3/5に豊中少年少女合唱団委嘱作品「ファーブルさん」に野呂さんと参加させて頂く事となった。一昨年に2人で初演をさせて頂いた。
その時もこの作品には色々考えさせられた。
昨日その合わせがあり、今回更に考えさせられた。
ファーブル昆虫記のファーブルさんだが、小学校の時、読んだかな??
いや、読んでいないと思う。
虫が大の苦手だ。
小・中学校の時も資料集にのっているチョウチョやハエの顔のアップが
本当に死ぬほどぞぞぞぞ==と気持ち悪くて、
写真に紙を貼って見えないように隠していたくらい、虫が大の苦手で・・・。
いや、本を読んでないことには全く無関係でした。。。。
この作品は前日記にも書いたが、メッセージ性が本当に強い作品なのだ。
虫や草花をとても愛し大切にしたファーブルさん。
勲章や権威を嫌ったファーブルさん。
醜い虫、気持ち悪い虫、この世で価値の無いものとされている物を
愛したファーブルさん(ファーブルさんごめんなさい・・・

とるに足らないものを愛したファーブルさん
目をあけて、見るだけでよかった
耳を澄ませて、聴くだけでよかった
この世の目ざましい真実は、いつでも目の前の
ありふれた光景のなかにある。
何一つ、孤立したものはない。
ものみな、無限のかかわりを生きているのだ。
多分、孤立や権威や、まだそんな難しい言葉はとうてい理解できないであろう幼稚園の子供達もいる合唱団の子が懸命に言葉を語り、歌っているのです。
言葉全てを理解できなくとも、子供の少し甲高い透明な歌声の方が何倍も
私達よりも心に訴えかけることが出来るような気がして
泣きそうになった。
ファーブルさんの死後、戦争の時代がのこったという歌詞で
その作品は幕を閉じます。
その後の後奏が美しい旋律のリコーダーソロなのですが、
私は正直まだどんな風に演奏したらよいのか分からないのです。