇さんも手術をしたりして、皇后さんもずっと公務ができないほど体調が悪かったはずです。でもおふたりは被災地に足を運び、多くの被災者の方たちを激励されていました。天皇皇后は東北に限らず、常に被災地には進んで出向き、被災者の方を激励されています。この事実を学会員さんはどう思っているのでしょうか。現役学会員さんのコメントお待ちしています。

●y (2014年5月17日 22:46 )
 モニカさん
 私との認識の違う部分を述べたいと思います。
・商売という一面は否定しませんが、会員をいかに勇気ずけるための生活に即した応用展開と捉えてます。
・秘法、絶対という確信ある言葉に大衆は惹かれるし、そうやって実践したほうが、効果があるからです。化城などもある意味激励のための騙しですから。
・お金に関していえば、すべて出す出さないは大人の会員の判断です。同調圧力があることは否定しませんが、出さない自由も認められています。
・日蓮のカルト的な要素を、時代に即して変えていけばよいことで、当時の権実雑乱の時代背景からすれば、五時八教からの法華宣揚は自然なことと思われます。
・創価学会という宗教法人が組織ぐるみの犯罪で司法に断罪されたことがない限り、それは誇張としか映りません。(法の華やオウムのようなことならわかります)
・上記のことで断罪されれば、賛同、加担ということは認めますし、それ以前に解散させらるでしょう。
 CALLさん
 狂信的な方は別ですが、この猿芝居の件で上層部に対しての不信感は拭えないと思います。書物を通しての池田氏は今の私でも活用するわけですから、不思議なことではないと思います。
 男ならわかると思いますが、下半身と仕事は別、くまら什、ユゴー、後世の思想に影響をあたえた方でも、私生活は決して誉められたものじゃないのが現実でしょう。
 依法不依人の考えからしても人法共に尊いことは理想ですが、過ちを犯すのが人の常との戒めと私は捉えています。逆にお聞きしたいのですが、宇宙の森羅万象、己心の生命を貫くとされる妙法なる存在のようなものまでも、今は否定される立場なのでしょうか?
 私は信じるに値するものと考えているので、信仰は続けるという立場です。題目(法)がインチキだってやめるかたはあまり聞きませんよね。人が絡むことでやめてしまうのがほとんどでしょう。
 
 私が信心はじめたころからすれば、組織も随分常識的になったとおもいます。みなさんのような方が様々情報発信することで、第一線の組織も中枢も今のままではもたないという危機意識がどんどん芽生え、変化せざるを得ないんです。
 罵倒座談会も今はおとなしいですよね。これも会員のクレームの嵐があったからです。庶民は愚にして賢なり。みてないようで、しっかりみているんです。
 みなさんの創価に対する厳しいご意見もわかっているつもりです。ただやめた方以上の多くの方が、信仰に誇りをもって課題に取り組んでいる現実も認めていただきい、、、。


解説
y さんという創価学会員の方が、モニカさんやCALLさんのコメント(詳しい内容は不明)に答えています。
私は、y さんの冷静な意見に、多くの共感を覚えます。
コメントの全体が読めなくて残念です。
是非、シニフィエさんには、対話ブログを再開していただけることを望みます。

獅子風蓮