★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

病膏肓に入る

2024-04-18 23:29:14 | 思想


晉侯夢。大厲被髮及地、搏膺而踊。曰、殺余孫、不義。余得請於帝矣。壞大門及寢門而入。公懼入于室。又壞戸。公覺。召桑田巫。巫言如夢。公曰、何如。曰、不食新矣。 公疾病。求醫于秦。秦伯使醫緩爲之。未至。公夢。疾爲二竪子曰、彼良醫也。懼傷我。焉逃之。其一曰、居肓之上、膏之下、若我何。醫至。曰、疾不可爲也。在肓之上、膏之下。攻之不可。達之不及。藥不至焉。不可爲也。公曰、良醫也。厚爲之禮而歸之。


病膏肓に入る。病の気が膏と肓にかくれてしまって医者が治せなかった。医者が来ることに感づいた病の気の勝利である。「もやしもん」という菌がみえる大学生の話があったが、たしかにわれわれには病がどこかにかくれたりする感覚がある。病だけではない。悩みとか鬱っぽいものとかもどこかにかくれるときがある。

しかし本当にそういう病は存在しているのであろうか。もしかしたらわれわれ自身の一部ではなかろうか。我々はよくうまくいかないのを人のせいにするが、同じように病のせいにしているだけではないだろうか。そもそも上のエピソードでも病が医者が来るのを感づいたのは怪しい。医者が来るのを知っていたのはそいつ本人しかありえないではないか。

我々の文化は粘菌があちこちに手足を伸ばしたところの明哲保身みたいなのであるが、――我々は社会にすら他人のせいという他者性を持ち込んで自分の手足の責任をとろうとしない。

谷崎の「魔術師」を用いて、言葉が魔術――の時代があったかが今日のゼミの話題であった。最近の人間の言葉への過敏さと恐ろしい鈍感さは魔術に対する態度かもしれない、呪物ではなく魔術なのではなかろうか。さんざ言われてんだろうが、「様々なる意匠」の小林秀雄の「言葉の魔術をやめない」というのもレトリックじゃない。ホントの魔術のことなのであろう。

最近、正力松太郎がCIAだったという話題がまたむしかえされていたが、広島カープですら、原爆投下の後始末としての対日工作の結果だったというのだ。そのカープ対日工作説が正しいとすると、「はだしのゲン」の後半、戦災孤児たちが野球にクルってゆく様はもうなんというかより悲惨な話にみえてくる。中沢氏の「広島カープ物語」とかも同様である。――ようするに、われわれが手足と思っている外部に戦後はあったのだ。敗戦というのはそういうことだ。反省によってはそれを捉えることは出来ない。膏肓にアメリカがいることさえ分からない。

学者が本質な革命を諦めて「研究者」になり、外☆資金の公共的テーマに縛られ研究がかえって夏休みの調べ物的になって本質的な跛行がなくなり、面白くない五カ年計画の地獄に落とされている人は多い。特に共同研究は身動きできなくなるから大変である。まあコルホーズか何かである。別にやりたきゃやっていいし共同作戦でやるべき物事も確かにあるわけだが、全員に強制してどうするのであろう。かかることを推し進めればどういうタイプが出世して、誰が未来への尻ぬぐいに奔走するのかやる前にわかるだろうに。もともとの革命の担当者が鋭敏な優しさを用い、ぼろぼろになった組織の運営や知的革命の萌芽を守る担当者になってしまい、一方「研究者」の側は公共的結論に向かって強制労働を続けるのである。これは、シャーレのなかの菌の動きみたいなものである。組織や革命こそが粘菌の手足の外部にあるのは当然である。

博士論文を書くときなんかに、幕の内弁当をうめてくみたいなやりかたは、自分なりの「角度」がないのになにかやってしまった感がでるので危険であるのはさんざ言われているが、これは論文だけの問題じゃなく、「角度」を死守して小説をどうかくかみたいな問題と、リアリズムの問題をうまく考えられなかったことと共通している。坂口安吾の「意欲的創作文章」論にでてくる観点である。わたくしは、結局、菌がシャーレを出られない、シャーレの壁を風景と錯覚する問題と思うわけである。