初めて寄席に行った時、
どこかに今日のプログラムはないかとキョロキョロしました。
お芝居でも演奏会でもプログラムがあるのが当たり前だと思っていたので
どこにもないので途方に暮れました。
本当に何が起こるかわからなくてドキドキ。
いざお囃子が始まって噺家さんが高座に登場した途端
そんな心配は吹っ飛んですっかり江戸の長屋の世界に入り込んでしまいましたが。
寄席に興味がない方には分かりにくいかもしれませんが、
通常寄席興行は出演者のみが表記されてプログラムは無し。
聞くところによると、噺家さんは客の入りや時事ニュース、興行先のトピックなどの情報から
当日判断して決めるため、だとか。
さりげなくご当地の話などをしながら今日は家族連れが多いからこの噺、
今この話題で持ちきりだから関連してこの噺などなど。
真打ちさん以上だと相当数の話を持っているでしょうからそういう判断も即座にできる。
聴く側からいえば、もし落語の初心者であっても実は
落語のお題は落語という意識がなくても知っているものが多いのね。
例えば
早口言葉の寿限無寿限無(ジュゲムジュゲム)
新作はともかく古典落語はみんなが知ってる昔話や
一休さんのとんち話。
だからいきなりなんの情報もなく寄席に入っても先入観なく楽しめる。
同じ話でも噺家さんによっては天と地ほども違った『噺』になる。
これが面白いところ。
え?でもやっぱりタイトルが知りたいじゃん!
ふっふっふ…これですよ
終演後、出口の一角に手書きの演目が張り出されます。
手書きなのでものすごく達筆の時もあれば
何やら怪しい金釘流の時もあります。
これを最後に見てお客さんは帰途に着くのです。
思うに江戸の昔はこれもなかったかもしれないですね。
お客は贔屓の噺家さんの話を聞きに行き大いに笑って
またその噺家さんの高座を聴きにくる。
シンプルにそれだけ。そのうちに誰それの何々噺は粋だとか野暮だとか
みんなにわか評論家になったり追っかけになったり。
そうなると初めから何を話すかなんてえ知っとくヤボは無し!
字も読めない人も今より多かったでしょうから書き出されてもねえ。
最近は新作落語の中では連作もあってその続きを演じたり
その噺家さんの十八番のお題の時などには
前もって何を話すかお知らせがあったりします。
が、私は
何をやるかワクワクしながらお目当ての噺家さんの登場をまつ時間も含めて
高座に登壇した噺家さんが枕を語りながらさっと羽織を脱ぎ捨ててさて、と話し始める瞬間が好きになったので
今ではプログラムはあってもなくてもいい派(←こんな派閥はないです)
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