背寒日誌

2019年7月12日より再開。日々感じたこと、観たこと、読んだことなどについて気ままに書いていきます。

映画女優、入江たか子(その9)~兄・東坊城恭長

2012年07月16日 21時48分18秒 | 映画女優入江たか子
 入江たか子は、小さい頃から三番目の兄・恭長(やすなが)とは大変仲が良く、また恭長も妹たか子を大変可愛がっていた。恭長は1904年(明治37年)9月生まれで、たか子より六歳半年上であるが、東坊城家の三男坊ということで、自由気ままに成長したようだ。少年の頃から大の映画狂で、学業そっちのけで映画ばかり観ていた。当時発刊された映画雑誌「活動倶楽部」(1918年創刊)なども読みふけり、18歳の頃にはその投書欄に東翠光のペンネームで「マーシャル・ニーラン論」を寄せたりしている。マーシャル・ニーラン(1891~1958)は1920年代にアメリカで活躍した才能豊かな映画監督で作家である。若き日の恭長は、洋画とくにアメリカ映画を好んで観ていたらしく、マーシャル・ニーランは彼が最も大きな影響を受け憧れた映画作家だったようだ。また恭長は、同好の愛活家(活動写真を愛する人、昔映画ファンはこう呼ばれていた)仲間と交遊し、謄写版刷りの映画誌を出版するほどだった。恭長は慶應義塾大学予科の文科に進み、映画とともに文学や演劇も愛好し、自ら戯曲も書いたりしている。


東坊城恭長(1904~1944)

 「日本映画監督全集」(昭和51年12月キネマ旬報増刊号)の「東坊城恭長」の項は映画評論家で脚本家の岸松雄の記述によるものだが、若い頃の坊城(ぼうじょう、仲間の愛称)とは全然付き合いはなかったが、と断った上で、多分親しい誰かからの聞き書きだろう、当時の彼の様子をこう書いている。

 貧乏華族というほどではないが、あまり富裕とも思われない四谷のお屋敷に仲間の愛活家が押しかけたりすると、そこは昔ながらの格式を重んじてか、いかめしい老女中が玄関先にあらわれて、「若様はいま学校からお戻り遊ばしたばかり。お召し換えのすむまでしばらくお待ち下さいませ」と、一室に通し、やがて高杯(たかつき)に干菓子を盛ったものを持ってくる。お茶の接待。待つ間ほどなく坊城(仲間の愛称)が着がえをすましてあらわれると、「よう、キミ、見たかい? 『わが恋せし乙女』、教会の鐘が鳴ってさ、砂時計のアップが出て、チャールズ・レイが涙をためてさ。それより何よりパッシー・ルスミラーの乙女がすげえシャンと来てやがる……」、すぐにセンティメンタルな映画の話が始まる。まことにもって子爵家として困った若様である。そのあと揃って映画見物に行くことは言うまでもない。

 さらに続けて、岸松雄は恭長の経歴を次のように書いているが訂正すべき箇所がある。(?)の中は私が記したもの。

 慶応義塾大学文科卒業後(?実は中退した)、小笠原プロに入社、『泥棒日記』『海賊船』(?『海賊島』が正しい)に出演し、そののち23年12月日活俳優部に入社(?日活京都撮影所へ実際に入所するのは24年10月)。『青春の歌』でデビュー。以来『浪荒き日』『栄光の丘』(?『波荒き日』『栄光の丘へ』)『お雪とお京』『娘の行商』『人間』『日輪』『死の宝庫』『神田の下宿』などに出演、気品のある二枚目として売り出す。

 これでは恭長が日活俳優部に入るまでの経緯がさっぱり分らない。(小笠原プロに関しては次回に詳しく書くつもりである)
 それに日活デビュー作『青春の歌』以降の出演作も重要な作品が何本か抜けている。作品の公開年月と監督と主な出演者などを付記しておく。(インターネットの「日本映画データベース」を参照したが、このデータは主に「キネマ旬報」などの映画誌に準拠したもので、不完全で記載ミスも多い。ただし、現在観られない作品ばかりなので、信頼できる他の文献も参照して補足訂正していく必要がある)

<データ>  *注
『青春の歌』1924年(大正13年)12月公開 6巻 日活京都
 監督:村田実 原作:田中総一郎 出演:鈴木伝明、南光明、御子柴杜雄、高島愛子、東坊城恭長、近藤伊与吉
 *東坊城恭長は弟秀哉の役。(高島愛子の弟の役であろう)

『君國の為めに』 1925年(大正14年)1月公開 7巻 日活京都
 監督:若山治 出演:中村吉次、市川春衛、木藤茂、東坊城恭長、三島洋子、酒井米子、佐藤円治
 *恭長出演第2作。農夫の倅(せがれ)の役だった。そして、この年(大正14年)だけで10本の作品に出演する。無論以下すべて無声映画である。

『街の手品師』 1925年(大正14年)2月公開 7巻 日活京都
 監督:村田実 原作・脚本:森岩雄 出演:近藤伊与吉(小泉譲次)、岡田嘉子(お絹)、東坊城恭長(山中)、砂田駒子(上月節子)、佐藤円治、斉藤達雄、渡辺邦男
 *村田実監督の名作と言われている。が、フイルムが残っていない。原作脚本は、後に東宝の大プロデューサーになる森岩雄。松竹へ移る前の斉藤達雄、監督になる前の渡辺邦男が出演している。恭長は、紳士の山中という、主役の恋敵で重要な役だった。(『街の手品師』に関しては、猪俣勝人著「日本映画名作全史 戦前編」(教養文庫)に作品解説がある)

