★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

巫女としての主婦とブルジョアジー

2024-04-05 21:46:31 | 文学


于以采蘩 于沼于沚
于以用之 公侯之事
于以采蘩 于㵎之中
于以用之 公侯之宮
被之僮僮 夙夜在公
被之祁祁 薄言還歸


「采蘩」の一部である。いろんな解釈があるんだろうけど、家の中でどことなく母親というのが巫女の役割を果たすというのはあった気がし、戦後もまだそういう家は残ってたんだろうと思う。主婦の新興宗教への傾倒みたいなこともどこかしら関係あるんじゃないかと思ったこともある。

そういえば、ドラゴンボールのブルマって、ちょっと巫女的だ。ドラゴンボールのこと知ってたり、魔法(科学)使ったり。悟空と夫婦にならなかったのは、さすがにそれだと古代中国かよみたいな感じになってしまうから、現代的な専業主婦・教育ママモードのチチが選ばれたんじゃねえか。

いまやってる朝ドラ面白そうだから見ているが、――いまのところあれは、林芙美子の放浪記や佐藤こうろくやら何やらが娘の個室においてあるような大ブルジョアジーの家庭の話で、主婦のあり方もそれなりなのだ。そうでなければ、じいちゃん(ばあちゃん)の権力がまた上にあって、ドラマのように母が家庭の主導権を握ることはない。主人公のお見合いの相手なんか全員帝大出身とかすごいかんじだけど、そもそもお見合いが個人の決定にある程度依存する形できちんと行われているのはすべての家庭においてではない。戦前のプロレタリアートの習慣ではないのである。彼らにとってはまずは自分の意思表示が出来るお見合いなんかは「自由」の範疇だったし、ああいうキレイな着物が着てみたかった娘達が多かった。そもそも嫁に出してもらえないものだっていたわけだ。しかし、考え方はいまのリベラルなんかよりもよほど合理的で保守的ではない場合があるのである。

そういえば、主人公の母は旅館の娘で、一目惚れした帝大生?が指導教官の努力で結婚したみたいな事になってたと思う。明治維新の志士たちが「水商売」の人と結婚したりするのとはちがうけど、わたくしの祖父の世代のある層の男にとっては夢みたいな話だ。そういえば、祖父祖母の世代のある人が「おしん」をみて「まだ泣いたりするのが許されているだけましじゃないか」と言ってた。それが、いまや大ブルジョアジーの話に勝手に感情移入する体たらくだ。