新横浜 占いの真龍堂です
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神社めぐり784 は 氣多大社(けたたいしゃ)
『新・日本神社一00選』臼田甚五郎氏監修(平成2年10月秋田書店刊)です
【氣多大社】
天平(てんぴょう)十三年(七四一年)能登国(のとくに)が
越中国(えっちゅうこく)の一部であった時代、
越中国の一宮は現在の気多大社(けたたいしゃ)であった。
気多大社が中央の文献に初めて見えるのは
『万葉集(まんようしゅう)』である。天平二十年(七四八)、
越中守大伴家持(おおとものやかもち)が出挙(すいこ)のため
能登を巡行したとき、まず本社に参詣(さんけい)して、
「之乎路(しをぢ)から直超え(ただこえ)来れば羽咋(はくい)の
海朝凪ぎ(あさなぎ)したり船楫(かぢ)もがも」と詠んだ。
本社がいかに重んじられ、のちに能登の一の宮となる神威を
当時すでに有していたことがわかる。
北陸の一角にありながら朝廷の尊崇(そんすう)が厚く、
神護景雲(じんごけいうん)二年(七六八)に
封戸(ふこ)二十戸と田二町を寄せられ、
しばしば奉幣(ほうへい)を受けた。
斉衡(さいこう)二年(八五五)には
神宮寺(じんぐうじ)に常住(じょうじゅう)僧が置かれ、
神階(しんかい)も累進(るいしん)して
貞観(じょうがん)元年(八五九)には
正二位勲一等から従一位にのぼっている。
このような国家の厚遇(こうぐう)は、
東北経営、あるいは新羅(しらぎ)や渤海(ぼっかい)を中心とした
対外関係とも無縁ではあるまい。
能登半島の要衝(ようしょう)に鎮座(ちんざ)する気多大社の神威が
中央国家に及んでいたのである。
近年、南方八〇〇メートルの地に発見された寺家遺跡は
縄文前期から中世にわたり、大規模な祭祀関係の出土品や
遺構(いこう)類は気多大社とのかかわりあいをしのばせる
有力な資料となっている。
延喜(えんぎ)の制では名神大社(みょうじんたいしゃ)に列して
祈年の国幣(こくへい)にあずかった。
「神名帳(じんみょうちょう)」によれば、気多神社と称するものが
但島、能登、越中、越後(居多神社(こたじんじゃ)と称する)
にあるほか、加賀には気多御子神社があり、
国史見在社として越前に気多神社がある。
日本海沿岸にひろく気多の神が祭られていたことを知ることができ、
古代における気多大社の神威がしのばれる。
。
◇最寄りの駅
JR七尾線 羽咋駅
◇所在地
石川県羽咋市寺家町ク1-1
<氣多大社 ホームページより >
https://www.keta.jp/