背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

落語「芝浜」

2012年06月25日 04時24分20秒 | 落語
 三日間かけて落語「芝浜」の勉強をした。
 まず、講談社の「落語全集」(昭和4年発行)で「芝浜」(本文では旧字「芝濱」)の速記を読む。演者は柳亭左楽(五代目)である。左楽は1872年生まれ。明治末から大正・昭和20年代にかけて活躍した落語界の大物で、八代目桂文楽の師匠にあたる人だった。1911年に五代目を襲名し、1953年に没している。
 さて、左楽の「芝浜」、話の内容は現代の「芝浜」とほとんど変らないが、構成がシンプルですっきりしている。主人公の魚屋の名前は熊さん、つまり熊五郎である。(志ん生も熊さんでやっている。桂三木助が勝五郎に変えたと言われる。ほかに金さんもある。)
 酒は百薬の長というが、ほどほどが大切といった簡単なマクラがあって、
 朝女房が熊さんを起すところから始まる。出て行くのを見送って、ほどなく熊が慌てて戻って来る。(このあたり、三木助の「芝浜」だと、浜へ行ってからの情景描写が長々とあり、革財布を拾う場面がある)
 熊が女房に、後から追い駆けてくる者がいないか、戸締りをしろよとか言ってから、
 おまえが時を間違えたので、ひどい目にあった。仕方なく河岸で暇をつぶしていると、なんと革財布を見つけた、と語り出す。
 熊がふところから濡れた革財布を出して、中の金を数えるまで、約5分で演じるのではなかろうか。超スピードである。芝浜の描写もなければ、増上寺の鐘も鳴らない。
 財布の中身は、二分金で五十両。(三木助は小粒で八十二両あるいは四十八両)
 女房が熊にこの金、どうするつもりなのかと訊くと、おまえにいい着物でも買って、おれもいい半纏着て、友達呼んで前祝いしようと言う。
 そこで女房が、この金わたしが預かっておくから一眠りしなさいと言い、熊を無理やり寝かしつける。その後、女房がまた熊を起す。
 左楽の「芝浜」では、ここでやっと明六つ(冬だがら朝の6時半ごろか)になるわけで、最初に起したのが4時ごろだとして、今までの話はずっと暗いうちの出来事だったことになる。財布を見つけたのも暗いうちで、足に紐が引っかかって手繰り寄せたことになっている。
 三木助の「芝浜」では、明六つまでの二時間を芝浜で過ごし、朝日が昇って、お天道様を拝んでから、財布を見つけたことにしている。なぜそうしたのかと言えば、芝浜の情景を描きたかったため、朝早く買出しに行く魚屋という商売の辛さと気持ち良さの両方を表現したかったためである。つまり、落語をもっとリアリスティックにして、生活感や現実感を出したかったのだろう。描写が非常に細やかになって、ある意味、文学的になったとも言えるが、その分、インテリ臭さが漂って、面白さがなくなったとも言えなくもない。落語は、会話の面白さや話のテンポも大切で、そのためには省略やいい加減さがあっても許されると思うのだが、どうだろう。志ん生の「芝浜」は、三木助の改作版とは違って、昔の「芝浜」に戻している。志ん生が演じた「芝浜」の録音は、三木助が死んでからのもので、マクラで志ん生は、三木助さんが遠くへ行ってしまい「芝浜」をやる人がいなくなったのでわたしがやってみようと断っている。
 戻って、左楽の「芝浜」。起きると熊はすぐに湯に行って、帰りに友達を呼んで、酒肴を出して、どんちゃん騒ぎをして、寝てしまう。夕方過ぎて熊が目を覚ますと、女房は革財布なんか知らないと言う。結局、革財布を拾ったことは夢だったと熊に信じ込ませてしまう。それで熊は酒を断ち、改心して商売に精を出すことになる。ここまでが前半。(つづく)


 

落語鑑賞をまた始めた(その一)

