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★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ロマン派のための子守歌

2025-04-23 23:05:36 | 文学


トーマス・マン研究にも知られているヴァルター・A・ベーレントゾーンの著作は、『詩人の工房における日常の客としての死』という実に嬉しいタイトルであり、 素晴らしいリストがあげてある。《一五六編の『メルヘンと物語』のうち、死に対するいかなる指摘もないのは六分の一に過ぎない。少なくとも二四編の物語で、死は唯一のメインテーマとなっており、主として伝記的なほかの二五編の物語では、結末に死が著しく強調されて出てくる。二つの連続物(『幸福の長靴』と『眠りの精オーレ・ルゲイエ』)では、作品全体の頂点となる最後の物語に、死の描写が満ちている。(……)アンデルセンが『メルヘンと物語』で描くさまざまな死に方について、奇妙なもの、彼がとりわけ詳細に描いているものを、若干書き出そう。錫の兵隊と踊り手はともに暖炉の中で死ぬ (しっかり者の錫の兵隊)。四編の風の物語のうち、三編で死が話題になっている。北風は鯨取りを溺死させ、西風は頑張屋が川の流れを漂って滝に落ちるのを見、南風は隊商を全員砂の中に埋める(パラダイスの園)。 小さな子供は水車のある堤防で死を夢見る(コウノトリ)。若い娘は殺された恋人への憧れから死ぬ。 彼女は彼の首を植木鉢の中に埋めたのである(バラの花の精)。インドの女性が死んだ夫とともに焼き殺される(『雪の女王』の鬼百合が語る物語)。ここでベーレントゾーンは脱線を控え、彼にとっても考慮に値する『すげかえられた首』には言及しない 《カーレンはついにまたミサに参列を許された時、喜びのあまり死ぬ(赤い靴)。赤い櫛と金色の羽で体を飾ったスズメの母親は鳥たちにつつかれて死ぬが、その中には自分の子供たちもいる(おとなりさん)。貧しい少女が大晦日の夜、街の真ん中で死ぬ(マッチ売りの少女)。病気のクヌートは故郷への旅の途中、街道の柳の木の下で凍え死ぬ(柳の木の下で)。われわれは洗濯女の最後の一日を体験する (あの女はろくでなし)。

――ミハエル・マール『精霊と芸術』(津山拓也訳)


この本は、わたくしのような、アンデルセンとマーラーが大好きだみたいなロマン派のための子守歌みたいな本であった。


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