横浜焼売(シウマイ)物語2024

2年ぶり再開。ハマっ子のソウルフードは崎陽軒のシウマイ。漫画書き柴犬溺愛。落語らぶ。晴れ時々ランニング、更新随時

居留地48番「モリソン商会」

2014-10-02 | 横浜ラブ
神奈川芸術劇場のウラにひっそり佇むコンクリートの小さな建物。


横浜最古のレンガ造りの洋館の遺構。と気がつく人はあまりいません。

ここが居留地48番「モリソン商会」だった建物です。

残っているのはその一部ですが、この遺構はもしかしたら市の周辺再開発工事で永遠に喪失するところでした。

この部分が残っています。


この建物は実に不思議な運命を辿っています。

横浜の洋館はそのほとんどが関東大震災とその後の火災で倒壊焼失しました。
ですから、現在見ることのできる洋館のほとんどは昭和初期に再建されたものです。
今はモリソン商会として残されているここも、15年前までは
すでに火災で焼失したものとして一部の研究者以外には、
あまり知られることもありませんでした。

この辺りにはヘルムハウスと呼ばれた建物がありました。
昭和初期にこの地に駐在する外国人のためのアパートメントとして設計され使用されていました。
モリソン商会の建物は震災後に焼失し、その跡地にヘルムハウスアパートが建てられた、というのが通説だったようです、
そのヘルムハウスアパートメントは、戦後アメリカ軍に接収され、その後横浜市に返還。
神奈川県県警分庁舎として長く使用されていましたが、2000年に老朽化を理由に解体が決まりました。
当時そのヘルムハウスに隣接し、アパートメントの管理棟&物置小屋とし使用されていたのが、
この居留地48番地『モリソン商会』だった建物だったのですが、
当然のことながら、本体のアパート共々周辺地区の再開発計画によって、こちらも解体のはこびとなっていたのです。

ところが、神奈川の近代建築について造詣の深いN氏(ハンドルネームのまま)が
わずかに残された痕跡(毛筆書体の残る礎石、セメントに上塗りされたアーチ型のレンガ壁など)から、
かねてよりの仮説をもとに明治の山下町の居留地図と照会した結果、
実はこの小さな物置小屋こそが、関東大震災の火災の焼失を免れたモリソン商会の建物の一部ではないかと指摘。

解体寸前に本格的な調査が入ります。
その結果、近代建築史上の貴重な遺構と確認され、急遽保存が決定したのでした。

建設当初と大きく違ったのは屋根。建物部分も大半が失われました。
火災で焼失した2階部分に、屋根を取り付け、セメントで外装を施して再利用。
これがその屋根部分。




明治のモリソン商会全景。


平成のモリソン商会。




山下公園沿いの海岸通から2本内陸側に入った通りの一角にちょこんと建っています。
観光客のみなさんには、神奈川芸術劇場裏といた方がわかりいいかもしれません。
この辺一帯が100年前は新興地YOKOHAMAで一旗上げようとやってきた海外の若い商人たちでにぎわっていただろうと想像すると、とても不思議な気持ちになります。


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