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塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り 歴史資料の宝庫へ 朽木家古文書

2014-12-31 05:56:41 | ミュージアム巡り_2014
 次の書は、元弘3年(1333)8月12日に発せられた後醍醐天皇の
綸旨で、「朽木家古文書」と呼ばれている。
 綸旨とは蔵人が天皇の意向を奉じて作成した文書のこと。慣例と
して宿紙(漉き返しの再生紙)を用いるため、全体が薄墨色である。

 文書の内容は、佐々木時経に対し、近江国・朽木荘の地頭職を与
えるというもの。これにより佐々木家は朽木荘を支配したことから
朽木姓を名乗る。
 「朽木家古文書」は、江戸時代に旗本となった朽木家に伝えられ
た古文書の総称で、全部で1.060余通の文書からなり、中には織田
信長の朱印状もある。
 1888年に内閣記録局が朽木家から購入し、1989年に国の重要文
化財に指定。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 歴史資料の宝庫へ 秘閣粘葉本_平家物語

2014-12-30 03:37:09 | ミュージアム巡り_2014
 続いては「平家物語」諸本のうち、「秘閣粘葉本」(江戸時代前期
写本、紅葉山文庫旧蔵、全13冊)の名で知られた写本。

 “秘閣”とは紅葉山文庫の別称、“粘葉”は和本の綴じ方のひとつ
で、料紙を1枚ごとに二つに折り、その折り目を糊付けして重ねる綴
じ方。しかし、展示写本をよく見ると、“粘葉装”ではなく“綴葉装”
で綴られている。

 この「秘閣粘葉本」は、金泥や銀泥で下絵を描いた料紙に書写さ
れている美麗な書で、葵の御紋の入った観音開き蒔絵箱に収められ
ている。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 歴史資料の宝庫へ 源平闘諍録

2014-12-29 03:51:43 | ミュージアム巡り_2014
 平家一門の盛衰が主軸となって描かれた「平家物語」、その中に
は関東武士団の視点で描かれた物語もある。
 それが「源平闘諍録」(室町時代書写、紅葉山文庫旧蔵、全5冊)
で、「平家物語」の異本のひとつとして、千葉氏、梶原氏、熊谷氏
など坂東平氏の武士団の活躍を詳述している。この源平闘諍録は5
冊のみ現存し、巻一上、巻一下、巻五、巻八上、巻八下の他は残っ
ていない。

 巻一下の末に、建武4年(1337)2月8日に書写されたものを文
和4年(1355)3月23日に再写した旨の識語があり、成立時期は13
世紀後半から14世紀前半辺り。
 これは「平家物語」そのものの成立に関わる重要な写本のひとつ
である。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 歴史資料の宝庫へ 嵯峨本_伊勢物語

2014-12-28 03:54:40 | ミュージアム巡り_2014
 次の資料書は、慶長13年(1608)に出版された“嵯峨本”と呼ば
れる「伊勢物語」(内務省旧蔵、全2冊)。

 嵯峨本とは、角倉素庵や本阿弥光悦によって製作され、美術的な
意匠を施した木活字印刷の豪華版。美しい色替わり料紙を用い、表
紙には雲母で草花の模様が印刷されている。豪華すぎて、出版当時
は関係者のみに配られたようだ。

 この嵯峨本・伊勢物語は、国内で初めて挿絵入りで出版された古
典文学作品で、それまでは全て写本で伝わってきたのが、版本とし
て出版されたことも文学史上、画期的な本といえる。
 角倉素庵は水運業で財を成し、琵琶湖から京の都までの疎水を成
功させた“水運の父”了以の子。幼少時から藤原惺窩に儒学を学び、
光悦や俵屋宗達の協力のもと嵯峨本を世に出している。

 奥書には、校訂に参加した中院通勝の自筆の花押がある。通勝は
公家で歌人、また日本の古典文学研究に尽力した和学者。細川幽斎
に和歌と古典を習い、「源氏物語」の注釈書「岷江入楚」を完成。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)

ミュージアム巡り 歴史資料の宝庫へ 伊勢物語

2014-12-27 05:41:42 | ミュージアム巡り_2014
 男の人生と恋愛模様を描いた「伊勢物語」(江戸時代初期写、京都
学習院旧蔵、全1冊)は、多くの和歌を中心にしている。
 展示資料は大名であり文人としても知られる小堀遠州の筆による書
で、独特の丸みを帯びた筆跡は“定家様”という藤原定家の筆跡を継承
したもの。

 奥書には「宗甫写」の3字と、「甫」の字の朱印があり、宗甫は遠
州の号。底本となっているのは定家が天福年間に孫娘のために書き与
えた「天福本」と称される書。
 遠州とは、駿府城修築の功績が認められた際、従五位遠江守に叙せ
られたことからつけられた通称。
国立公文書館(千代田区北の丸公園3-2)