この記事、じつはブログ仲間でもあるオ 寒さんの記事、ジャンボ鉄板焼きの定食屋「カロリー」を読んで書いてみようという気になったのである。
もちろん、これから書くことは、ことある事に思い出しているのではあるが。演奏中にも。
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太鼓叩きは100年前ぐらいだろうか、この「定食屋・カロリー」がある御茶ノ水の某大学に通っていたのである。オ 寒さんとは隣同士の大学。
もちろん、太鼓叩きはほとんど授業にはでず、ジャズ研の部室に入り浸りの学生生活であったのは言うまでもない。
オ 寒さんも書いているように、当時の我々はほとんど食事は学食、または近所のチープな定食屋ですましていた。
多少のお金のある時、このカロリーでたらふく食べたわけである。
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「カロリーの名物・ジャンボ鉄板焼」
オ 寒さん?
これ、当時と変わらない?変わった?
この写真。オ 寒さんからいただきました。
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では、本題に入ろう。
当時、太鼓叩きにはジャズ研以外に、同じ学部の、ここで仮にT君、M君としよう。仲のよい友人がいた。二人とも大のジャズファンであった。そう、3人で、あの新譜を聴いたか?買ったのか?コルトレーンのあれ、マイルスのっとか。
T君は現在、CM製作会社を経営しており、そして、現在も太鼓叩きのライブ等にきてくれる。もちろん、太鼓叩きのCDも買ってくれた。
この二人、太鼓叩きが「よっしゃ、プロでやっていくで~」っと、なりふりかまわず、将来の不安などなんのそのの勢いで豪語した時も、「頑張れっ~~!頑張れ~!グルーブしやがれ~!」っと応援してくれたのである。
もちろん、二人は太鼓叩きが演奏する大学対抗なんとかコンサート、学園祭等、いつも応援、声援してくれていたのである。練習の帰りに遊びに行く時も部室の前でまっててくれたしな~。
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そして、この記事の主役、M君である。
主役と言う書き方はよくないかもしれないが。
このM君、あの俳優、松田優作(作の字はこれかな~?)に似た超イケメンであったのだ。彼を意識してか、トレンチコートで学校にきていたな~。嫉妬するしま(暇)もないほど、我々3人の中でダントツにモテテいたわけである。ほんとうにハンサムだった。太鼓叩きがいままで会った中で最高かもである。いまでも、T君とこのことで話題(イケメン)になる。
そして、この3人でお金に余裕のある時、このカロリーに食事をしにきたのである。
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当日、いつのもように、そう、いつもとまったく変わらない雰囲気で3人はカロリーで食事をしてわかれた。「また、明日な~」。たぶん、そんな会話だった思う。なにせ、100年前のことだ。
その夜、太鼓叩きがそろそろ寝ようとしている時だったとおもう。
突然、深夜に電話のベルが鳴った。
太鼓叩きはずいぶんおそい時間に電話だな~~と思ったが、ま、ジャズ研の連中が酔っ払って盛り上がっているのだろうとおもい、電話にでたのである。
受話器の中から聴こえる声はまったく太鼓叩きの聞き覚えのない声であった。しかも、女性。
そして、その女性「もしもし、さきほど弟が亡くなりました。Mの姉です」。100年前の話である。だいたい、このような会話であったのを記憶している。もちろん信じられなく、どのように応対したのかは覚えていない。
すぐに太鼓叩きはT君に連絡。T君は他の友人達に連絡。友人達4~5人と太鼓叩きは家の車を借り、お通夜、お葬式に行った記憶がある。とにかく、わけのわからない数日間であった。
お通夜、お葬式でM君のガールフレンドが泣いている後ろ姿をいまでも覚えている。もちろん、おぼろげだけど。
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お通夜の席だったろうか、M君の姉は言った。「弟の手帳を調べたら、貴方の電話番号が目に付いて」と。そうか、それですぐに電話があったのか。
しかし、なぜあの若さで自らの命を絶たなければいけないのだろう。もちろん、太鼓叩きはM君の姉から原因を聞いているのだが。ここであえて書くつもりはない。それにしてもなのだ。
だって、前日、前日というより、数時間前に俺達3人はカロリーで呑気に、いかにも、当時、どこにでもいる学生仲間の食事をしていたのに。
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太鼓叩きはいまでも、M君がくれた「おいっ?これ聴けよ?いいぞ」っと言ってくれた、「ヘレン・メリル WITH クリフォード・ブラウン」のレコードを持っている。
いまでも思い出す。このレコードの中のナンバーを演奏する時、超イケメンM君のことを。
太鼓叩きは頑張らなくては、M君のぶんもな。
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きっと、ずっ~~~とお空の高いところで、やつは、トレンチコートの襟をかっこよくたてて、笑いながら太鼓叩きの演奏を聴いているであろう。
しかし、お前、相変わらずだね~~、っとね!
