★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

生目神社を訪ねる(香川の神社141)

2017-12-10 15:52:56 | 神社仏閣


曹洞宗永平寺祥福寺の入口。ここをどんどこどんどこ行くと神社があるはずである。



ありました。生目神社です。


   
右手は高松市。天下を睥睨できます。



右手の斜面は一面ソーラーパネルになってます。す★ご☆い。

 

案内板に曰く、

「祥福寺鎮守のお社」

お寺を守らされているのか、お寺を守ってやっているのか、どっちだろう

「当社は古来、生目八幡宮(活目ともかく)と称えておりましたが、明治維新にいたって生目神社と改称せられました。」

「改称せられました」ではなく「改称させられました」だろう。気の毒だな

「俗に「いきめ様」とも称されます。」

さすが「俗」の人はわかってる。もう「いきめ様」でいいのに……。ちょっと語感が恐ろしげな感じだし……。


「霊験
 古より眼疾に霊験あらたかなりとして崇敬社の祈念殊に厚く、病気平癒、無病息災、又、眼を開くことより転じて開運の社としても信仰を集める。」

ほんと、日本では「転じ」るものばっかりです。

「神詠
かげ清くてらす生目の水鏡、末の世までもくもらざりけり。」

この神社の本社は、宮崎県の生目神社である。ウィキペディアによれば、

「元祿2年(1689年)3月3日に豊後国日田郡の郡代、池田季隆が参詣し「かげ清く照らす生目の鑑山、末の世までも曇らざりけり」と詠じたところ、「鑑山」を「水鑑」と改め、これを唱える事で霊験が得られようとの神託が下ったため、季隆により「かげ清く照らす生目の水鑑、末の世までも曇らざりけり」と改められ、爾来神詠歌として参詣者に唱えられることとなった」

らしいのである。あやしい……。いずれにせよ、祭神は品陀和気命(応神天皇)と藤原景清。仏生山の生目八幡宮ははっきりと後者だけであった。



後ろにまわってみる。宮崎の本社には、景清が抉ってぶん投げた両目がひっかかかった木があるのであるが、ここにはなかった、というか、なくて良かった。



向こうには、庄の宮神社、あるいは春日神社の鳥居であろうか?


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