青い鳥の世界へ

人として厳しい中で生きていかなければならない中、少しでも良い世界になったら。そして、より明るく、清らかに、暖かく。

反動、反発

2009年05月23日 | 人生設計

この世の物事のすべからくは、一方性とか直進性になっていない。
それなのに私たちは、一方的になると、思い込んでいる。いや、一方的になってくれなくてはならないものと、なしている。
だが世の中の物事は、何かをなすと、そのことに対する「反動、反発」反応が必ず発生する。それは法則になっているといっても、よい。

「進歩発展」させようとすると、その見返りのような「退廃と崩壊」がある。「拡大」には、「縮小」がついて回り、「前進」には「後退」というような具合に、そのことに対する「反動や反発」が、必ずに現れる。
この現れ方は、どうも「企まれた」ものによるものほど、大きい。

「企まれたもの」とは、「計画、立案」されたもののことである。それはまた「人工的」なものでもある。
こうした「計画、立案」された「企まれた」人工的なもの程、その「反動、反発」として受ける損害が大きい。
もちろん、何もせずとも受ける場合もある。自然なもの、である。
しかしこの「自然なもの」に対しては、私たちは「素直」に受け入れざるを得ない。
それに対して「企まれ、計画立案」された人工物による「反動と反発」に対しては、我々人間はむなしさばかりと悲哀さばかりが、自然から受けるそれとは異なっている。
感情的に、異なっている。

どのように「感情的」に異なっているか、それを述べるのは「詮無い」ので止めるが、ひとつだけいうと、尾を引くことがある。
その「尾を引く」ということを述べるのも「詮無い」から止めて、せっかくノーベル賞化学賞で、「自発的対象性の破れ」という理論を見つけ出したのだから、その理論の意味するような「素直にあい向かい合う」という、生き方をしていかなければならない。
そうしていくと、人工的な大きな「反動や反発」は起こらなくなる。

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