★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

農民神社を訪ねる(香川の神社9)

2017-08-28 18:38:47 | 神社仏閣
たまたま始めた神社仏閣巡りであるが、伏石伏石と反芻していたら、突然「あ、これは伏石事件」の所じゃないか、と気づきました。生涯で四番目くらいの屈辱です。小作争議の勉強で知っていたにもかかわらず、わたくしは、どこかの東北の寒村の事件だと思い込んでいたのです。一生の不覚です。こんな有名な事件と近所が結びつかなかったとは――

大正十二年、小作農たちが地主に小作料2割ないし3割減の要求をしたのだが、次の年(大正十三年)は大凶作――、その要求をのまない地主側は稲立毛を差し押さえて競落した。で、小作農たちは稲を刈り取って脱穀を行い、支払いが済むまで渡さねえぞと弁護士を立てて主張したところ、なんと窃盗罪で二十人以上逮捕となってしまった。尋問で拷問が行われた模様で、釈放後命を絶つ者が現れた。弁護士の若松氏も、昭和三年に出所後、愛娘を絞殺、自分も鋏で自殺したと伝えられる。――全国の小作争議に火を付けたと言われている事件である。わたくしも以前、これぐらいは勉強で知ってはいた。

そういえば大正十三年といえば、鹿の井の水をめぐってごたごたがあり、激しい争いに警察が出動した年でもあるのであるが……

今日、蓮池にやってきたのは、この小作争議を祀った農民神社を訪ねるためです。前の記事の記念碑の横にそれはあります。






昭和五十二年に建っているようです。署名は、平野市太郎氏。以前の社会党の衆議院議員ですね。注連石のような碑はもっと古そうだが、ちょっと読めなかった。


伏石事件の碑。撰文の林雪次氏は、農民運動出身の高松市議だった人。裏の「犠牲者名簿」をみたら、林氏は当時「訴訟係」であった。先ほどの平野氏は「副支部長」である。弁護士を務めた若林三郎が長野県人とは初めて知った。わたくしも長野県人である。辛い……

この事件のモニュメントが、碑と霊標と神社というのが興味深いところだが、――やはり義民みたいな扱いなのであろうか。


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