青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

短歌 170.

2010年11月23日 | 短歌に政治や社会
★ 青空に 紅葉は映えて 色付きて
       深まる秋の 想い出落とす  2010/11/23

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短歌 169.

2010年11月23日 | 短歌に政治や社会
★ ライオンを 見る人そこで 何してる
     我が身姿を そこに写して
            2010/11/23
次の句への、返歌。

ライオンの
親父は食う寝る
遊ぶして
いい気なもんだと
横目でチラチラ
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闘士

2010年11月23日 | 人生設計
補正予算 公明容認、会期内成立にめど 攻めきれぬ自民(朝日新聞) - goo ニュース

元々「議員をもてなす」ことが、悪い。
「国民をもてなす」ための、議員なのに、議員歳費に、議員宿舎に、政党交付金に、秘書代まで税金で賄ってやることが、「もてなされる」ことに為り切ってしまったことの原因になり、それで益々「もてなされる」ことに一生懸命になってしまっている。

「国民をもてなす」ことは、そっちのけでね。

今の世の中、こういう「闘士、闘志、勇気、志」などというものばかりが、謳歌している。
「上に立ちたい、トップに立ちたい、点数を取りたい、他の者に負けたくない、他の者を負かしたい」などということには、何が何でもと頑張ろうとしている。

だがそれでいて、今の世の中は「高齢者虐待最多、幼児虐待最多、いじめ最多、悲惨な事件も多い」というのに、そういうことを無くそうという「闘士、闘志、勇気、志」などは少ない。
だけでなく、今日の政治家に見られるように「口は災いの元」なのに、その口を正していける「闘士、闘志、勇気、志」などは無いし、無いだけでなくそれを悔やみ正す根性もない。
よくあることだが、マスコミでチヤホヤされている者が、飲酒運転するやら覚せい剤に手を出すやら性犯罪を犯すやら、「闘士、闘志、勇気、志」などと言いながらこういうための「闘士、闘志、勇気、志」のような有り様になっている。

しかし世の表には出てこないが、世間の裏や隅っこで、せっせと「高齢者介護や子育て、過疎地などで農林漁業」などに励んでおられる立派な「闘士、闘志、勇気、志」を持つ人々がおられる。

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理不尽

2010年11月21日 | 短歌に政治や社会
相次ぐ閣僚失言、1年生議員の地元「かばうな」(読売新聞) - goo ニュース

湿原とか、おかしな発言をするのは、なにも政治家に限ったことではない。
今夕テレビを見ていいたら、こんなコマーシャルが出ていた。

       とっても
       理不尽な
       冬の寒さに

冬が寒いのは、自然の摂理である。
熱帯地方では、年中暑いのが、自然の摂理である。
それを「理不尽」というのは、自然への愚痴であり傲慢である。
この世に産まれ生きていき、生かされているものは、この自然の摂理を受け入れて従わざるを得ない。ところがこのような理不尽なコマーシャルを、理不尽にもテレビというマスメディアで流している。
それをマスコミメディアは、理不尽にも知らん顔をしている。
いやマスコミメディアだけではない。
ノーベル賞とか文化勲章とかを受賞するような教養ある人たちも、無頓着になっているのだから、人間の教養とか知恵なんて、浅はかなもの。

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かくも虚仮にされ

2010年11月21日 | 短歌に政治や社会
中国で新卒争奪戦 日本企業、「負けず嫌い」求める(朝日新聞) - goo ニュース

今経団連を中心に「法人税減税措置」を、進めようとしている。

それがこのように、国内からの求人を求めようとはせずに、中国から求めようとしている。

よほどにこの国の政府も、そして国民も、かくも虚仮にされている。

かくの如くに、虚仮るに任せるしかない、この国なんだろうか。
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自然世界の反物質化  (中)

2010年11月20日 | 人生設計
我々が産まれ、そして生きているこの世界は、普通の言い方で言えば「順応」している。
しかしそれを如実に見れば、例えば前進しようとするという事は、逆進作用があるからこそ前進できるという事になる。
それは「前進しようとするエネルギー」が、「逆進させるエネルギー」によって「前進しようとするエネルギー」が生み出されることとなる。即ち「逆進しようとするエネルギー」が無い事には、「前進しようとするエネルギー」は出てこないことになる。
一方の見方をすると、「前進しようとするエネルギー」と「逆進しようとするエネルギー」は比例するが、「前進しようとするエネルギー」が大きくなるほど、「逆進しようとするエネルギー」は小さくなっていく。反比例していく。というのは、燃料が少なくなっていくからだ。

