「佐枳彌多摩」とは、『日本書紀』に出てくる。オオクニヌシが、国を平定してえっへんえっへんと「今はおれに従わない者はいないねガハハ」と大食らいしていたところ、海から突然ぴかっと出現した神あり。
「于時、神光照海、忽然有浮來者、曰「如吾不在者、汝何能平此國乎。由吾在故、汝得建其大造之績矣。」
もっともでござんす。一人で何も出来る訳じゃなし。しかし、世の中、誰かの成功に嫉妬し「おれのおかげだろうがっ」といきなり現れる人は多いですね。海から来た人もそういう類でしょう。こういう人はルサンチマンの塊なので何をするか分かりません。オオクニヌシはさすが人間をよく分かっていて
「是時、大己貴神問曰「然則汝是誰耶。」」
とりあえず、名前を聞いとかなければいけません。それから対策を……
「對曰「吾是汝之幸魂奇魂也。」」
「答えて曰く「わしはお前の幸魂・奇魂だ」と。」なんと、嫉妬した誰かは、てめえの(幸福をもたらす)魂だったのです。恐ろしや。さすが成功した人は違います。鏡を見ているうちに、「お前はだれ?お前の魂だ」みたいな会話をしているのでしょう。ドッペルゲンガーとは自己を見付ることと見付けたり。というわけで、当然自分に答えているのですから、
「大己貴神曰「唯然。廼知汝是吾之幸魂奇魂。」
と物わかりが早い。これが赤の他人だったら「お前誰だよ、とりあえず死ねっ」となるはずです。このあと、第二の自分は「吾欲住於日本國之三諸山。」と言ったので、そこに宮をつくりましたとさ。日本の神道の分霊とか分祀とが、自己愛のドッペルゲンガーだったことがわかる恐ろしいエピソードです。
それはともかく、「幸魂、此云佐枳彌多摩(さきみたま)」なのであります。一霊四魂説のうちの「和魂」のなかに「幸魂」と「奇魂」がありますが、上の挿話からも分かるように、てめえの成功(ていうか、たぶん征服、即ち大量虐殺)をもっともらしく説明しているだけで、やるんだったら、カントみたく分類について永遠に錯乱し続けるべきなのです。戦争に負ける訳ですよ……
狛犬(昭和七年)
拝殿
本殿
『神社誌』曰く、「鷲田村郷社鶴尾神社境外末社。境内老樹多く頗る森厳なり。祭神御井神は元、井元大明神と稱せられ、昔此の附近に泉ありて其の處に奉齋せしを後、此の泉を埋めて田地となせしにより當社に合祀せりといふ。」結局、もともと井戸とか泉にかかわる神様のようです。
道を挟んだ目の前に高善寺があります。案内板に曰く、
「朱雀天皇は、承平七年(西暦九三七年)寛平法皇の七年忌と觀賢僧正の十三回忌とを兼ねて、大字坂田無量壽院においてその法会を挙げさせるため勅使(天皇のお使い)をつかわせました。勅使は、この地に十数日間滞在せられ、法会を行いました。土地の人は、これを無上の光栄として「勅使」を村名(その後大字名・町名)としました。別説では、前記とは別の勅使がこの地に来た時、病にかかり天皇は侍医を差遣しましたが、間にあわず、死去したので高善寺境内に葬りました。そこで勅使村と稱するようになったとも言われている。」
観賢僧正がまた登場です。朱雀天皇のお使いが滞在したという訳でここらを「勅使」としたらしいです。
また別の説あり。別の案内板に曰く、
「大字坂田に瓢箪池という田がありました。その昔、行基菩薩がこの地に立ち寄られた時、一粒の瓢の種子を農夫に与えました。栽培すると毎年名品を産し、天皇にまで聞こえるところとなり、りっぱなひょうたんを献上しました。天皇は、このひょうたんを見られ、早速瓢箪池の栽培について調査の正副の使者をつかわしました。一行は、実況を視察し、めずらしい、ひょうたん数種を持って帰途につこうとしましたが、不幸にも正使が病にかかり、この地のあたりで療養しましたが、ついに病死しました。そこで、高善寺の奥に葬りました。その墓が勅使墓で、この墓があるので勅使村と称したという説もあります。」
今度は行基が出てきましたが、もはやだれでもいいや。
それはともかく、神社よりびっくりしたのが鳥居の横にそびえ立つこれ。
いまはどっちを使っているのでしょう……。
鳥居(平成十七年)の横にお地蔵さんもいました。