EMI’Sーベルギー日記ー

リコーダー奏者EMIのブログ、2005.11.09開設。気ままに綴るブログです。
ただいまブリュッセルにてサバイバル中

友達の死

2010年02月06日 | 日記
今日母親からメールがあり、友達が亡くなったとの事でした。
私にとって、初めての友達の死。

今正直、ベルギーに居て、どうしたらいいのか、分からなくて、
ご冥福を、、という風に自分の中で到達する事ができず、混乱しているので
ブログを書くことにしました。
共通の知り合いの連絡先ももう無くなってしまったのです。
誰か共通の知り合いで偶然このブログを見てくれたら、
emi0424●hotmail.comまでメールをもらえたら
と願います。




知り合ったのは、多分10年くらい前、消費者金融カード会社のバイトをしていた時。

とても楽しいバイト先で、私はたしか二十歳そこらだったと思うけど、
そこは色々なお客様が来て、世の中と金の酷さ、詐欺やらの黒い世界を少し垣間見たのでした。


そんな中私は彼女やそのバイト仲間と、ダイエットの話になり、
ジムに一緒に通う事になった。


ジム仲間として仲良くなり、その後、バイト先が無くなる事になり、強制的解雇され、
みんなで失業保険をもらいながら、たしかジムで会う日が続いていたのですが、
割とすぐの時期に、彼女が風邪気味でジムを休み始めて、
そして入院した。


イタリアに留学した事があり、歴史や絵画、幕末好きなど、共通の趣味があったり
私の留学の相談や、10幾つか年も離れていたので、いろいろな悩みを聞いてもらったりも
しました。

彼女の病気は深刻で、でも誰よりも強くて、ポジティブで、
私はこんなに強い人は見たことないです。私は彼女の沢山を知らないし、
年の離れた私に弱いところを見せる機会も無かっただけかもしれないけど、
いつの日かくれたメールに、

自分の選んだ結果、何か苦労や辛い事がおきても、
絶対愚痴だけはこぼさない、、、


というような事が書いてありました。


ジムも誰よりも張り切って体操して、トレーニングして、
一緒にエアロビを踊ったり、笑ったりしていた。
その姿もとても印象的で、その後、割とすぐに、入院したのですが、
初めて入院したとき、すでに末期の癌でした。


お見舞いに行くと、ステージ1の人を勇気づけ、私なんてステージ4なんだから、
と誰よりも元気よさそうな顔色で、私はいつも何て言葉をかけたらいいのか、
何を話したらいいのか、自分は未熟で経験不足でいつも困惑していたのをよく覚えています。

きっと想像を遥かに超えるような辛い
抗がん剤の治療も弱音はかずにやり遂げたと知人から聞いた。

その後退院して、働きはじめた。
作業服を着て、車の下にもぐって修理をしていると、カラッとした表情で
話してくれた。そうしていつも、私は何て言葉をかけたらいいのかわからなくて、
困惑していたし、彼女はいつも強くてポジティブで、力強い励ましと、
並大抵じゃない辛さを経験した人の深い愛情のようなものをいつも別れ際に感じたりして
私の中に、特別な人としていつも頭の片隅に居たのでした。

何年も闘病生活を続けていました。

結局数回しか会うことがなく、私はベルギーに旅立ち、
たまにメールをする間柄になりました。
鬘をつけることになっても、とてもポジティブで、
私は彼女の悲しそうな顔も、弱い顔も、会えなくなって、メールで会話する中でも
弱いフレーズを見ることも一度もありませんでした。




この夏、私が日本でコンサートをする事になり、
招待したのですが、あまり体調がよくないとのことで、会えずじまい
またベルギーに戻ったのでした。
その後、今日の母のメール。


なんで?


誰に聞いたら、誰とこのことを話したらいいのか、、、

共通の知り合いの連絡先も失うなんて、なんて馬鹿なんだろう。
なんでもっと会わなかったんだろう。


強い励ましを沢山もらったのに、私は最後の時期を知らなくて、
日本に今帰る事が出来ないし、誰か偶然この文章を見たら、連絡してください。
あまりにも時間が経ちすぎてる事に後悔します。
自分自身に毎日必死で、でもぜんぜん必死じゃないし、
なんだか情けなく、ごめんなさい、、、としか言えない。
日本に帰ってお墓に行かないといけない。