東京駅を設計した辰野金吾は、嘉永7年(1854)8月22日に、今の佐賀県唐津市で生まれました。
明治3年、17歳の時に藩の英語学校に入学。
教師は高橋是清で、同級生に曾彌達蔵がいました。
明治5年に高橋是清が帰京すると、曾彌も辰野も相次いで上京します。
徒歩と船を乗り継ぎ、横浜~新橋間は開通したばかりの鉄道を利用、それでも、唐津から12日間の長旅でした。
明治6年、20歳の時、工部省工学寮第1回入学試験に辛くも合格。
工学寮は赤坂葵町旧川越藩邸大和屋敷(現ホテルオークラ)に置かれ、のち虎ノ門(現霞ヶ関ビル)に煉瓦造の校舎を新築して移転します。
工学寮は新時代の人材を養成するため、すべて官費でまかなわれ、何もかもが純英国式でした。
辰野は教養課程終了後、造船志望をやめて造家科(建築科)に進みます。
同級生は5名いましたが、辰野は目立たない学生だったようです。
※「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」サイト~「辰野金吾小伝」より抜粋
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