青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

条件なし

2012年09月13日 | 宗教観

維新、衆院選の公募開始 「八策」100%賛成が条件(朝日新聞) - goo ニュース

「東日本大震災」の、被災地復興ボランティアには、何のかんのと条件は付けない。
ただ一生懸命に、がれき処理や避難民の世話だけを求めている。

それに対して、こういう震災地の復興などに参加しないでいて、「大阪維新の会」は条件を付ける。
動やら箸下轍の気に入らんと、放り出される。
独裁性が、強いから…………

 

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「悪人正機」

2012年09月13日 | 宗教観

「悪人正機」とは、浄土真宗の開祖「親鸞聖人」が説かれた教えの一つである。
仏教には、他宗にはこれと同義語の「煩悩即菩提」というのがある。
ここでは、親鸞聖人の「悪人正機」を基に述べる事にする。

「悪人正機」とは、親鸞聖人が述べた「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」とのことである。
ここでいう「善人」とは、自分にはこれだけの「収入がある。教養がある。資格がある。メダルや勲章を取っている。資力や財力、親類や縁者がいる」などというようなものの事を言う。
一方の「悪人」とは、一般には「犯罪者や罪人、嘘つき、誤魔化し、捏造、詐欺」などを行うものの事を言っているが、親鸞聖人が言っている「悪人をや」というのは、これとは異なる人の事を言う。反対の人たちの事を、である。
「悪人をや」という悪人とは、自分が持っている「業(悪業)、浅ましさ、至らなさ、強欲さ」などを省みて見詰め、そこにとてものこと「善人」とは言えない「悪人」との事を指している。いわば「反省し猛省し、懺悔」する人の事を言っている。

ところが我々は、口先だけでは生意気に「善人」ぶっている。そして中身となると、まったくの空っぽ。 これが上に立つものほど、多い。
例えば現在の首相は、よくしゃべる。だがそれを実行し実現させる行程などは、まったく提示されない。ただ「政治生命をかける」などというだけだし、その「政治生命をかける」というものも腰砕けになるやら、先送りになってしまうし、「そのうち」もうやむやにしてしまう。
こちらの県には国内最多の原電があるが、大飯原発2基の再稼働に同意した県知事、
エネルギー原案」が発表されると文句を言っている。いつもぶれている政府に官僚などとは判っていながら、まただまし討ちに合って文句を言っても、原発を停止させようとはしていない。
それにまた先般、「南海ドラフト地震」など震災や大津波での甚大な被害予想が発表されている中で、その被災者の避難所が整備されない。整備しないどころか、「北陸新幹線」の工事に関連する予算を組むといって、避難所となる小中学校の耐震化には取り組もうとしない。
それだけでなく、新幹線の乗客には快適になるようにしていきながら、小中学校にエアコンを設置する事は後回しにしている。
これだから子供たちにはストレスが溜まり、いじめなどが横行する事になる。

我々はこういう「見かけ」の善人ぶるのではなしに、「辛さ苦しさ悲しさ」を共有し、分けあい分かち合っていかなければならない。
人は皆、煩悩を持つ極悪人である。この極悪人と気付いて、この極悪人が「生かされている」という有り難さを受け入れるのが、「悪人正機であり、煩悩即菩提」である。

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