★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

愛は天災と階級闘争である

2012-02-22 23:01:35 | 漫画など


いろいろと疲れたので、ひさしぶりに映画見て漫画を読みました。

『ドラゴン・ヘッド』と『愛と誠』。どちらも、災難が愛を生むという話だった(笑)

『ドラゴン・ヘッド』の原作は、昨年読んだような気がする。途中から、まさか『北斗の拳』や『バイオレンスジャック』みたいな感じになるのではあるまいな……と思ったら、最後そうはならなくて安心した。大震災のあと、ネットの世界では地震の数分後には、身長3メートルぐらいのモヒカンちんぴらどもがのし歩く絵とかが流れ始めたが、現実にはそうはならなかった(たぶん)。むしろ、日常生活を死んでも続けようとする冷静さの頑強さに我々自身驚いたのではあるまいか。我々には、パニックになることと行動することがほとんど同じことのように感じられる特性すら生じているのではあるまいか。

『ドラゴンヘッド』の原作にヒーローがいないわけではない。主役の高校生の男女が案外しっかりしていたので、荒野のラブストーリーとして成立していた。特に女の子がしっかりしていた。女の子に基本的に不信感を持つわたくしとしては、映画版のSAYAKAの発音不明瞭のへたっとした感じの方が現実感があった。そのはずである、(演技に悪い意味で定評があるお母さんに較べても)SAYAKAさんはほとんど素人なんだから……。リアルなはずだ。私の複雑感情も相当深刻である。

『愛と誠』は、来年、……これも偶然なことに、『ドラゴン・ヘッド』の男子高校生役のひとを主役に再映画化されるそうである。この漫画が連載されていた頃、私はまだ幼児だったこともあり、この漫画自体、最近まで知らなかった。『巨人の星』や『あしたのジョー』より設定がおもしろい話のような感じがするのであるが、第一巻しか読んでないから分からない。階級闘争と愛の問題をがんばってつなげようとしてきた昭和時代……のある種の到達点ではあるまいか(笑)劈頭のネルーの言葉からおそろしいテンションである。

愛は平和ではない
愛は戦いである
武器のかわりが
誠実であるだけで
それは地上における
もっともはげしい きびしい
みずからをすてて
かからなければならない
戦いであるー
我が子よ
このことを
覚えておきなさい

……この「戦い」は、メタファーではない。文字通り戦争を、物語上では階級闘争を意味するのである。

恋愛は個人でするものではない、天災や階級闘争が行うものである。