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塩哲の空即是色

日々の徒然日記

ミュージアム巡り 出雲展 古事記 巻上 冒頭

2012-10-26 06:09:04 | 街を巡る_2012
 続いては、奈良時代初期に編纂された現存最古の歴史書「古事記」。
上巻は神代、中巻は神武から応神まで15代天皇、下巻は仁徳から推
古まで18代天皇のそれぞれの記事が綴られている。
 古事記の古写本は伝存数が少なく、応安4年(1371)に真福寺の僧
・ 賢瑜が師匠・信瑜の命を受けて書写した「真福寺本」(3帖・愛
知・ 室生院蔵)が、南北朝時代まで遡る唯一の完存本だ。
 古事記の伝本はこの真福寺本を祖本とする伊勢本系諸本(真福寺本
系、道果本系)と、ト部系統諸本(36本現存)との2つに分けられる。
 展示されていた古事記・道果本は永徳元年(1381)5月26日に書写
したと奥書があり、真福寺本に次いで古い写本とのこと。
 奈良・天理大学付属天理図書館蔵
(トーハク:台東区上野公園13-9)


街を巡る 2012秋_洛中 弁慶石

2012-10-24 06:26:42 | 街を巡る_2012
 一保堂を後に歩いて三条京極へ。その前に本能寺の門前に来たの
で織田信長の御廟を拝見する。こちらも何度か伺っているところで
ある。
 ところで、確かに「本能寺の変」で信長はここで没したと伝わる
が、遺体が出ていない。大量の火薬と共に爆死したともいわれるが、
それも定かでない。遺体はどこぞの住職が密かにあるお寺に移され
たともいわれており、謎の多い“変”である。
 三条京極に来たら、ある石をなでなければ。

 そう、武蔵坊弁慶がこよなく愛でた石があり、弁慶が幼少の頃に
育った地には「弁慶石町」と地名にもなっている。
 この「弁慶石」は、源義経を守護するため奥州へ遠征したおり、
高舘で立ち往生して弁慶が没する。そこで、この石を洛中から高舘
へ移すものの、時が経つとこの石が「三条京極に往かん」と唸りだ
し騒ぎ出したという。さらに高舘では熱病が流行、これは弁慶の祟
りだと騒ぎ出す。
 そこで、享徳3年(1454)に石は三条京極へ戻され、1929年に現
在の地に安置される。しかし、1934年区画整理のため銀行が土地
を買取、石を移したところ嵐が吹き荒れ(室戸台風)、京都の街は大
きな被害を受ける。
 そのため、再び石を戻して現在に至るという。
 弁慶石を撫でた後、錦市場で食材を買い京都駅へ。駆け足の秋の
洛中巡りだった。新幹線の中で娘の眠る顔が、幾分満足げだった。
(中京区三条通麩屋町東入ル弁慶石町)


街を巡る 2012秋_洛中 一保堂

2012-10-23 06:18:58 | 街を巡る_2012
 賀茂川と高野川の合流地点を後に、出町枡形商店街を覗く。入口
近くに鯖寿しや饂飩を出す「満寿形屋」があり覗いてみると、繁昌
していた。
 ここから北野天満宮へ移動し、お詣りを終え次を目指す。
 娘が以前、京都を訪れた時伺った「一保堂茶鋪」に行きたいとの
ことで向かってみた。寺町通りを南下しているとありました。オッ、
2階が改装中だが営業していた。
 享保2年(1717)、この地で「近江屋」として創業し、茶や陶器を
販売。弘化3年(1846)に山階宮家より賜った屋号「一保堂」で現在
に至る。屋号は「茶一つを保つ」の意。
 娘がいうには、ココで御茶を購入すると冷たいグリーンティが振
る舞われるとのことだったが、季節は秋。やってなくて、娘はガッ
クリ。それでも「いり番茶」を購入した。
(京都市中京区寺町通二条上ル)


街を巡る 2012秋_洛中 出町柳

2012-10-22 06:13:40 | 街を巡る_2012
 お腹も満たされたところで下鴨神社へお詣りに。糺(ただす)の森の中
の長い参道の玉砂利を踏みしめながら社を目指す。路すがら、この森の
講釈を娘にする。

 糺の森は、賀茂川と高野川の合流地点に肥沃な台地に発達した原生林
が生い茂る。東京ドーム3個分の12万4千平米の土地で、1994年には
同神社と共に世界遺産に登録。
 平安京が置かれた頃(794年~)には、495万平米の広大な広さを誇って
いたというが、古くは応仁の乱や近代の上知令などにより総面積の約70
%を焼失し、現在の広さとなった。

 下鴨神社は今年の夏にも巡っていたので、お詣りと名水を頂き、歩み
を早める。
 次に行く前に賀茂大橋から賀茂川(左)と高野川(右)の合流地点を眺め
た。賀茂川に架かる橋が出町橋、高野川に架かるのが河合橋。
(京都市左京区下鴨泉川町59)


街を巡る 2012秋_洛中 鯖街道口

2012-10-21 07:35:17 | 街を巡る_2012
 一日フリーパスを有効利用し、次に向かった先は下鴨神社。ひとつ
手前のバス停・新葵橋で下車するとすぐのところに鯖寿しが頂ける老
舗「鯖街道 花折」があった。お詣りする前に腹ごしらえ。

 こちらのお店は以前から伺いたかったところで、この日、初めて暖
簾をくぐれた。
 「鯖街道」とは、日本海・若狭から京・洛中までの道のりこと。最
短で18里(72km)ある。その街道を一昼夜かけて日本海で獲れた魚介
類の食材を運んだ。防腐剤も冷蔵技術もなかった当時、鯖の内臓を取
り出して腹に塩をまぶして運んだという。そこから生まれた鯖寿しは、
祭りやハレの日に食べられた。
 伺った10月8日は、この10月から長崎県・五島沖合で獲れた秋鯖
が使われており、脂がたっぷりとのって美味しかった。頂いたのは鯖
寿し膳と炙り鯖寿し膳。娘とシェアしてどちらも頂いた。炙りよりも
ノーマルの鯖の方が味の印象深く、記憶に残った。

 たった、三切れと思うなかれ、ボリュームのある押し寿しだ。店内
で鯖一尾丸まるも販売されており、4,830円の値がついていた。いや
ー、旨かったなあ。
 鯖寿しを堪能したあと、店近から5~600mのところにある賀茂大
橋西詰め北側に「鯖街道口」の石標が設置されていた。
(京都市左京区下鴨宮崎町121)
花折HP