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今回のブログ、ちょい、寂しげなので、ここで一発。M君を笑わせるためにもね。
「太鼓叩きの狂乱の阿波踊り・ダンス・ダンス・ダンス」
この一枚、「夏休み・阿波踊り・関門海峡花火クルーズ」よりしと(ひと)足お先にお見せします。
後ろのお客様をしっぱり(ひっぱり)、右へしだり(左)へとパフォーマンスする太鼓叩きなのだ。真ん中でウチワもって踊っているアホね。
「踊るアホーにみるアホー、どうせアホなら踊らにゃそんそん」。まさにである。
しかし、太鼓叩きの後ろをみてもおわかりでしょうが、今回のお客さま、ノリがいいよ。このとき、斉藤こず恵はインタビュー席(画面しだり(左前方)に走っていった。
M君もお空の上からこれみて、「ばっかだね~、変わらないね~、成長しないね~、っで、このクルーズ、いつ太鼓叩いてるのって」笑うだろうな~。これでいいのだ、これでいいのだ。
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あっ~~、なんか泣けてきた。
今夜は「ヘレン・メリル WITH クリフォード・ブラウン」きくよ。
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そんじゃ~な! またよ? なんか泣きて~ぜ。ほんとうに太鼓叩きは泣き虫なのだ~。
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もちろん、これから書くことは、ことある事に思い出しているのではあるが。演奏中にも。
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太鼓叩きは100年前ぐらいだろうか、この「定食屋・カロリー」がある御茶ノ水の某大学に通っていたのである。オ 寒さんとは隣同士の大学。
もちろん、太鼓叩きはほとんど授業にはでず、ジャズ研の部室に入り浸りの学生生活であったのは言うまでもない。
オ 寒さんも書いているように、当時の我々はほとんど食事は学食、または近所のチープな定食屋ですましていた。
多少のお金のある時、このカロリーでたらふく食べたわけである。
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「カロリーの名物・ジャンボ鉄板焼」
オ 寒さん?
これ、当時と変わらない?変わった?
