卯の花のいみじう咲きたるを折りて、車の簾、かたはらなどにさしあまりて、おそひ、棟などに、長き枝を葺きたるやうにさしたれば、ただ卯の花の垣根を牛に懸けたるとぞ見ゆる。供なる男どもも、いみじう笑ひつつ、「ここまだし、ここまだし」と、さしあへり。
人もあはなむ、と思ふに、更にあやしき法師、下衆の言ふかひなきのみ、たまさかに見ゆるに、いとくちをしくて、近く来ぬれど、「いとかくてやまむやは。この車の有様を人に語らせてこそやまめ」とて、一条殿のほどにとどめて、「侍従殿やおはします。郭公の声聞きて、今なむ帰る」と言はせたる使、「『ただ今まゐる。しばし、あが君』となむのたまへる。さぶらひに間ひろげておはしつる、急ぎ立ちて、指貫たてまつりつ」と言ふ。
待つべきにもあらずとて、走らせて土御門ざまへやるに、いつの間にか装束きつらむ、帯は道のままに結ひて、「しばし、しばし」と追ひ来る供に、侍三四人ばかり、物もはかで走るめり。「とくやれ」と、いとど急がして土御門に行き着きぬるにぞ、喘ぎ惑ひておはして、この車のさまをいみじう笑ひたまふ。「うつつの人の乗りたるとなむ、更に見えぬ。なほおりて見よ」など笑ひたまへば、供に走りつる人どもも興じ笑ふ。「歌はいかが。それ聞かむ」とのたまへば、「今、御前に御覧ぜさせて後こそ」など言ふ程に、雨まことに降りぬ。
卯の花を牛車に飾ったのだが、法師や下々の者しか出会わない。侍従殿の家に声をかけておくと、お供とともにあえぎながら追いついてくるこの車においつき、「正気の人が乗っているとは思えませんねえ。降りてご覧なさい」というのだ。
魔に襲われたような気分が二、三日つづいた。健三の頭にはその間の記憶というものが殆んどない位であった。正気に帰った時、彼は平気な顔をして天井を見た。それから枕元に坐っている細君を見た。そうして急にその細君の世話になったのだという事を思い出した。しかし彼は何にもいわずにまた顔を背けてしまった。それで細君の胸には夫の心持が少しも映らなかった。
「あなたどうなすったんです」
「風邪を引いたんだって、医者がいうじゃないか」
「そりゃ解ってます」
会話はそれで途切れてしまった。細君は厭な顔をしてそれぎり部屋を出て行った。健三は手を鳴らしてまた細君を呼び戻した。
「己がどうしたというんだい」
「どうしたって、――あなたが御病気だから、私だってこうして氷嚢を更えたり、薬を注いだりして上げるんじゃありませんか。それをあっちへ行けの、邪魔だのって、あんまり……」
細君は後をいわずに下を向いた。
「そんな事をいった覚はない」
「そりゃ熱の高い時仰しゃった事ですから、多分覚えちゃいらっしゃらないでしょう。けれども平生からそう考えてさえいらっしゃらなければ、いくら病気だって、そんな事を仰しゃる訳がないと思いますわ」
――「道草」
我々の世界は依然として「正気」ではないときに、何かを言ってしまうんじゃないかと恐れる状態にある。わたくしは正気を失って花を愛でてるとは思えないのだ。鶴見俊輔はかつて、戦前のプロレタリア文学は、手力男命のようなものだと言って居た。岩屋戸をこじ開けたあの男である。鶴見は楽観的であり、光は正義によって必ず無意識から解放されるとでもいいたげである。果してそうであろうか。清少納言の上の場面は、直ぐさま雨の場面にうつり、卯の花が直接雨に繋がっている。我々の世界は、その間にいろいろなものが混ざりすぎている。それが無意識というもので、こんなところに光があるはずがない。光は、照らされたものにしかないと、わたくしは思うのである。そして我々自身は光にはなれない。