我々人間が「知恵」を与えられ、そしてそれによって「教養」を積み立て、「文明や化学」を発展させてきたが、しかし「平和の完成」はいつになるか判らない。
「判らない」というよりも、むしろその逆の悲惨な混乱ばかりが続いている。
何故このように、口では「平和を希求する」と言いながら、このように悲惨な混乱か続くのかというと、我々人間は、「平和の定則」とは関係が無い事に勤しんでいることにある。
「平和の完成」のための「平和の定則」には、あってはならないものがある。
ところんが我々人間は、この「あってはならないもの」を取り入れ、その事に一生懸命になっている。その結果が、悲惨な混乱ばかりを招くことになっている。
「平和の定則」に必要のないもの、あってはならないものは何かというと、「競争」である。
これは「競争心」でもある。
この「競争、競争心」によって、我々人間社会には「優劣、大小、高低、強弱」などの差別を生んでいく。「差別」が生み出されると、それを承服しようとしてさらなる「競争、競争心」を煽り立てることとなり、それが高じて悲惨な混乱状態に陥る。
この「競争、競争心」は、「スポーツ」とか、「学業、企業活動」とかに止まらず、「文化や芸術、科学関係、国家間」など、全ての分野に及んでおり、その「競争、競争心」は熾烈を極める。
我々人間が「平和を希求」し、みんな仲良くなっていこうとするなら、生命種の中で随一与えられた「知恵」を持ってして、この「競争、競争心」を断ち切っていかなければならない。
しかし、これが難しい。何故なら、「知恵」を持ったこと自体が、「競争、競争心」の元になっているからだ。
だが、この難関なことを断ち切れる方法がある。
それは「信仰」であり、「宗教」である。
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