この写真。オ 寒さんからいただきました。
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では、本題に入ろう。
当時、太鼓叩きにはジャズ研以外に、同じ学部の、ここで仮にT君、M君としよう。仲のよい友人がいた。二人とも大のジャズファンであった。そう、3人で、あの新譜を聴いたか?買ったのか?コルトレーンのあれ、マイルスのっとか。
T君は現在、CM製作会社を経営しており、そして、現在も太鼓叩きのライブ等にきてくれる。もちろん、太鼓叩きのCDも買ってくれた。
この二人、太鼓叩きが「よっしゃ、プロでやっていくで~」っと、なりふりかまわず、将来の不安などなんのそのの勢いで豪語した時も、「頑張れっ~~!頑張れ~!グルーブしやがれ~!」っと応援してくれたのである。
もちろん、二人は太鼓叩きが演奏する大学対抗なんとかコンサート、学園祭等、いつも応援、声援してくれていたのである。練習の帰りに遊びに行く時も部室の前でまっててくれたしな~。
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そして、この記事の主役、M君である。
主役と言う書き方はよくないかもしれないが。
このM君、あの俳優、松田優作(作の字はこれかな~?)に似た超イケメンであったのだ。彼を意識してか、トレンチコートで学校にきていたな~。嫉妬するしま(暇)もないほど、我々3人の中でダントツにモテテいたわけである。ほんとうにハンサムだった。太鼓叩きがいままで会った中で最高かもである。いまでも、T君とこのことで話題(イケメン)になる。
そして、この3人でお金に余裕のある時、このカロリーに食事をしにきたのである。
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当日、いつのもように、そう、いつもとまったく変わらない雰囲気で3人はカロリーで食事をしてわかれた。「また、明日な~」。たぶん、そんな会話だった思う。なにせ、100年前のことだ。
その夜、太鼓叩きがそろそろ寝ようとしている時だったとおもう。
突然、深夜に電話のベルが鳴った。
太鼓叩きはずいぶんおそい時間に電話だな~~と思ったが、ま、ジャズ研の連中が酔っ払って盛り上がっているのだろうとおもい、電話にでたのである。
受話器の中から聴こえる声はまったく太鼓叩きの聞き覚えのない声であった。しかも、女性。
そして、その女性「もしもし、さきほど弟が亡くなりました。Mの姉です」。100年前の話である。だいたい、このような会話であったのを記憶している。もちろん信じられなく、どのように応対したのかは覚えていない。
すぐに太鼓叩きはT君に連絡。T君は他の友人達に連絡。友人達4~5人と太鼓叩きは家の車を借り、お通夜、お葬式に行った記憶がある。とにかく、わけのわからない数日間であった。
お通夜、お葬式でM君のガールフレンドが泣いている後ろ姿をいまでも覚えている。もちろん、おぼろげだけど。
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お通夜の席だったろうか、M君の姉は言った。「弟の手帳を調べたら、貴方の電話番号が目に付いて」と。そうか、それですぐに電話があったのか。
しかし、なぜあの若さで自らの命を絶たなければいけないのだろう。もちろん、太鼓叩きはM君の姉から原因を聞いているのだが。ここであえて書くつもりはない。それにしてもなのだ。
だって、前日、前日というより、数時間前に俺達3人はカロリーで呑気に、いかにも、当時、どこにでもいる学生仲間の食事をしていたのに。
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太鼓叩きはいまでも、M君がくれた「おいっ?これ聴けよ?いいぞ」っと言ってくれた、「ヘレン・メリル WITH クリフォード・ブラウン」のレコードを持っている。
いまでも思い出す。このレコードの中のナンバーを演奏する時、超イケメンM君のことを。
太鼓叩きは頑張らなくては、M君のぶんもな。
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きっと、ずっ~~~とお空の高いところで、やつは、トレンチコートの襟をかっこよくたてて、笑いながら太鼓叩きの演奏を聴いているであろう。
しかし、お前、相変わらずだね~~、っとね!
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今回のブログ、ちょい、寂しげなので、ここで一発。M君を笑わせるためにもね。
「太鼓叩きの狂乱の阿波踊り・ダンス・ダンス・ダンス」
この一枚、「夏休み・阿波踊り・関門海峡花火クルーズ」よりしと(ひと)足お先にお見せします。
後ろのお客様をしっぱり(ひっぱり)、右へしだり(左)へとパフォーマンスする太鼓叩きなのだ。真ん中でウチワもって踊っているアホね。
「踊るアホーにみるアホー、どうせアホなら踊らにゃそんそん」。まさにである。
しかし、太鼓叩きの後ろをみてもおわかりでしょうが、今回のお客さま、ノリがいいよ。このとき、斉藤こず恵はインタビュー席(画面しだり(左前方)に走っていった。
M君もお空の上からこれみて、「ばっかだね~、変わらないね~、成長しないね~、っで、このクルーズ、いつ太鼓叩いてるのって」笑うだろうな~。これでいいのだ、これでいいのだ。
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あっ~~、なんか泣けてきた。
今夜は「ヘレン・メリル WITH クリフォード・ブラウン」きくよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんじゃ~な! またよ? なんか泣きて~ぜ。ほんとうに太鼓叩きは泣き虫なのだ~。
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