手作りの趣味を持つ「お絵描きやさん」

北海道産のパートナーNと暮らすワーキングババ
娘3人・孫ッチが3人、休みなし
品川生まれの品川育ちです

久しぶりの栃木 その8(父の実家と墓参り)

2014年09月24日 | 日記

父の実家のお墓に来ました。 

あぜ道を歩いて入口まで進まなくてはなりません。 

この時は草を刈って貰った後だったので、杖をつきつつ歩く父も歩を進めることが出来ました。

ご近所の方々が年に2回、きれいにしてくれているそうです。有難うございます。

以前はこの辺り一帯は父の実家の土地だったらしいのですが

戦争後、小作人と呼ばれていた人々に畑を配分したのをキッカケに

没落傾向に傾いていったと父が教えてくれました。

残った小高い山の片側、お墓のある場所だけが残ったそうです。 

 ここで採れる竹の子が太くて美味しいと父は遠い目

従姉の父(Y雄伯父さん)が晩年、墓守のような状況で一人この小山に住んでいたそうです。 

Y伯父さんが亡くなってから、お墓に行くのにも難しいくらい藪や竹が生い茂ってしまい

今回も墓前まで行くことが出来ませんでした(私の祖母とY伯父以外は土葬!でした)。

それでも父は少しでも父母や兄弟・先祖のお墓の近くまで行きたかったようです。

年を経るとそういう気持ちになるのでしょう。

ここのお墓たちも山もなくなってしまう前に父を連れてこられて良かった!

お墓からの帰り道、私が「元のおばあちゃん家(父の実家)がどうなっているか見たい」とリクエストしたので

ぐるっと廻って立ち寄ってみました。 

川の左側が私の知っている父の実家のあった場所。

護岸工事もされて、土を盛られ、建物は当然なくなっているので、昔をしのぶものは川だけです。 

それでも従姉と父は、川で溺れた従姉を父が救ったことなど昔話に花が咲きます。

歩道橋の下には小さな滝があります。

その脇には大きな水車があって、脱穀や製粉したりしていたそうです。

(水車がなくなってから私が生まれたので覚えていません・・・) 

私の知らない父の実家にまつわる話も多く、既に鬼籍に入っている実母の話も教えてくれました。

ふと周りを見ると、目の前の橋や近くの商店の並びなどは記憶と重なる部分があります。 

私も結構、覚えているものなのですね。

道の駅好きの父と私。これから「那須与一の郷」に道草しま~す(*´ω`*) 

 


久しぶりの栃木 その7(やな場)

2014年09月23日 | 日記

3女がやな場を見たことがないというので、連れていってもらいました。 

 ←黒羽観光やな

私も1回しか来たことはないのですが、以前ここで戴いた鮎の塩焼きが美味しかった! 

「やな」とは川の一部を仕切って、竹のスノコで造った「落簀(おてす)」で鮎の通路をふさいで捕まえる仕掛けです。

47都道府県の中でも栃木は簗(やな)漁が多いです。

昔は従姉の父(Y雄伯父さん)も自分のやな場を持っていたそうです。 

きっともっとたくさんの鮎がいたのでしょうね。

 残念ながら営業前でした

独特のスイカやキュウリのような香りがすることから「香魚」=あゆと呼ばれます。

鯉のぼりではなく「鮎のぼり」が2匹風に泳いでいます。 

気持よさそう!

建物を右手に少し進むと川には「やな」が!見えてきました

何人かが既に「やな」の上にいます。 水がキレイ!

鮎はアジアの東部太平洋岸一体の河川で生まれます。秋になると海にくだり、冬の間は河口域で過ごします。

次の春には一斉に上流を目指して遡上。

その中でも栃木の那珂川は天然遡上が多いので有名です。

「やな」にはだれでも自由に入れますが、ハイヒールなど履物にはご注意です。 

産卵のため川をくだる「落ち鮎」の習性を利用して仕掛けに誘い込む伝統的な漁法の「やな漁」。

300年以上の伝統があるといわれています。  

鮎を捕まえると子どもたちが見たがって来ます。 

捕まえた鮎は落簀の真ん中にある木箱に入れられるので

3女も早速見に行きました。(靴履いたまま) 

とてものどかな時間でした。

もう少し奥に移動して、こんどこそお墓参りです! 


