ガタゴトぷすぷす~外道教育学研究日誌

川口幸宏の鶴猫荘日記第2版改題

【エデュアール・セガンが教えた子ども④】

2018年03月02日 | 研究余話

 生まれつきにせよ生まれてからにせよ、知的障害の子どもは、その人生を謳歌することができない。
 圧倒的多数を占める庶民=貧困家庭では知的障害の子どもを自力で養育することが困難であったので、棄児、子殺しなどが闇に隠れてなされていた。貴族・ブルジョア階級でも、棄児、子殺しが見られたが、多くの場合は、邸宅内に拘禁・軟禁することによって生涯を送らせていた。つまり、知的障害の子どもたちは、生きる値打ち(生得的生存権)とは対極の社会存在者であった。
 だから、基本的には、知的障害の子どもは教育や訓練を受けることは無かったし、その必要性も認められていなかった。もちろん「義務教育制度」(国民共通教育制度)はその実態がなかったも同然の時代であるから、「教育免除」などという今日的な欠陥制度すらあり得ない時代である。

 知的障害の子どもの置かれていた社会環境がこのようであるにもかかわらず、セガンは、医療実験のための教育の現場(棄人施設などの公共機関)ばかりではなく、貴族ないしはブルジョア家庭に入り込んで行う家庭教師を務めていた、ということの意味を考えなければならないはずである。
 何故に、彼ら知的障害児・者は、医療実験のためではない教育をされたのか? (続く)