★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

お前もな、合戦

2019-10-03 23:34:04 | 文学


上がらんとする処に後より物こそむずと控へたれ、誰そ、と問へば、重親、と答ふ、いかに大串か、さん候ふ、大串次郎は畠山が為には烏帽子子にてぞ候ひける、あまりに水が速うて馬をば押し流され候ひぬ、力及ばでこれまで着き参つて候ふ、と言ひければ畠山、いつも和殿原がやうなる者は重忠にこそ助けられんずれ、と云ふまま大串を掴んで岸の上へぞ投げ上げたる

人気の宇治川合戦の先陣争いである。なんなのだ、この、すでに頼朝側の勝ったみたいな雰囲気は。鎌倉武士の畠山庄司次郎重忠は、義仲軍の山田次郎が正確に放った矢(さすが)を受けて馬が倒れ(馬はかわいそう)、泳いで岸に着いた。すると、後ろから摑まれた。大串次郎という跳ねっ返りであった。この大串というやつ、のちに藤原國衡を殺したウンコ野郎である。何が「とっても水が速くて馬が流されちゃいまして。力およばすここまで参ったのでござる」だ。死ねっ。で、畠山もこの期に及んで緊張感がない奴で、「おまえらみたいなやつはおれさまにいつも助けられることになっているずれ」と言い放つ。GOTOHELL。大串というやつはとても軽かったらしく、畠山に岸に投げられる。

投げ上げられて立ち直り太刀を抜いて額に当て大音声を揚げて、武蔵国の住人大串次郎重親宇治川の徒歩立ちの先陣ぞや、とぞ名乗つたる、敵も御方もこれを聞いて一度にどつとぞ笑ひける


何が「徒歩立ち」だ。金輪際馬に頼るな。そして敵も味方もこの期に及んで笑ってるんじゃねえぞ。はやくこの関東のど田舎野郎どもをやっつけろ。(木曽殿たちも田舎野郎である)

わたくしは、歌川国芳の「宇治川合戦之図」は妙に平板でつまらないと思うが、――考えてみると、客観的にみて大したことのない先陣争いで興奮している日本人民を目覚めさせようとしているのかもしれない。

思うに、日本人というのは、敵も含めて仲良くならないと何もする気が起こらないという特殊な人々なのではなかろうか。前からわたくしが主張しておるように、最近の韓国叩きは、韓国と仲良くなったというのが原因なのではなかろうか。テレビをみていると、中国や韓国、香港のデモでもいいが、それらに対してするコメントが、すべて我が国に当てはまるという離れ業をやってのけている。他者性がないのだとかいう高尚な議論も出来なくはないが、自分とある程度仲良くなった者に対してしかアクションを起こせないのである。で、仲良くなっている理由は一番簡単な「似ている」というモメントである。源氏と平家の何が違っているのであろうか。全く違っていない。義仲と頼朝もそうである。お互いに「お前もな」みたいな関係であり、それが褒め言葉にもなり貶す言葉にもなりうるだけである。


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