これなーんだ?

ラジオ塔、です。正式名称は「公衆聴取施設」。


テレビ放送以前はラジオ放送のみ。それも、個別に契約して聴取したってことですね。
今で言うインターネットのプロバイダー契約みたいなものでしょうか?
その契約者数が100万人を越えた記念に全国41カ所に設置したと、あります。
でもなんで??
実はこれがいわゆる太平洋戦争から焼け残った記念碑だと知ったのは、つい数年前。
以前から立っていたのですが、説明板はなく、立て札もボロボロ。
ラジオ塔自体も雨風にさらされて今にも崩れそう、という有様で
まるでオバケ灯籠のようでした。
木立の中にたたずむその形は子ども心にちょっと気味悪かったです。
その後、公園の改修事業がはじまり、それに合わせて園内の施設があらためて点検補修されていきました。
オバケ灯籠のようだったラジオ塔もお色直しが済み、
木製の説明板が新しく書き換えられてさらに金属プレートに交換されてスッキリ見やすくなりました。
このラジオ塔なるもの、
この中にほんとうに受信機とスピーカーがおかれて、放送を流す事ができたらしいです。
以下、朝日新聞2012年5月24日付け記事より抜粋:
『1925(大正14)年、NHKの前身の東京放送局がラジオ放送を始めた。
高級品だったラジオを普及させようと、公園や神社の境内にラジオ塔の建立を構想。
1930年、大阪・天王寺公園を皮切りに立て続けに関西に4基建ち、その後、全国に広がっていった。
太平洋戦争が始まった1941年には460基あったと「ラヂオ年鑑」にある。だが、翌年から塔の記述はこつぜんと消える。(中略)
建立の終幕は1943年ごろ。金属回収で受信機などが持ち去られ、ラジオの普及と戦後のテレビの登場で忘却のかなたへ――。』
へー。
父だったら知っていたかもしれない、聞いておけばよかったわ。
ラジオ塔は、
野毛山公園内、観光バス駐車場から公立中学校側の入り口をのぼると、左手奥にみえます。

ラジオ塔、です。正式名称は「公衆聴取施設」。


テレビ放送以前はラジオ放送のみ。それも、個別に契約して聴取したってことですね。
今で言うインターネットのプロバイダー契約みたいなものでしょうか?
その契約者数が100万人を越えた記念に全国41カ所に設置したと、あります。
でもなんで??
実はこれがいわゆる太平洋戦争から焼け残った記念碑だと知ったのは、つい数年前。
以前から立っていたのですが、説明板はなく、立て札もボロボロ。
ラジオ塔自体も雨風にさらされて今にも崩れそう、という有様で
まるでオバケ灯籠のようでした。
木立の中にたたずむその形は子ども心にちょっと気味悪かったです。
その後、公園の改修事業がはじまり、それに合わせて園内の施設があらためて点検補修されていきました。
オバケ灯籠のようだったラジオ塔もお色直しが済み、
木製の説明板が新しく書き換えられてさらに金属プレートに交換されてスッキリ見やすくなりました。
このラジオ塔なるもの、
この中にほんとうに受信機とスピーカーがおかれて、放送を流す事ができたらしいです。
以下、朝日新聞2012年5月24日付け記事より抜粋:
『1925(大正14)年、NHKの前身の東京放送局がラジオ放送を始めた。
高級品だったラジオを普及させようと、公園や神社の境内にラジオ塔の建立を構想。
1930年、大阪・天王寺公園を皮切りに立て続けに関西に4基建ち、その後、全国に広がっていった。
太平洋戦争が始まった1941年には460基あったと「ラヂオ年鑑」にある。だが、翌年から塔の記述はこつぜんと消える。(中略)
建立の終幕は1943年ごろ。金属回収で受信機などが持ち去られ、ラジオの普及と戦後のテレビの登場で忘却のかなたへ――。』
へー。
父だったら知っていたかもしれない、聞いておけばよかったわ。
ラジオ塔は、
野毛山公園内、観光バス駐車場から公立中学校側の入り口をのぼると、左手奥にみえます。
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