久しぶりの栃木 その6(お墓への道すがら)

2014年09月22日 | 日記

従姉の家に泊まって、早く活動したい父の電話で朝食を急かされました。 

ハナちゃんはヨーグルトも好きらしく、毎朝決まったメーカーのヨーグルトをねだります。

この日は珍しく食卓の上にまで上がってきて催促。

従姉が「頂戴は?」と言うと、前足を上げて宙を掻きます(犬なら「お手」)。

ハナちゃん用のお皿で美味しそうにペロペロと一瞬で完食!

その後に「お客は自分に対して甘いだろう」とばかりに従姉の前に座っていた3女にしきりにおねだり。

あまりの粘りに2回も負けたS子なのでした。 

お墓に行く際に従姉が教えてくれた祖母の実家(跡)

かなり広い敷地にいくつものお屋敷があったそうです。

明治22年に生まれた祖母の時代、地域から2名だけしか女学校に進学しなかったらしいのですが、そのうちの1人だったとか。

今で言えばお嬢様!? だったのかもしれません。

祖母がなくなってから父の実家にも全く来ていなかった程度の私なので

これまでは祖母の実家がどこにあるかなど考えたこともなかったのです。

父の体調が優れなくなり、彼が進んで昔話をするようになってから父方の親族のことを考えるようになりました。

遅まきながら・・・ですが。 

栃木では小中学生が自転車に乗る時はヘルメットをかぶるのだそうです。

道路交通法では13才未満の児童が自転車に乗る時にはヘルメット義務になりましたが

東京ではあまり守られてはいないようです(実は私も交通法で決まっているとは知りませんでした) 

現在、那須町では屋外広告物条例により京都と同様にコンビニなどの看板が茶色になっていました。

日常見ているものと色が変わっていると余計に目につくような気がします。

それにしても駐車場が広いー!

那須神社の参道入口。

創建は仁徳天皇の御代。征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇をお祀りしたとか。

また奥の細道の風景地名勝にもなっているそうです。

今回は参拝出来ませんでしたが、楼門がカラフルだったり神楽や流鏑馬などイベントもあり

要チェックの神社さんです。

さ!もう少し奥に進んでいくと父方のお墓に着きます。


久しぶりの栃木 その5(父の目的「栃木版・永遠の0」?)

2014年09月21日 | 日記

従姉の家には同居人がいて、名前は「ハナちゃん」 

ストレートしっぽの白黒ブチ。 ハナちゃんといっても雄。

小さい頃にメスかも?と言われていたために、女の子の名前をつけてしまったのだそうです。

内臓疾患があるので定期的に通院(1泊入院)するのだそうです。 

通常は病猫食なのですが、新鮮な葉っぱには目がないらしく

夕食の支度をしていると従姉に「頂戴~頂戴~♪」と足にしがみつくくらいせがんでいます。 

普段お客さんが来ると2階に上がったまま出てこないというシャイなハナちゃんですが、3女と私には最初からなついてくれました。

S子にはスカートの中まで入ってしまうくらい!

もしかしたらスカートの中は暖かかったのかしら? 

  

父の第1の目的は長兄T雄伯父さんの功績明細書(軍歴証明書)を確認することでした。

彼は昭和18年に電信員として配属された際に連絡が取れなくなったとありました。 

戦時中のこともあり、T伯父さんの実親でもある私の祖父母にも詳細は知らされずにいましたが

行方不明になった場所まで地図で示されており、父も「そんな場所で・・・知らなかったなぁ」と一言。

これらは家族でないと申請できないため

従姉が「今じゃないともう、申請できないかもしれない!」と考えてくれたものです。 

戦後69年と言われ、私も随分遠い過去の出来事だとばかり考えていました。

近しい人達は戦死していたり、また戦地の話はしてくれなかったり

私にとっては別世界の絵空事のように思えていました。

でも、よくよく計算すると、私、戦後20年も経たずに生まれてるんだー!