こうした比例と反比例が成り立つものだが、この矛盾性は「物質に順逆がある」と見ることが出来る。
「物質に順逆がある」という事は、普通の物質とは性質が異なる「反物質」か゛ある」という事になる。
この事が、先にも述べた「前進しようとするエネルギー」に対する「逆進させるエネルギー」の事なのかどうかは、科学者でも何でもないので知らない。
ただ物質や生物が、生成し成長していきながら、その反対に生育が止まり劣化し老化し崩壊していくのかという事からみると、この「反物質の威力」が働くのではないかと感じる。

この事を「精神、心」に当てはめてみると、次のようになる。
哲学では「物」と「精神、心」を別物ととらえる考え方がある。
だがこれを「物」のみとし、この「物」を、「普通の物質」と「反物質」とに分けて考えると、どうなるか。

「正義感、勇気」を「普通の物質の作用」と見なすと、「邪悪な行為」は「反物質の作用」と見なされる。
これはまた、「優しさ、愛情、慈愛、忍耐」などを普通の物質の作用と見なすならば、「怒り、報復、復讐心、嫉妬、虐待、いじめ、欲望」などは反物質の作用と見なされる。

我々には、こういう「普通の物質の作用」と「反物質の作用」を持つものを内部に潜め持っている。
これを仏教では「業」と、言う。
「業」とは、「良き行いをする因縁」と、「悪しき行いをする因縁」に分かれ、この事は「普通の物質の作用を持つか」という事と「反物質の作用を持つか」という事とに分かれ持つとも言えることになってくる。
そしてこの「普通の物質の作用」を高めていこうというのが、宗教の狙いだという事になってくる。
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短歌 168.

2010年11月19日 | 短歌に政治や社会
★ 何とかの 深まる秋空 落ち着いて
       紅葉は映える 古城公園     2010/11/19
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自然世界の反物質化  (上)

2010年11月18日 | 人生設計
今日の世の中は、乱れに乱れている。
この乱れを止めようとする機関、立法も、政治も、司法も、また教育機関も、宗教界までもが乱れてしまっていて、自浄作用すらない。自浄作用すらないまま、相手を責めたり、相手の所為にしてごまかそうとばかりしている。

何故このように、乱れに乱れるのだろうか。

これに答える一つの回答として、この自然界の流転性にあるのかもしれない。
この世という自然界は、元々は「順逆一対」によって存在していたものらしい。
それは、我々の目の前に存在する世界が「真」とするならば、その逆の「偽」の世界も存在していたとみなければならなくなる。
私は科学者ではないが、物質には正常な物質と、それとは反対の性質を持つ反物質とがある。
宇宙誕生時には、それぞれが等分に存在していたらしいが、自然界の流転作用によって反物質の力が弱まり、我々が存在できるこの自然が形成されたと言われる。

それがどうやら今、反物質の力が盛り返してきているらしい。
その盛り返しようが最も如実にに表れているのは、人間の精神内のようだ。
いや精神内ばかりでなく、肉体内においても、若い人の癌化が進んだりしていくのも、この為かも知れない。
そしてそれは、人間活動による自然破壊化がもたらして環境破壊によるものも、これを促進しているのかもしれない。

いわゆる「自然世界の反物質化」が進行していることになる。
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幼稚園学級

2010年11月18日 | 短歌に政治や社会

言葉の軽さ目立つ柳田法相 さらなる「失言」周囲警戒(朝日新聞) - goo ニュース

ずいぶん先ごろ、それは自民党政権時代ごろからだが、この国の政府政界は、「幼稚園学級」みたいになっている。

いやはや、かしましいこと・・・・。


いや、「幼稚園学級」の方が、まだお行儀がいいですね。

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束縛される自由権

2010年11月18日 | 短歌に政治や社会
政治的発言する部外者「呼ぶな」は妥当…仙谷氏(読売新聞) - goo ニュース

「国民が、国民として、国民の思い」を述べようということを、こういうように「述べさせるな」とは何事。
一体この人、何様。
こういう人に、国民の税金から、給料やるな。
歳費も、やるな。
地位や役職も、やるな。

国会議員であり、政治家であるなら、国民の声に耳を傾けてこそ、国会議員であり政治家であるだろうが。

このように「束縛される自由権」に満ちた強権を行うなら、下がっていてもらいたい。
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