
子曰、飯疏食飮水、曲肱而枕之。樂亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲。
明治時代の文三は、それほど食べ物に困っていたわけではなく、うまいこと馘首にならずにいても「不義」による「富」を得るわけでもなかった。そんなもの「浮雲」に過ぎず、と切って捨てるには、自分の方が浮雲のようになってしまったのである。自らを有利に疎外出来ない時代の始まりであった。断固決然、何かを決心しようとするのだが、彼の体はうまく動かない。徂徠が古文辞学で、哲学を文献学に解体したように、文人は乖離現象を生きなければならず、彼はなにか浮雲、いや幽霊みたいなものになってしまっている。――昨日、森和也氏の『神道・儒教・仏教』をよんでいてそう思った。
仏教と儒教を平行して読んで行くと、いまだこの二つの戦いが続いているようなきがしてくる。我々はまだ三教一致みたいなことを考えながら、自らの生を消費しているだけなのかも知れない。楕円の二つの焦点どころではなく、三点ぐらいの乖離現象を我々は生きているのかも知れないのだ。
林羅山以来の、儒教による仏教批判、仏教の出世間が五倫を乱すみたいな考えは、それが立身出世にかわっても変わらなかった面がある。出世間(出家)は家を崩壊させる、立身出世も結局はそうなのであり、政府が人を集めようとして、あるいは「故郷」みたいな唱歌で合理化しようとしても、五倫を乱すそれは先在的な脅威として燻り続けていた。そして、実質的な家がなくなっても、それは脅威として残っている。「浮雲」の浮遊感はそれをもう予言している。
仁義忠孝を生きる力とかコミュニケーション能力とか言い換えれば、教学聖旨とほとんどかわらないこと言っている人だって多い。
一 仁義忠孝ノ心ハ人皆之有り然トモ其幼少ノ始ニ其脳髄ニ感覚セシメテ培養スルニ非レハ他ノ物事已ニ耳ニ入り先入主トナル時ハ後奈何トモ爲ス可カラス故ニ當世小学校ニ給圖ノ設ケアルニ準シ古今ノ忠臣義士孝子節婦ノ畫像・寫眞ヲ掲ケ幼年生人校ノ始ニ先ツ此畫像ヲ示シ其行事ノ概略ヲ説諭シ忠孝ノ大義ヲ第一ニ脳髄ニ感覚セシメンコトヲ要ス然ル後ニ諸物ノ名状ヲ知ラシムレハ後來思孝ノ性ニ養成シ博物ノ挙ニ於テ本末ヲ誤ルコト無カルヘシ
一 去秋各縣ノ季校ヲ巡覧シ親シク生徒ノ藝業ヲ験スルニ或ハ農商ノ子弟ニシテ其説ク所多クハ高尚ノ空論ノミ甚キニ至テハ善ク洋語ヲ言フト雖トモ之ヲ邦語ニ譯スルコト能ハス此輩他日業卒り家ニ帰ルトモ再タヒ本業ニ就キ難ク又高尚ノ空論ニテハ官ト爲ルモ無用ナル可シ加之其博聞ニ誇り長上ヲ侮リ縣官ノ妨害トナルモノ少ナカラサルヘシ是皆教学ノ其道ヲ得サルノ弊害ナリ故ニ農商ニハ農商ノ学科ヲ設ケ高尚ニ馳セス實地ニ基ツキ他日学成ル時ハ其本業ニ帰リテ益々其業ヲ盛大ニスルノ教則アランコトヲ欲ス
思想にも学業にも家業にも疎外され、家からも疎外された場合、――我々にはいくところがあるのか。無差別殺人やテロなどに対する想像は文学作品に案外依拠することも多いが、ドスト氏はもちろん大江氏はちょっと昔だし、中上の一九歳も泣き虫でしかもちょっと昔になりかけである。というのは、彼らはまだ拠って立つ怒りと悲しみから「反社会」みたいなモチベーションが感じられるのである。もう村田沙耶香や宇佐見りんの描く人間の線でイメージする方がよいかもしれない。モチベーションなき行為がまずは拠って立つ前提を作りかける。