★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

道具的カラヤン

2024-03-28 15:01:12 | 文学


古往今来詩家の恋愛に失する者、挙げて数ふ可からず、遂に女性をして嫁して詩家の妻となるを戒しむるに至らしめたり、詩家豈無情の動物ならむ、否、其濃情なる事、常人に幾倍する事著るし、然るに綢繆終りを全うする者尠きは何故ぞ。


北村透谷みたいに、こういうことを考えていると、いずれにしても元気になるとは限らない。恋愛はプロセスで、情が濃かろうと何だろうと関係がないからだ。

かくて、我々はプロセスなしで効果がある道具に接近してゆく。ドイツグラモフォンの録音は、ドイツの石造りの家で流したらよいみたいなことを聞いたことある。カラヤンのレコードなんかはもう演奏会のものとは別物の「(癒やし)家具としての音楽」なのかもしれない。憂鬱のときに聞くと金管と打楽器の元気良さで少しこちらも回復する。。フルトヴェングラーもあまりに暴れるのでそういう時もあるが、よりその暴れぶりを認識するために、生活を削り何時間も付き合わなければならない。生活を芸術に奪われる。これは、生活を政治に奪われていた時代の影響であろうか。


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