★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

こうみんなが総裁総裁と云うと是公と呼ぶのが急に恐ろしく

2024-09-27 23:08:54 | 文学


小蒸気を出て鉄嶺丸の舷側を上るや否や、商船会社の大河平さんが、どうか総裁とごいっしょのように伺いましたがと云われる。船が動き出すと、事務長の佐治君が総裁と同じ船でおいでになると聞いていましたがと聞かれる。船長さんにサルーンの出口で出逢うと総裁と御同行のはずだと誰か云ってたようでしたがと質問を受ける。こうみんなが総裁総裁と云うと是公と呼ぶのが急に恐ろしくなる。仕方がないから、ええ総裁といっしょのはずでしたが、ええ総裁と同じ船に乗る約束でしたがと、たちまち二十五年来用い慣れた是公を倹約し始めた。

――夏目漱石「満韓ところどころ」


権力が移動するときに生贄が生じるのはもう意識を超えた事態である。これは今回の自民党の総裁選挙のことを言っているのではない。ごく普通の組織でよく起きている事態を指している。むかしは、権力者と幇間がいるのかと思っていた。しかしほんとは、おかしな人と生贄がいるだけだった。そのほかは庶民である。責任は庶民にある。

タカ派の石破氏が総裁になったらしい。やたら論「破」とか津「波」注意とか言っている世の中だからじゃないかなと思う。「マルクスは生きている」を書いたのは彼ではなく、不破の方である。不破哲三はいま何歳だろう?おそらく石破氏の父親の世代である。石破氏はたしか鉄道オタクで、新幹線に乗った思い出なんかを語っていた。キャンディーズのファンでもあったと思う。石破氏は、共通テストを廃止し、戦艦プラモデルの出来で大学に入れるようにするかもしれない、あるいは情報をやめて戦艦にするかも(それはない)。しかし、石破氏のXのプロフィールに「カレー/読書/ラーメン」と書いてあって、なにゆえこの順番なのかと思わざる得ない。この人は優先順位を好きな順番と混同する我々みたいなタイプとみた。

およそ政治に向いてねえんじゃないかと思わざるを得ないが、われわれはこれからこういうタイプを選ばなきゃならんのである。

そういえば、中沢新一氏の『構造の奧』は面白かったが、ほんとは「構造と奧」みたいな気がしないでもない。石破氏みたいなオタク世代にとって、世の中は「構造」で、自分は「奧」なのである。

誰か舊き生涯に安んぜむとするものぞ。おのがじゝ新しきを開かんと思へるぞ、若き人々のつとめなる。生命は力なり。力は聲なり。聲は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。

藤村にとって人生百年みたいな時間の引き延ばしは生涯ではなかった。自らの内なる生命から言葉に至る「なり」の無時間の連続性こそが生涯であった。それは、古い構造の中で闘うことによってしかなし得ない。


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