江戸時代、金貨、銀貨、銭貨の3つの貨幣が流通していた。
「金吹方之図」は、金座で金貨を製造する工程を手彩色で描かれ
た全二軸の絵巻で、文政9年(1826)成立。これには文政小判、文政
二分金・一分金、文政一朱金の製造工程が上巻26図、下巻29図の
全55図に収められている。
図の順番が工程どおりでないのは、機密保持と考えられる。絵巻
物に添付された訳書と照合して作業工程が判明できる。
文政年間(1818~30)の改鋳で、金貨の品位が大幅に引き下げられ
(元文小判65.7%、文政小判は56.4%の品位)、幕府が多大な差益を得
る一方、金貨の流通量が膨張し物価も上がっている。
金座は、元禄11年(1698)に現在の日本銀行本店本館の所在地に開
設。「後藤役所」「金座人役所」「吹所」から成り、後藤庄三郎が
金座長である御金改役を世襲(文政の改鋳当時は分家の後藤三右衛門
が御金改役)となり、組織内では勘定奉行の支配下に置かれた。
(NAJ 千代田区北の丸公園3-2)
「金吹方之図」は、金座で金貨を製造する工程を手彩色で描かれ
た全二軸の絵巻で、文政9年(1826)成立。これには文政小判、文政
二分金・一分金、文政一朱金の製造工程が上巻26図、下巻29図の
全55図に収められている。
図の順番が工程どおりでないのは、機密保持と考えられる。絵巻
物に添付された訳書と照合して作業工程が判明できる。
文政年間(1818~30)の改鋳で、金貨の品位が大幅に引き下げられ
(元文小判65.7%、文政小判は56.4%の品位)、幕府が多大な差益を得
る一方、金貨の流通量が膨張し物価も上がっている。
金座は、元禄11年(1698)に現在の日本銀行本店本館の所在地に開
設。「後藤役所」「金座人役所」「吹所」から成り、後藤庄三郎が
金座長である御金改役を世襲(文政の改鋳当時は分家の後藤三右衛門
が御金改役)となり、組織内では勘定奉行の支配下に置かれた。
(NAJ 千代田区北の丸公園3-2)