手作りの趣味を持つ「お絵描きやさん」

北海道産のパートナーNと暮らすワーキングババ
娘3人・孫ッチが3人、休みなし
品川生まれの品川育ちです

なんしか・京都 14(清涼殿は日常政務の場)

2014年10月21日 | 旅行

承明門の向かいには、これがあります。 

建礼門

檜皮葺きは主に皇室の方が使われる建造物の屋根に用いられます。(下々の使用する建物の屋根は瓦葺きです)

この門と建礼門院は関係ないそうですが・・・

平家滅亡の折、中宮になっていた平徳子が源氏に助けられ、仏門に入り建礼門院となりましたが

その後、寂光院で平家の菩提を弔ったそうです。

  建礼門院を慰めようとして紫蘇と夏野菜を漬けたものを里人が作ったそうです。

  それを建礼門院が「紫葉漬け」と名づけ、現在のしば漬けになったとも言われています。

清涼殿

バリアフリーなとても広いフローリング、という感じです。 

御帳台の前には狛犬! やはり天皇は神様クラスということなのでしょうか? 

中世以降は、天皇の日常の居所は御常御所になったそうです。

奥には襖 

弘廂(庭に面している広縁の部分)の近く東(見学コースから見ると左)側に石灰壇(いしはいだん)というものがあります。

毎日、天皇が伊勢神宮などを遥拝した漆喰で塗り固めた場所です。 漆喰なので白く光って見えます。

石灰壇の中に塵壺(ちりつぼ)という炉(土がこんもりしている所)があり、寒中にはそこで火が焚かれ暖房になったそうです。

それにしても、こんなにあけっぴろげの部屋では暖房もほとんど意味がなかったのでは?と心配になります。 

滝口

清涼殿のすぐ右側にあり、水の落ちる音で夏は音で涼しさを感じたそうです。

今のようにノイズが多くはなかったでしょうから、滝の音も丁度よい音として聞けたのでしょう。

この滝口にも見張りがいたそうなので、今の滝口さんのご先祖様? 

箒を逆さまに立てたような塀(柴垣?)がありました。

初めて見ました。 屋根まで付いています! 

御常御殿の下までもディティールが美しい・・・。 なぜベンチのようになっているのか?ネズミ避けかな?

明治天皇も10代の途中まで御常御殿で生活されたそうです。 

御常御殿の襖絵・曲水の宴

曲水の宴とは平安貴族の歌遊びで、庭園の曲がりくねった川の周りに人々が座り、

流れてくる杯が自分の前に来るまでに和歌を詠み、杯の中のお酒を飲むイベントです。

裏には蹴鞠の絵が描かれています。

御池庭

御常御殿に面している御内庭の中にある質素な建物。

地震がおきた時などは庭にあるこの建物に逃げたとの話もあるそうです。

屋根が軽いので建物が壊れても押しつぶされないから。 

御常御殿は15部屋!

陵王の舞の襖絵

陵王のあまりの美貌に味方が見とれてしまって士気が上がらず、

また敵からは侮られてしまうため、必ずこのような厳しい面を被って出陣したという故事に倣ったものです。

左手には納曽利の絵もあります。

御三間を抜けると、もう出口。

30分の短縮コースの人たちとここで合流(30分コースには外人さんや子ども連れが多かったような気がします) 。

次は大宮御所・仙洞御所にも行きたいと思いました。

北東の隅にある児童公園の上にフクロウの像が乗っています。

この公園は近衛邸跡にあります。近衛家は五摂家の一つで摂政や関白を多く輩出したお家柄。

明治維新の時に天皇と共に東京に転居した後の邸宅はバラバラに売られたりしたそうです。


烏丸今出川の交差点から同志社大学に行き、そこでランチの予定です。