★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

コテコテ大阪弁でマタイ受難曲

2012-02-27 23:19:43 | 音楽
聖書といえば、やはり文語体というのがわたくしの感覚である。私のような戦前の文学をあれこれいじくり回す学者にとっては、もはや外国文学の翻訳全般が文語体でないとどうもすっきり来ないのである。というのは嘘であるが、樋口一葉を現代語訳するのが不可能な感じがするように、訳しちゃいかんもんは訳しちゃいかん、と思ってしまうほどである。

という訳で、マーラーやシェーンベルクの字幕なんかも古文でやって欲しいわたくしであるのだが、おもしろい動画を見つけたので貼っておく。コテコテ大阪弁訳「マタイ受難曲」である。

【Bach】コテコテ大阪弁訳「マタイ受難曲」 第01曲


冒頭から人類の遺産的な勢いの名曲、「Kommt, ihr Töchter, helft mir klagen」 が、「来なはれ、娘さん 一緒に嘆こやないかい」って、確かにそうであるが、笑ってしまう。ところが、聴き続けるうちに、やはりそれなりに感動に包まれるのである。だいたい大阪弁を笑いの言語として認識している非大阪弁人の私のような感覚がおかしいのだ。「あんさんはわてらの罪を全部負わはった」「見てみぃ」「何処をやねん?」「わてらの罪を」「せやなかったら、わてらは絶望してまうで」「見てみぃ」「何処をやねん?」「わてらの罪を」……

ユダは案の定、祭司長に「なんぼくれまっか」で、しまいにゃ「えらいことしてもうた」と歌いだした。絶望は絶望である。