★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

病と文学

2010-09-02 22:46:32 | 大学
今日はやや久しぶりにゼミでK君に会う。私は論文書いてもさほど痩せないのに、K君はなんだかどんどん痩せている。だいたい私の歴代のゼミ生は、卒論を書いてダイエットに成功してゆく。例外は、初めての私の指導学生のひとりだったNさんぐらいであろうか。結構優秀だったが、「頭働かせようと思って、おかし食べながら書いてたら、結構キテます」と言って私を激しく憎んでいたようである。一昨年、秋頃から親知らずが痛くなったのだが、ゼミ生も一緒に痛くなったらしい。またある学生は新感覚派という単語を聞くといきなりうわごとを言ってしまうほどであった。「砂の女」を論じていた学生は、なぜか「憂×」や「セ×ン×ィーン」まで読む羽目になった。

近代文学の歴史が、病と関係あることはよく知られているが、近代文学の終わり(柄谷行人)を迎えているかも知れない今、文学が病を発症させる、のかもしれない。