青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

正月休みを

2013年01月06日 | 短歌に政治や社会

山岳遭難8人、依然行方不明…捜索難航(読売新聞) - goo ニュース

山岳救助隊の皆さん、こういう悪天候にもかかわらず勝手に山登りして、そして遭難したからと言って悪天候の中を救助に向かう必要はありません。
これまでの激務の体を、正月休みにして休んでください。
そうしないで身勝手なものにつき合っていると、二重遭難になります。
それを、誰も非難しませんよ。

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20130106-567-OYT1T00523.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国民教育基本法

2013年01月06日 | 短歌に政治や社会

新年を迎えて、人々は神社仏閣に詣でて、柏手を打ち手を合わせて初詣している。しかしこうした神前や仏前では手を合わせても、それで終わりになる。神前や仏前でしおらしく手を合わせた、その事の実行行為が続かず、もう忘れ去ったようになおざりにしている。

 

例えば食事。この初めと終わりには「戴きます、御馳走さま」と感謝の思いを表す事を、学校で習っていたし、老人達からも厳しく躾けられたものだが、それがもうお座成りになっている。

第一親からしてだらしない。絶対と言っていいほど「戴きます、御馳走さま」を言わない。殊にこの模範を一番示さなければならない父親からしてそうだし、それにこの父親、姿勢も行儀もだらしがない。テーブルに両肘を付いて食べている。だけでなくお代りを求めるにしても、肩ひじついたままもう一方の手の茶碗を「お願いします」とも言わずにに差し出す。
こう言う父親だから、父親が済ますとさっさと自分の部屋へ行ってしまった後は、中学3年の女子までがだらけて、両膝立てて食べるわ、テレビの前に行って食べるわ、寒いからと言ってストーブの前でいすに茶碗を乗せて食べるをしている。

 

学校教育の基本は、「教育基本法」に沿っている。しかしこの「教育基本法」は、学校教育の期間中のものでしとかなく、その後には何らの力も発揮しないようになっている。
現にテレビや映画などでの食事の場面でも、食前食後に「戴きます、御馳走さま」という場面は見当たらないし、姿勢行儀も悪い。
これだからテレビや映画の視聴者も、必然的にまねをしていくことになる。

その上に又、先日安倍首相が伊勢神宮に初詣したと言うが、そのあと「従軍慰安婦」問題について、「河野談話、村山談話」を見直すと語っている。この「見直す」という事は、「河野談話、村山談話」が心からの謝罪しているのを見直して、変な具合に捻じ曲げるつもりらしく、心からの謝罪から離れたように見直すつもりらしい。
それが神前で手を合わせた者の目論見とし、又前政権の時に「新教育基本法」を成立していた者のやり方という事になる。

「教育基本法」というものは、子供や児童だけに対しさてのものであってはならない。成人や大人にも通用する「法」でなければ、この法律の意義を持たなくなる。
すなわち「国民教育基本法」の成立が、急がれる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この先は

2013年01月06日 | 短歌に政治や社会

マグロ初値、さすがに高すぎ? 史上最高1億5千万円(朝日新聞) - goo ニュース

こういう食べ物に高額の値段が付けられるのは、だんだん食料品が品薄になってきている事を示している。いわゆる「資源枯渇」現象である。

そういうこの先の状況を思いもせず、「ウハウハ」言っているのだから、人間というものは世話が無い。頭が、まるで空っぽ。

http://news.goo.ne.jp/article/asahi/nation/TKY201301060005.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その前にはっきり

2013年01月06日 | 短歌に政治や社会

6・3・3・4制見直しも…首相直属会議発足へ(読売新聞) - goo ニュース

「いうは易し、おこなうは難し」だ。
国会議員の「一票の格差」が違憲状態にある中で、その是正が点でバラバラな議論状態になっていて進まない。
ここでも数の力が横行させ、少数政党にも議席を分けて、より良い国政の発展に努めようとはしていない。

こういう政策をしようという政権には、子供たちにもならない政策を強行することになるばかり・・・・・・

http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/politics/20130105-567-OYT1T01232.html

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・・・・・このまんまが良い

2013年01月06日 | 人生設計

身体障害者が「そのまんまが良い」というそこには、現実を真摯に直視しているからである。
障害者だからといって、「人に甘えない、すがらない」という精神を持ちながら、自分には無い技能や出来ない事などは礼を尽くしてお願いする。そしてできる限りに「自分の事は自分でする」という精神に自立していく事の中に、「このまんまが良い」という気持ちが芽生えている。
そしてそれは障害を持つ自分と健常者とを比べたりして、惨めさを持たない。

ところが健常者ともなると、自分が健常者として恵まれている事には気が付かない。気が付かないでいて慢心し、何彼と人を見下していく。のみならず、ちょっと事の挫折で、弱音や泣き言を吐く。
例えば重い病気になったりすると「なんで自分が・・・・」と、打ちひしがれてしまう。そしてがんなどともなると「陽子線がん治療」などという何百万円もかかる治療を受けたりしている。こういう高額な治療が進むことによって、医師は過疎地や辺地を離れてこういう施設に努めることになり、弱者は切り捨てられていく。
がんになろうとも、不妊であろうとも、景気が悪かろうとも、それはそれでいいではないか。その中にあって、1人1人が「このまんまが良い」と、明るく生きていくならば・・・・・・・・・・・・・・・・・

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

このまんまが良い

2013年01月06日 | 人生設計

私は身体障害者である。この身体障害者となった原因は、もう65年ほど前に福井県嶺北地方を襲った地震で、倒れた家屋の下敷きになったことによる。
この地震と共に水が溢れてきて、もう少しで息が出来なるというところを助け出された。
しかしこうした状態に置かれた私だったが、恐怖感を持っていない。それは何故かというと、家の下敷きになった瞬間に、気を失ってしまった事にある。

この被害によって私は、目は弱視、耳は軟調、歩行は背骨が曲がって脊髄損傷した為か、平均台の歩行が出来ないようなバランスがとれず、ヒョヒョロとした歩行しか出来ないでいた。この歩行も中学を卒業間近ごろには全くの歩行困難になる。このため他方の医師に掛かったりしたが快方に向かわず、最後に駄目で元々と、家の向かいにある鍼灸師に掛かり、ここに3年近く通って何とか歩行が出来るようになり、それで嬉しくなって自営業の仕事に従事するようになった。

こうした私だが、自分の運命となったこの身体障害に対して、一度として愚痴や不平不満を漏らしたり、悲観した事は無い。
第一、私には健常者の状態が判らないからである。
難聴にしても、自分が今聞いているものが自分の耳で聞けるものなのであって、健常者のようにはどうしても聞かれるものではない。
聞かれるものでないならば、自分の耳は「このまんまが一番いいのだ」としか受け止められない。
第一愚痴ったり不平不満を言ったとて、解消されるものではない。
ただこんな私だが、相手には丁寧に判るように配慮してもらっている。文字に書いてもらったりして・・・・・・・・・・

今の世の中は、不況だからと言って今度の安倍内閣は、「経済危機突破」といった政策を取り始めた。
しかしいかに「経済危機突破」しても、「このままんまが一番いい」という精神が希薄では、必ず何事によらず破壊されていく。
そのよい実例が、これまであった経済繁栄が転覆し、パプルがはじけ、世界同時不況となっていることから見ても解る。そしてその上に、各国の国債という借金が雪だるまのようになっているのを放置しておいてある。
不況であるならあるで、「そのまんまが一番いい」としてさらにる国債発行を控えて行かないならば、底なし沼に陥っていく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする