
我にもあらず、あらぬ世によみがへりたるやうに、しばしはおぼえたまふ。
源氏が夕顔と遊んでいたところ、生き霊があらわれる。で夕顔は卒倒して死ぬ。源氏はあまりのことにこそこそと家に帰ってくるのだが、ここの世間体と夕顔の死へのショックで混乱する描写はなかなか迫力がある。これは、これと似たまずいことを経験していないと書けないとみた。で、源氏はそれでも夕顔の死体に対面しにゆくのだ。あまりにかわいらしいので余計に悲しい。ついに、源氏も寝込んでしまった。回復したときの様子が上である。
わたくしは、「君の名は。」みたいな、夢だかうつつだか、そもそも憶えてないや――みたいな話に実感がない。その代わり、紀貫之がある人が死んだときに歌った歌、
夢とこそいふべかりけれ世中に うつつある物とおもひけるかな
のような感じはわかる。それに、――あるものが失われた世界には、別のものがやってくるはずで、それが恐ろしいというのがある。それはまるで生き霊のようである。わたくしが光源氏にみたいな立場なら、とりあえず毎日のように生き霊に悩むはずで、それがあまりない源氏はちょっと何かがおかしい。上の様子でも、「あらぬ世によみがへりたる」と思えるところがなかなかのメンタルなのである。
それはそうと、「夕顔」といえば、小学校一年と二年のときに、夏休みの自由研究で夕顔をあつかって賞まで貰ったわたくしであった。母親にかなり手伝って貰った気がしないでもないが、驚いたのは、台風の時に夕顔は夕方に咲くのをやめて朝咲いたのである。思うに、夕顔もいつもの男を落とすテクニークで源氏なんかをひっかけるから死んでしまったのだ。源氏は光る台風のような危ない男である。やめておいた方が良かったのだ。もうひとつびっくりしたのは、夕顔の実である。この巨大にだらりとたれさがり何の模様もないそれは非常に不気味な感じがした。そもそも花に対してこの実はでかすぎないであろうか……