『大地は微笑む』第一篇 1925年(大正14年)4月公開 7巻 日活京都
 監督:溝口健二 原作:吉田百助 脚色:畑本秋一 出演:中野英治(村田慶一)、梅村蓉子(川瀬満智子)、高木永二(村田博士)、東坊城恭長(大津進)、星野弘喜(園部男爵)、小村新一郎(園部保之)、三桝豊(岡本博士)
『大地は微笑む』第二篇 1925年(大正14年)4月公開 7巻 日活京都
 監督:若山治 原作:吉田百助 脚色:畑本秋一 出演:中野英治(村田慶一)、岡田嘉子(李秋蓮)、梅村蓉子(川瀬満智子)、高木永二(村田博士)、東坊城恭長(大津進)、川田弘道(李仁敬)、佐藤円治(王烈釣)、星野弘喜(園部男爵)、小村新一郎(園部保之)
『大地は微笑む』第三篇 1925年(大正14年)4月公開 6巻 日活京都
 監督:鈴木謙作 原作:吉田百助 脚色:畑本秋一 出演:中野英治(村田慶一)、岡田嘉子(李秋蓮)、梅村蓉子(川瀬満智子)、高木永二(村田博士)、近藤伊与吉、三桝豊(岡本博士)
 *『大地は微笑む』は、松竹、日活、東亜キネマの三社競作だった。原作は、朝日新聞が公募した懸賞映画小説の一等当選作品。松竹は、原作者の吉田百助が脚本を書き、牛原虚彦と島津保次郎が監督し、主役の村田慶一役には井上正夫をあてる。これに対し、日活は法政大学中退の新人中野英治で対抗した。(東亜は高田稔。)相手役の李秋蓮は、松竹が栗島すみ子、日活が岡田嘉子。恭長は、中野英治演じる主役村田慶一の親友で大津進という役だった。第二篇で死ぬので、第三篇には出演していないと思われる。ただし、第二篇と第三篇は、後篇として同時に公開されたようだ。(『大地は微笑む』に関しても、猪俣勝人著「日本映画名作全史 戦前編」に松竹版の作品解説がある)

以下、恭長の出演作のデータを挙げておく。(出演者ある恭長の名は略す)
『波荒き日』 1925年(大正14年)5月公開 7巻 日活京都
 監督:若山治 原作・脚本:大谷錦洋 出演:山本嘉一、酒井米子、高木永二
 *「日活の社史と現勢」(昭和5年11月発行)の巻末にある製作品総攬を見ると、『大地は微笑む』の前に製作されたようだ。

『お雪とお京』 1925年(大正14年)9月公開 7巻 日活京都
 監督・脚色:伊奈精一 原作:石川白鳥 出演:梅村蓉子、浦辺粂子、高木永二

『娘の行商』 1925年(大正14年)9月公開 7巻 日活京都
 監督・脚本:楠山律 出演:梅村蓉子、牧きみ子、徳川良子、森田芳江、森清、高木桝次郎、市川春衛、木藤茂、大崎史郎、金山欣次郎

『栄光の丘へ』 1925年(大正14年)10月公開  日活京都
 監督:若山治 原作:高林潤之助 脚色:宍戸南河 出演:高木永二、酒井米子、梅村蓉子、南光明、島耕二、浦辺粂子

『小品映画集 街のスケッチ』1925年(大正14年)11月公開 1巻 日活京都
 監督・脚本:溝口健二 出演:岡田嘉子、星野弘喜、高木永二、砂田駒子

『人間』前後篇 1925年(大正14年)12月公開 12巻 日活京都
 監督:溝口健二 原作:鈴木善太郎 脚色:畑本秋一 出演:中野英治、岡田嘉子、高木永二、市川春衛、坂東巴左衛門、星野弘喜、浦辺粂子、森清、酒井米子、徳川良子、御子柴杜雄、砂田駒子、三桝豊、梅村蓉子

『日輪』後篇 1926年(大正15年)6月公開 7巻 日活京都
 監督・脚色:村田実 原作:三上於菟吉 出演:岡田嘉子、中野英治、山本嘉一、牧きみ子、高木永二、根岸東一郎、西條香代子、浦辺粂子

『故郷の水は懐し』 1926年(大正15年)6月公開 6巻 日活京都
 監督:若山治 原作:畑本秋一 脚色:田村虚舟 出演:衣川光子、川又賢太郎、高木桝次郎

『神田の下宿』 1926年(大正15年)7月公開 6巻 日活京都
 監督:伊奈精一 原作・脚色:木村恵吾 出演:根岸東一郎、佐藤円治、徳川良子

『死の寶庫』前・中篇 1926年(大正15年)9月公開 16巻 日活京都
 監督:田坂具隆、伊奈精一 原作:紀潮音 脚色:鈴木華香 出演:星野弘喜、島耕二、巽久子、西条香代子、三桝豊、小杉勇
『死の寶庫』後篇 1926年(大正15年)10月公開 8巻 日活京都
 同上

『都の西北』1926年(大正15年)11月公開 6巻 日活京都
 監督:伊奈精一 原作・脚色:木村恵吾 出演:中野英治、砂田駒子




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1 コメント

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橋本夏子 (世良 康雄)
2015-03-30 17:22:19
橋本夏子父が東坊城家ですが、東坊城家子孫や入江若葉さんはMRA対抗策を立てているでしょうか?

mixi RAMBO日記
Gree RAMBO日記
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