2012年06月25日 00時58分29秒 | 落語
 このところずっと落語の速記本を読んでは、昔録画したビデオを観たり、インターネットの動画(音源だけのものも多い)を観ている。
 ウォークマンがはやった頃、落語ばかり聴いていた時期が5年ほどあった。もう30年も前だろうか。その頃はまだCDが出ていなかったので、落語のカセットを大量に買った。コロンビアの黄色いカセットとNHKのピンク色のカセットは、昭和の落語家の名演集だった。そのほか、アポロンの名人全集で、志ん生と円生のカセットを何本か買った。全部で200本くらい集めたと思う。1本2000円とか1800円だったから40万円くらい買ったはずだ。
 そして、夜中になると、好きな落語を繰り返し聴いていた。ウォークマンで聴いていたのは近所迷惑というか家人を起さないためもあったが、集中できたからだ。とくに志ん生にハマッていたので、志ん生の名演は何度聴いた分らない。「火焔太鼓」「粗忽長屋」「三軒長屋」「強情灸」「唐茄子屋」「厩火事」「風呂敷」「三枚起請」「五人廻し」「品川心中」「幾代餅」「淀五郎」「千両みかん」「おせつ徳三郎」「井戸の茶碗」「鰍沢」「お直し」「水屋の富」「黄金餅」「らくだ」「疝気の虫」「そば清」「鰻の幇間」「芝浜」「百川」など、上げだしたらキリがない。
 志ん生以外でよく聴いていたカセットは、三木助の「芝浜」「たがや」、金馬の「居酒屋」「目黒のさんま」「孝行糖」、可楽の「らくだ」、文楽の「酢豆腐」「鰻の幇間」「寝床」「船徳」「富久」「明烏」、円生の「居残り佐平次」「掛取り万蔵」「小言幸兵衛」「死神」、小さんの「時そば」「長屋の花見」「大山詣」など。 
 カセットで聴く落語家は、文楽、円生、小さん以外、私がリアルタイムで落語を聴いたこととがない落語家ばかりだった。私は昭和27年生まれなので、ラジオで落語を聴いた世代ではない。また、生れは東京目黒だが、4歳から10歳まで札幌にいたので、子供の頃、寄席へ行ったこともない。金馬や志ん生や柳橋はテレビで観たことをかすかに憶えているだけである。
 テレビで落語ブームが始まったのは東京オリンピックの前あたりだっただろうか。確か10チャンネルで日曜の午後、馬場雅夫アナが司会の落語番組が人気を集めた。最後に大喜利があって、七人くらいの落語家が出演した。進行役が柳昇で、小せん、伸治、夢楽、柳朝などがレギュラーだった。「笑点」が始まったのは、私が中学二年の頃だったと思うが、談志が司会で、円楽、金遊(小円遊)が人気を集めた。
 寄席に初めて行ったのは、高校になってからで、目黒の権之助坂にできた目黒名人会である。談志の「権兵衛狸」を聴いたことを憶えている。
 それと、私の母校の都立青山高校の先輩が柳家小三治で、まだ二つ目でさん治と言っていた頃、彼の落語を高校の体育館で聴いたことを憶えている。演目は忘れてしまった。確かその一年後、真打になって小三治を襲名した。だから、小三治先輩のことは陰ながらずっと応援している。
 七、八年前までは、たまに寄席へ行っていた。新宿の末広亭、上野の鈴本が多かった。が、最近はめっきり行かなくなった。紀伊国屋ホールへも何度か行ったことがあるが、出演者に魅力を感じず、もう行かなくなった。最近では、三遊亭鳳楽の独演会に三度ばかり行き、二年前に紀伊国屋ホールで三遊亭円窓と立川志らくを聴いたのが最後になってしまった。
 
 さて、200本ほどあったカセットのことだが、今10本ほど手元にあるのだが、残りは目下行方不明である。家内に聞くと、娘がどこかに片付けたか、もしかするとゴミに出してしまったのではないかと言う。捨ててしまったとしたらショックである。
 それと、録画したビデオが200本以上あって、ほとんどが30数年前に買ったナショナルのマックロードで録画したもの。映画と落語とジャズと将棋ばかりである。それが三倍モードでめちゃくちゃに入っている。落語はTBSで夜中に放映していた落語特選会がほとんど。司会が山本アナで解説役が榎本滋民だった番組である。最近、これをまた観ている。
 貴重な実演が多い。とくに面白いのは、馬生の「笠碁」と「厩火事」である。馬生は、カセットで聴くとそれほど面白くないが、演じている姿を観ると抜群に面白い。間(ま)がなんとも言えず良く、その時の表情が可笑しい。小さんの「粗忽の使者」、小三治の「千両みかん」も録画してあるが、小さんも小三治も演じているのを観ないと面白さが半減するよううに思う。
 ビデオをDVDに変換して、落語だけをまとめて整理したいと思っているが、機械がないので、出来ないでいる。(つづく)