★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

川中神社を訪ねる(香川の神社92)

2017-10-24 02:29:15 | 神社仏閣
観光橋の近くにあるのは知っていたが、ようやく行ってみた。「川中神社」。抽象的な名前の時は何かあるとわたくしの煩悩が告げます。




予習なしに訪ねてみたが、今日は素晴らしい神社にゆきあたったぞ――「歓喜天」様っ


鳥居は大正十二年。玉藻漁業協同組合。玉垣昭和四十七年。注連石、明治四十五年。玉垣には、とてもうまい近所のうなぎ屋さんの名字がずらり……。細君と結婚前に食べに行ったことあり。


大正十三年五月の燈籠。

 
狛犬さん。

記念碑に曰く、

「当神社は明治初年頃地元有志の発議により五剣山八栗寺より大聖歓喜双身天王を祭神としてお迎えし」


もうのっけから、他の神社とは違います。神仏分離政策のあとか前かは知りませんが、これから国家神道だそれワッショイショイの時代に、有志の発議で、八栗寺から歓喜天を呼んでしまうあたり、さすが遍路王国です。八栗寺は、八十五番札所であります。お大師さまが、牟礼にいたときに、天から五つの剣がふってきました。危なすぎるお話しですが、蔵王権現殿であった。で、ここが霊地であると言うんで、剣を埋めて開基したのだといいます。そういえば、以前、死んでも生きてるお大師の髪の毛を切った刃物を埋めて寺にしてあるところを訪ねましたが、案外、仏教というのは刃物的なエピソードが多くあります。というのはどうでもよいとして、さすがに蔵王権現の剣である、埋めたら山(五剣山)になってしまう程デカかったのであった。それにしてもデカすぎる。これに比べると中上健次の「岬」なんかちっちぇ。で、八栗寺には、お大師様作の歓喜天が祀られているというのです。すごい。水を出しまくるだけでなく、18禁の像まで造ってしまうとはお大師様は一体なにを考えているのでしょう。確かに、この寺の御詠歌、「煩悩を 胸の智火にて やくりをば 修行者ならで 誰か知るべき」でございます。本堂には、不動明王と愛染明王。セックスアンドバイオレンス、いや、煩悩即菩提であります。

という訳で、八栗寺の歓喜天を呼んでしまった訳ですが、

「清流御坊川河畔に建立せられ以来住民の信仰厚く今日に至りましたが今度御坊川改修工事により社殿が立退く事となりよって社殿を新築す
昭和四十六年拾月四日起工式をを行ひ同年拾弐月壱日上棟式を挙行し昭和四十七年四月竣落成せるものなり」


清流御坊川というのが何か願いが込められている気がします。戦後、なんか汚れがひどかった時期があったと聞いてるんで……水は清きふるさとですよ。長野の諏訪湖もきれいになったのかしらん……?大学生の頃、おまるみたいなフェリーに乗ったことがありますが、まだ濁っていたなあ、スワコ。


聖天宮が、不動明王、杦森、三宝大荒神、木里大明神を従える形です。


拝殿の額に堂々と真言であります。(聖天宮、三宝荒神、不動明王)こういう神社は多かった筈なんだがなあ……




左手に回り込む


本殿を見上げます


地神さんがいた


でっかいきのこ燈籠。「昭和十二年 村長 加藤甚助」とあり。昔の太田村村長さんですね。


「三宝荒神」とあって、「大先達 竹内仲次 明治四十年四月」とあり。もともと荒神社の性格が強かった神社なのかも知れません。だから歓喜天を呼ぶに至った経緯は面白そうですね。ウナギと関係あるのであろうか……。さて、今日も精をつけて頑張ろうっ


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