親族の詳しい軍歴証明書とかを見てしまうと、一気に戦争が身近に思えて来てとても不思議な体験でした。

父の母(祖母)の形見も初めて見せてもらいました。

前述した通り父は婿養子でしたので、父の持っている祖母の形見は自分が撮影した写真だけ。

従姉は両親と離れて祖母に育ててもらっていたため、帯の祖母にまつわる話を教えてくれました。 

これは祖母が亡くなるまで大事に何度も締めていた帯だそうです。

「源如」「金陵」「胡」「蝶」他にも織りで幾つかの文字が並んでいます。

調べると、実はこれは「如源(にょげん)」と読むそうで、中国産の黒繻子の織元のブランドのロゴなのだそうです。

帯の垂れの織り出し部分に大きく「如源」、その右には「金」の文字を波模様で囲んだデザイン。

明治から昭和にかけて「昼夜帯」というリバーシブルの如源の帯が流行ったそうで

祖母は昼夜帯の黒い側だけを半幅帯に仕立て直してずっと使っていたようです。

如源の帯は、百年以上昔に織られた物が多いみたいですが

繻子は摩擦に弱いらしく、祖母の帯も角の部分は大体擦り切れていました。

長く大切に使っていたのだと分かって、しみじみ撫でてしまいました。

T雄伯父さんの話や祖母の話などで花が咲き夜もすっかり更けました。

明日は父の第二の目的、墓参りです。

ハナちゃんも眠たくなったようです。


久しぶりの栃木 その4(紅茶館アンティーズの紅茶とケーキ)

2014年09月20日 | 日記

3段に分かれている木のワゴンで紅茶が運ばれて来ました! 

上段には飲み物、中段にはタルト♪ わーい!わーい! 

若い頃は紅茶とは全く縁のなかったというオーナー。 

今では立派な紅茶の知識王です。

知ってました?

ミルクティって、ミルクを先に注ぐのです。━━Σ(´ω`*) 。゜・。

更にポットの茶葉をぐーる・ぐーると掻き回してから 

ミルクの上に注ぎます。

ミルクも美味しいのと、紅茶が美味しいのもあるのでしょうが、それにしてもミルク臭くない!?

ちょっとした感動です。

こちらは水出し紅茶。

3日かけて水と茶葉だけで抽出したもので、甘くなくても平気です!

夏に自宅で作ってもイイかも!!(でも普通の茶葉だとエグミあって無理なんだそうです) 

3女が注文した紅茶プリン。

あっさりしてなめらかな口当たりで、彼女は紅茶プリンの虜になっちゃいました。 

作り方も教えてもらったのだし、S子、母に作って欲しいな~!

 

オーナー自家製のタルト。

ナッツの香りとジャムのハーモニーがベストマッチ♪

ケーキフォークは普段見かけるものよりも手前の歯が太いです。

そもそもケーキ用のフォークの太い歯は、スポンジを切りやすいようにと考えられたもののようで

また、フォークとして刺しやすいように先端のみ他の2本と同じ細さにしているそうなのです。

あまり気にしたことはないけれど、これだけ違うと気になっちゃうものです。

ドールティーコゼも数種類ありました。

S子が訳もわからず写真を取らせていただいていたので「ほら!」と言ってスカートを捲ってあげました。

「何するの!?お母さん!!」と娘は思ったらしいのですが、下からポットが出てきて納得の表情でした。 

  

オーナーがイギリスから担いで運んできたという壁紙。 

トイレに貼ったらしいのですが、工事の人が残りを全部持って帰ってしまったと残念がっていました。 

確かにこのデザイン、日本にはないかも~。

赤の色が派手すぎなくていい塩梅です。

父の体調のことも考え、今日はこのまま従姉の家に戻ります。

 (紅茶館アンティーズはサファリパークと南ヶ丘牧場の間にあります)

さて、これから従姉の家で父の第1の目的のものを見せて貰います。