塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り 歴史資料の宝庫へ 小倉山庄色紙倭歌

2014-12-25 05:44:32 | ミュージアム巡り_2014
 「小倉山庄色紙倭歌」(江戸時代前期書写、京都学習院旧蔵、全1
軸)とは“小倉百人一首”のことで、藤原定家によって編まれた秀歌撰
として飛鳥時代の天智天皇から鎌倉時代の順徳院までの名歌100首
が年代順に配列されている。
 元来、13世紀頃に鎌倉幕府御家人の宇都宮頼綱の別荘・小倉山荘
を飾るために色紙として製作され、現代でも“歌かるた”として普及
するのは江戸時代になってから。
 展示の書は、雲母引きした上で金泥の下絵を描いた料紙に、小倉
百人一首を書写した豪華な装丁の巻子本で、箱書によると狂歌作者
の豊藏坊信海が書写したものと伝わる。
 信海は、石清水八幡宮の社寺、豊藏坊の社僧で、狂歌を通じて多
くの文化人と親交があった。茶事は小堀遠州に学び、俳諧は松永貞
徳に師事し、書は“寛永の三筆”と呼ばれた能書家・松花堂昭乗に学
んでいる。

 もう一つの巻子本「百人一首」(江戸時代初期書写、京都学習院旧
蔵、全1軸)は、二条派歌人で能書家、公卿の烏丸光広と伝わってお
り、光広の筆跡は個性豊かで、書風は“光広流”と称されている。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

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