★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

MASS

2019-08-21 19:20:45 | 文学


宵過ぐるほどにぞ、この御返り持て参れるを、かく例にもあらぬ鳥の跡のやうなれば、とみにも見解きたまはで、大殿油近う取り寄せて見たまふ。 女君、もの隔てたるやうなれど、いと疾く見つけたまうて、はひ寄りて、御後ろより取りたまうつ。

夕霧の巻は結構ながい。夕霧と亡き柏木の妻(落葉の宮)との関係で、手紙のやりとりがうまくいかない。というのも、夕霧には雲居雁が、落葉の宮に母御息所がしっかりついているからで、――かどうかわからんが、落葉の宮の気持ちがなんとなくはっきりしないのも理由であるが(そりゃそうだろう)、とにかく上手くいかない。しまいにゃ、作者は母御息所を病死させることで、夕霧の浮気を成就させてしまうのである。で、雲居雁は激怒し実家に帰ってしまうのであった。

思うに、この巻は本当に必要であったのであろうか。

「あさきゆめみし」でも、雲居雁がちょっとおもしろおかしく描かれていて、もう少しヒートアップすれば「はいからさん」になりそうな勢いだ。

たぶん必要なのである。源氏たちの行動は、まああれであり(恋愛行動もそうだが、「鈴虫」の宴会なんかが「憂世」離れしてるんだ)、――さすがに調子こきすぎなのである。ここで一発(もうすでにしているかも知れないが忘れました)「実家にかえらえていただきますっ」と誰かが言わなければならないのだ。紫の上には子どもがおらず、雲居雁にはえーと何人だろう……たくさん……。このたくさんというのが、雲居雁の行動の意味を増幅させる。

「あなたちょっと」と呼ぶ。「なんだ」と主人は水中で銅鑼を叩くような声を出す。返事が気に入らないと見えて妻君はまた「あなたちょっと」と出直す。「なんだよ」と今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐっと抜く。「今月はちっと足りませんが……」「足りんはずはない、医者へも薬礼はすましたし、本屋へも先月払ったじゃないか。今月は余らなければならん」とすまして抜き取った鼻毛を天下の奇観のごとく眺めている。「それでもあなたが御飯を召し上らんで麺麭を御食べになったり、ジャムを御舐めになるものですから」「元来ジャムは幾缶舐めたのかい」「今月は八つ入りましたよ」「八つ? そんなに舐めた覚えはない」「あなたばかりじゃありません、子供も舐めます」「いくら舐めたって五六円くらいなものだ」と主人は平気な顔で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いているのでぴんと針を立てたごとくに立つ。主人は思わぬ発見をして感じ入った体で、ふっと吹いて見る。粘着力が強いので決して飛ばない。

――「吾輩は猫である」


夕霧の家じゃジャムなんか一瞬でなくなってしまう。吾輩は一人で、苦沙弥の家族は大勢である。吾輩は一方的に喋っているだけであるからいいが、吾輩がもし手紙を苦沙弥の家族に向けて書いたとしたら大変なことになる。一瞬で頭の悪い子ども達が手紙を回し読みだ。案外子供にも手紙というものは読めるもので、御息所の手紙がいかに鳥の足みたいに読みにくくても本当はなんとか読めたはずだ。雲居雁は読めないふりをして、もっと決定的な事態になるのを待っていたのである。東浩紀氏はネット時代の幕開けに「誤配」を唱えた。しかし、ネット時代の「誤配」は恐ろしいものであった。返信がすぐに帰ってくる許りでなく、ちゃんと届き、脅迫みたいなものも混じっている。

人が多い場合は手紙を書かぬのが一番。


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