塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り 旗本御家人 当世武野俗談

2014-02-15 04:31:31 | ミュージアム巡り_2014
 幕府の奥医師の中でも、世襲の医師は医術の修得に務めない名ば
かりの者もおり、町医者や藩医の中から優れた者を御目見医師とし
て、その中から奥医師に抜擢することも行われた。

 ところが、選抜された者がみんな名医だったとは限らず、巧みな
弁舌と処世術で“名医”と称された輩もいたという。
 講釈師の馬場文耕(1718~58)が宝暦6年(1756)に著した「当世
武野俗談」に登場する日本橋の小児科医・篠崎三哲も、どんな病人
にも同じ薬を出すヤブ医者なのに、何故か評判が良く大繁盛だった
という。

 また、「寛政重修諸家譜」巻1484に記載されている小児科医の
篠崎長瑞(通称:三徹)は、将軍家重に拝謁(宝暦9年)し、同11年に
西丸の奥医師を拝命している。三哲と三徹は、たぶん同人物だろう。
 同資料は、文久3年(1863)に岩本活東子が編した随筆雑著集「燕
石十種」に所収。
(NAJ 千代田区北の丸公園3-2)

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